MISIMA

秋月ねづ

 いつもの、堤防を吹き抜ける強い風が吹いていなくて、今日は幾分暖かいみたいだった。僕らはこの間の、麻衣の父親が好きだった海をまた見に来ていた。 それまで、僕がヨウコに会いに行った報告を黙って聞いていた麻衣は少し歪んだ笑顔を僕に見せた。
「それで?」
 と麻衣は強い口調で訊く。僕が話を進めれば進めるほどこの子の機嫌は悪くなっていくみたいなので、僕は少し気後れして、煙草を咥えた。火をつけて煙を吸い込んで吐き出そうとした瞬間、麻衣は僕の肩を強く叩いて、僕は咳き込みそうになった。
「それでどうしたのよ? お姉ちゃんが泣いてから、あなたはどうしたのよ?」
 僕は仕方なく続けた。
「だから、ヨウコが泣き止むまで待ったんだ。それで、俺はヨウコに訊いた。お前はmisimaが嫌になって出て行ったのか? って。ヨウコは否定したよ。世話をするために父親の所にいったんだって。俺はヨウコにmisimaに戻らないか? って訊いた」
 僕がそう言うと、麻衣はため息を吐いた。
「で? お姉ちゃんは何て?」
「私がmisimaを離れたのと同じ理由で今戻るわけにはいかないって。親父さんの仕事の都合上、あそこを離れるわけにはいかないし、一人にしておくわけにはいかないからって」
 僕がそう言うと、麻衣は立ち上がって水平線を見た。
「運命ってすごいんだね」
 麻衣はそう呟く。
「みんな繋がって動いてるんだね」
 麻衣はそう言って、また座った。
「ねえ。あなたは何でmisimaに戻ってきたの?」
 麻衣が訊ねた。僕は目を閉じて少し考えてみた。
「何だろう。あの町の持つ何かに惹かれたんだろうね。俺は三年ほど前に就職のことで親と大喧嘩したんだ。親は自分の後を継いで欲しかったらしいんだけど、俺は嫌になった。それまでは親の言うとおりに勉強してたんだけど、ある時、何もかもが嫌になったんだ。そしたら、俺には突然居場所がなくなってしまった。親の家も、大学も、その町も、何もかもが自分に合わなくなっちゃったみたいだった。俺は家を飛び出して、友達の家を転々としているうちに、ふとmisimaのことを思い出したんだ」
 僕は短くなったタバコをもみ消して、麻衣を見た。麻衣は先を促すように頷く。
「misimaの思い出、といってもヨウコとか他の友達のことは殆ど忘れてたんだけど。もっと漠然とした雰囲気、町が纏った空気みたいなものをふと思い出したんだ。あの町なら俺にフィットするんじゃないかって。俺は友達に厄介になりながら、バイトして幾らかのお金を溜めると、misimaに来て安い部屋を借りた。それで仕事も見つけたんだ」
 僕がそう言うと、麻衣は頬に手を当てて微笑んだ。
「で? misimaは気に入った?」
「ああ、あの町に戻ってきて、俺はずっと無理してたんだなって分かったよ。それまでは随分、居心地の悪い所に住んでたなって。そして徐々にこの町での出来事も思い出した。それまでは過去のことを思い返す暇も無かったからね」
 僕はそう笑った。
「で、お姉ちゃんを思い出す訳ね」
 麻衣はそう言う。
「水谷ヨウコを思い出したきっかけは麻衣なんだよ。君はほんとに昔の水谷ヨウコにそっくりだ」
「へえ。じゃあ私ももう少ししたらお姉ちゃんみたいな美人になれるかな?」
麻衣はそう言う。僕は笑った。
「麻衣は今でも十分美人だよ」
「またまた」
 麻衣はそう言いながらも嬉しそうに笑う。そして笑いが徐々に治まると、少し沈んだ顔になって俯いた。
「ねえ……、お姉ちゃんはmisimaに戻ってくるよ。きっと」
 麻衣はそう言った。
「え?」
 僕は驚いた。
「何で?」
 麻衣は俯いたまま、足をぶらつかせた。
「私ね。お母さんに訊いたの。二人が何で別れたか」
 麻衣は僕を見た。
「二人はね、私が小さい頃に大喧嘩したんだって。お父さんは仕事の都合であちこち遠くに行かなきゃならなくなって、お母さんはあの町を離れるわけにはいかなかった。二人とも結構強情だから、お互い、自分と一緒にいてくれなきゃ別れるって言い張って、どっちも結局折れなかったの。で、お父さんは出て行ってしまって、お母さんは残されて、私にお父さんは死んだとか勢いで言ったの」
 麻衣はそこで少し笑った。
「実はあの二人離婚もしてないの。お父さんはハンコを押した離婚届を送りつけてきたんだけど、その日にはもうお母さんもハンコを押した離婚届をお父さんに送ってたの。だから、お互いに相手が出しただろうって思ってたらしいの。おかしいでしょ? うちの家ってそんななの」
 麻衣はそう言って、僕は頷いた。すると麻衣はまた少し悲しそうな顔に戻った。
「それで、話を聞いてみると、お互い強情を張ってるだけみたいだから、私が間に立って二人をまた元の様に一緒に暮らせるようにしようと思ってね。この一週間色々動いたのよ。そしたらね、お母さんは今なら仕事を辞めても構わないし、麻衣がどうしてもって言うなら、misimaを出てもいいって言うの。お父さんも、母子二人で路頭に迷うのは可哀想だから面倒を見るとか言って、本当は乗り気みたいだし、結局私がお父さん死んだと思ってたことが、二人が元に戻る障害だったみたいなのよね」
 麻衣はそう言って、ため息を吐いた。
「そういう訳で、私たちはmisimaの家を売って、お父さんの所に引っ越すことになると思う。向こうで家を買って、皆で住もうってことだったんだけどね」
 麻衣は僕を変な目で見た。
「あなた次第で、お姉ちゃんは入れ替わりにこっちへ戻ってくるのかもね」
 僕はそれを聞いて、立ち上がった。
「ヨウコのところに行くよ」
 僕はそう言って堤防を歩きだした。
「え? これから。今日はここで一日ノンビリするつもりだったのに」
 麻衣は不満そうに足をばたつかせる。
「ほら来いよ」
 僕は麻衣の手を引っ張って、立ち上がらせた。
「行くぞ」
 麻衣は渋々と立ち上がり、僕の後についてくる。
「何? 嬉しそうに!」
 麻衣はそう言って、僕の足を蹴飛ばした。

