MISIMA

秋月ねづ

「結局、転校することにしたんでしょ」
 と少女は静かに言った。無表情だけど冷たい声だ。僕は俯いて手に持っていたサッカーボールを地面に突いた。
「約束したのに」
 少女はそう言って、僕を睨んだ。
「仕方ないんだ」
 と僕は言った。
「引っ越すんだよ。僕の家ごと。僕だけが残るのは無理なんだ」
 僕はそう言って、少女の薄い瞳を見た。少女の目が細められる。
「じゃあ、約束はどうなるの? わたしたちホントの友達じゃないの?」
 少女は一息にそう言った。
「ホントの友達だよ」
 僕は言う。
「転校したって、ヨウコが寂しい時には会いに行くよ。いつかみたいに一人ぼっちになった時には」
「そんなんじゃ、嫌! いいよもう。わたしのことなんて、すっかり忘れて! 連絡なんてしないで! 私たちはもう友達じゃない。新しい友達を作りなさいよ」
 少女は目に涙を浮かべると、走り去って、僕は一人残された。僕は長く伸びる自分の影を見ながら、リフティングを始めた。僕の膝と足に触れてボールは幾度も跳ね上がり、そして地面に落ちた。僕は何度も少女の走り去った方を見つめて、ため息をついた。明日、教室で会えば仲直りをすることが出来るだろう。と僕は思った。僕らは何度も喧嘩しては仲直りをしてきたのだ。僕は転がったボールを拾い上げて校門へ向かった。僕がこの学校を出るまでには仲直りが出来るだろう。僕はそう思った。

 僕とヨウコは喫茶店でテーブルを挟んで座った。僕は日曜日になると、また高速を飛ばしてヨウコのところに来たのだ。ヨウコは一段上に立ったような不敵な笑みを浮かべて、
「で?」
 と僕に訊いた。
「大体のことは分かったよ」
 僕はそう言って、僕は目を閉じてコーヒーを啜った。
「お前は俺が転校したことに怒ってたんだろ?」
 僕がそう訊くとヨウコは首を振った。
「それだけじゃない。私が怒ってるのは幾つか理由があるの。転校したのはそのうちの一つに過ぎないわ」
 ヨウコはそう言って僕を睨んだ。
「大体あんた、私と初めて会った時のこと忘れてるでしょ」
 ヨウコはそう言って、僕は窓の外を見た。その通りだ。多分その記憶が無いために、僕らを繋げる為のピースが揃わないのだ。僕がそうしているとヨウコはため息をついた。
「また出直してくる?」
 ヨウコはそう言って、僕が苦笑いをしたのを見ると、楽しそうに笑った。
「まあいいわ。どうせ思い出さないだろうしね。話してあげるわ」
 ヨウコはそう言って語り始めた。

 私は母親が死んでから、全然別人のようになっていた。前はうるさいほどお喋りだったのに、急に無口になってぼんやりすることが多くなった。クラスメイトはそんな私の変化に戸惑って、私にどう接していいのか分からずに、徐々に私から離れていった。そして私は一人ぼっちになってしまったの。私は毎日学校が終わると、土手とか田んぼとか、あんまり人の居ないところに行って腰を下ろして暗くなるまで、母親のことばかりを考えていた。
 ある日、そこに一人の男の子が現れたの。サッカーボールを抱えて私のほうに来てこう言った。
「この辺で、男子たちがサッカーやる場所知らねえ?」
 私はその見たこともない男の子をぼんやり眺めて、頭の中でやっと彼の言っている意味を把握して、指をさした。
「校庭に行けばやってると思う」
 私はそう言って、その子は歩き出したんだけど、すぐに立ち止まって私にまた声をかけた。
「ねえ、君、何やってんの?」
 私は首を振った。
「何にもしてない」
 私がそう言うと、彼は
「友達いないのか?」
 と訊いた。
「沢山いると思ってたんだけど」
 そう私が言うと、彼は笑った。
「そんなのホントの友達じゃないね。よし、俺がホントの友達になってやるよ。名前は?」
 って彼が言って、私は
「水谷ヨウコ」
 って答えた。

 水谷ヨウコはそこまで話すと僕を見つめた。
「なるほどね」
 と僕は言う。
「そこに、『ホントの友達』が出てくるわけだ」
 僕がそう言うと、ヨウコは僕を見たまま
「思い出した?」
 と訊いた。僕は頷く。
「ああ、はっきりとね」
 僕はそう言うと、ヨウコは何度か頷いた。
「そして、あんたは私を引っ張り上げてくれた。あんたは転校生として、次の日学校で私と会うと、それから休み時間のたびに私のクラスに来て、『水谷ヨウコ! 教科書を貸してくれよ』とか『水谷ヨウコ! 図書室はどこだ?』とかドアのところから叫んで、私はそのたびに『名前を全部呼ばないで!』とか『自分のクラス人に聞きなさい』とか叫び返さないとならなかった。そのうち私のクラスの子たちも『あいつ誰?』とか『ドコで知り合ったの?』とか私との会話が増えて、私は段々、元の自分を取り戻せた。だから私あんたには感謝してる」
 僕はヨウコの言葉を聞いて笑った。
「だって、あの頃のお前はどう見てもおかしかったからさ。俺も大変だったよ。隣の席の奴に聞けば済む用事をわざわざ隣のクラスまで聞きに行くんだからな」
「みんなそれに気付いてたよ。私はもうみんなの手には負えない状態になってて、みんな何とかしてくれようとしてたけど、どうしようも無かった。だから皆あんたに一目置いてたじゃない。何かあるとあんたに任せて」
 僕は吹き出しそうになった。
「そうだったんだ。だから、この間○○に会ってお前のこと話した時、お前なら何とかしてやれたかも、なんて言ってたんだな」
 僕はそう言った。

「あと、私が怒ってる理由もう一つあるのよ」
 ヨウコは僕を睨みなおした。
「あんた、私と喧嘩した時に、私がまた一人ぼっちになったら会いに来るとかいったくせに、会いに来なかったじゃない。私何度も一人ぼっちで寂しい時があったのに。それに引っ越した後の連絡先もくれないし、ほんと薄情な人だ」 「だって、お前……、私のことを忘れろとか、連絡するなとか言っただろ?」  僕がそう言うと、ヨウコは更に怒った。
「あんた、そんなの真に受けてたの? 馬鹿じゃないの? あんたそんな女の子のたわごとを真に受けてたら、モテないよ。あんたモテないでしょ?」
「余計なお世話だよ」
 僕ははき捨てた。そんなこと何の関係も無いじゃないか?
「彼女も居ないんでしょ。いい年して。みっともないな。日曜に暇してて」
 ヨウコはニヤリと笑う。
「お前はどうなんだよ?」
 僕がそう訊くと、ヨウコは下を向いて少しモジモジした。
「私はモテモテだけど、今日はたまたま空いてたの」
 僕は笑った。
「それだな? 女のたわごとって言うのは」
 僕がそう言うと、ヨウコはいきり立った。
「ホントだもの。今日だってホントはバイト先の店長にデートに誘われてたんだけど、あんたが来るって言うから……」
 ヨウコは柄にも無く赤くなって反論した。僕は笑ったが、そのまま会話がなくなってしまった。僕らは窓の外を見たり、コーヒーを飲んだりした。

「何を話してたのか分からなくなったな」
 僕はそう言った。
「あんたが謝りに来たんでしょ?」
 ヨウコはそう言ってそっぽを向いた。
「そうだな」
 と僕は言った。
「ごめんな。水谷ヨウコ。俺はもっと、お前のために出来ることが沢山あった。俺はお前が辛い時には会いに行くって約束したんだもん。俺はもっと早く来るべきだったよ。お前には辛い時が何度もあったんだから。遅くなってごめん」  僕はそう言って、頭を下げた。顔を上げてヨウコを見ると彼女は目に涙を溜めていた。ヨウコは黙っていたが、やがて、
「何で謝るのよ」
 と言った。そう言った拍子にヨウコの目から涙が溢れ出して、止まらなくなった。ヨウコは顔を伏せて泣き続けた。僕には出来ることが何も無くてただ黙ってヨウコが泣き止むのを待った。
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