「misimaに戻って来いよ」
 僕がそう言うと、
「えー、どうしようかな」
 ヨウコはそう言って意地悪そうに笑った。
「別に無理にとは言わないけどね」
 少しカチンときて、僕がそう言うと、テーブルの下で麻衣は僕の足を蹴った。
「そんなこと言ってこの人、すごい戻って来て欲しいんだよ」
 麻衣はそう言う。
「なら、戻ってあげようかしら」
 ヨウコはそう言って、麻衣に向かってニッコリと笑う。
「良かったね」
 麻衣は僕に笑いかけた。

 そうしてヨウコはmisimaに帰ってくることになったようだ。安西家はヨウコと父親が暮らしていたアパートの近くに家を買った。僕はまた車を借りて、助手席にヨウコをのせて引越しを手伝いに出かけた。ヨウコを連れて車を借りに行くと、飯塚君は愛想良くヨウコと話していたが、ヨウコがソッポを向いた隙に、悔しそうな顔で僕の肩を思い切り叩いた。
 引越しを手伝いながら僕が見た限りあの親子は、長くはなれて暮らしていたのにも関わらず仲睦まじかった。夫婦が家具の配置などでムキになって言い争うと、麻衣が諭すように間に入って二人を叱った。僕とヨウコは二人で頷きあった。この家族は上手くいくに違いない。
 引越しも無事に終わり、安西家の家族に別れを告げた。帰ろうとして表に出て車のドアを開けると、麻衣が僕を呼んだ。
「ねえ、高速のパーキング覚えてる? 私が帰ろうって言ったこと」
 麻衣はそう僕に訊ねた。僕は頷いた。
「あの時引き返してたら、運命が全然違ってたよね。私があなたと一緒にmisimaにいて、ヨウコお姉ちゃんはお父さんとここに居た」
 麻衣はそう言って含み笑った。
「私がもうちょっと大きくなったら、あなた後悔するかもよ。私、もしかしたらお姉ちゃんよりいい女になってるかもしれないじゃん。どう?」
「そうかもね」
 僕はそう言って、二人で顔を見合わせて笑った。
「色々ありがとね」
 麻衣はそう言う。僕は微笑んだ。
「どういたしまして、なかなか楽しかったよ。また海に行こう」
 僕がそう言うと、麻衣は僕の肩に手を乗せて伸び上がって、僕の頬に唇をつけた。僕は驚いて、麻衣を見ると彼女は僕の肩越しにウインクをした。僕がその視線の先を見ると、ヨウコが冷ややかな目で僕を見ていた。
「へ〜。そういう関係」
 僕が言い訳をしようとすると、麻衣は僕の右腕に取り付いた。
「デートに誘われたんだー」
 麻衣はそう言うと、ヨウコは車のドアを開け、自分の荷物を取り出して家に戻ろうとした。
「待てよ」
 僕が慌ててヨウコの腕を掴むと、ヨウコは振り返ってニヤリと笑った。
「冗談よね〜」
 麻衣はそういうと、ヨウコに抱きついた。
「本気にして馬鹿みたいね」
 ヨウコは麻衣を受け止めて、髪をなでながらそう言った。僕はため息を吐いて車に寄りかかった。
 姉妹は嬉しそうに耳元で何か囁きながら、暫く抱き合っていた。辺りはもうすっかり暗くなって、新しい安西家の玄関の明かりが二人を暖かく照らしていた。
「ほら、もう帰るぞ」
 僕はヨウコに声をかけた。そして心の中でそっと呟いた。
『一緒に帰ろう。misimaに』
<了>
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