MISIMA

秋月ねづ

 僕は安西麻衣をカローラの助手席に乗せて、南へと走った。麻衣は水谷ヨウコの居場所を僕に教えなかった。私が連れてってあげる。と彼女は言って、さっさと車に乗り込んだのだ。
「どの辺なんだよ」
 僕は前を見たまま、麻衣に声をかけた。もう二時間ほど走っている。日は落ちようとしていて、もう薄暗い。僕は備え付けのライターを押し込んだ。麻衣は突っかけて来たサンダルを脱いで、膝を抱えて座っている。
「南よ」
 麻衣はさっき僕が聞いたときと同じ答を返して、僕は熱をためてカチンと跳ね返ってきたライターで煙草に火を点けた。レバーを回して、窓を少し開ける。寒い風が吹き込んで来て、暖房の熱をかき混ぜる。サンダルで軽く出てきた麻衣の様子からして、そう遠くでは無いだろうと僕は思ったのだが、良く考えてみれば、そんな保障は何処にも無かった。
「もしかして遠いのか?」
 僕は言って、彼女は首を振った。
「そうでもない」
「後、どのくらいだ?」
「もうすぐ」
 僕は車を南にもう一時間走らせた。もう真っ暗になっていて、鮮やかなテールランプの赤い光や、ウインカーの黄色が前の車たちを浮かび上がらせる。 緑色のデジタル時計が7:00を回った。
「おい」
 と僕は言う。考えてみれば、三時間も走っているのだ。もう少しだったとしても、帰るのに最低でも同じ時間がかかる。十時過ぎだ。十六歳の女の子の帰宅時間としては遅すぎるように思える。
「お前、門限とかあるんじゃないのか?」
 僕はそう訊く。
「あるよ」
 麻衣はそう答えた。さっき麻衣の声を聞いてから大分経っていたから、その声はすこし奇妙に聞こえた。
「何時だ?」
「九時」
 僕はため息をついた。間に合わないじゃないか。
「間に合いそうもないから、親に電話かけろよ」
 僕はポケットから携帯電話を取り出して、麻衣に差し出した。麻衣は首を振って、自分のを取り出す。僕は路肩に車を止めた。どう考えても、水谷ヨウコに会っている時間なんてない。機を見てuターンするしかないだろう。ホントこいつは何を考えてるんだ。
「ねえ」
 麻衣は言う。
「あ?」
 僕はuターンしようと後ろを見ていたが、振り返って麻衣を見た。
「何ていえば良いかな?」
 麻衣は電話を持ったまま無表情で僕を見てる。
「そうだな……。水谷のおじさんの知り合いを案内してたんだけど、渋滞しちゃって門限に一時間ぐらい遅れそうだ、って言えよ。また近くになったら電話するって」
 僕がそう言うと、麻衣はボタンを押して電話を耳に当てた。僕はまた後ろを振り返って車の切れ目を探した。
「あ、ママ? わたし、そう。」
 車が途切れて、僕はハザードを消した。
「あのねえ」
 今だ! 僕はアクセルを踏みこんだ。
「わたし、誘拐されちゃった」
 僕はそのままアクセルを踏みしめて、ほとんどドリフトのようにuターンして、反対車線の路肩に車を停めた。そして麻衣の手から電話を引ったくる。
「あのっ、もしもし? 嘘です、う」

『ポーン、十九時五分三十秒をお知らせします。ピッピッ』

 時報。僕は唇を噛んで麻衣を睨んだ。
「良くある冗談よ」
 麻衣はそう言った。僕は頭の中が真っ白になってハンドルにうつ伏せた。
「ごめん」
 麻衣はボソボソと謝る。
「そんないい反応すると思わなかった……。本当はまだ帰ってきてないんだ。うちの親」
 麻衣はそう言う。
「多分、帰って来るの十時過ぎると思う。お姉ちゃんの所にもうすぐ着くし、行けば泊めてもらえるから、お姉ちゃんに電話してもらうよ」
 僕はため息をついた。酷く疲れた。お好きなように。僕は黙って、もう一度車をuターンさせて南に向けた。

 三十分ほど走っていくと、麻衣は遠くの看板を指差して左折の指示をした。僕はずっと走ってきた国道を外れた。水谷ようこは僕を見たら何と言うだろう? きっと驚くだろうと僕は思った。でもそれは嫌な気持ちではないはずだ。僕はそう確信していた。そして僕は「久しぶり」と言うのだ。
 国道を外れてしばらく走ると、コンクリートの壁。三メートルほどの防波堤だ。僕は指示どうり車を右折させて、防波堤沿いの道を走る。この壁の向こうは海だ。国道を外れてからこのカローラの他に車はなく、街灯も少ない道をヘッドライトを頼りに走って来たけど、海に突き当たってからは多少明るくなったみたいだった。防波堤の上には街灯が転々と南へと伸びていく。
「ねえ、ちょっと止めて」
 麻衣は僕の腕を叩いて言う。僕はブレーキを踏んでそのまま道の真ん中に車を止めた。
「ありがと」
 麻衣はそう言うとドアを開けて、ジャンバーを羽織って外に出た。僕はギアをパーキングに入れて、煙草を咥えた。気持ちでも悪くなったのか? 僕がそう思って見てると、麻衣はヘッドライトの中を歩いて行くと、防波堤についていた梯子に手をかけてサンダルで危なっかしく上り始めた。
「おいおい」
 僕は外に出た。近づいていくと、麻衣は梯子を上りきって防波堤の上に立った。
 僕は溜め息をついて梯子を登った。防波堤の幅は二メートルほどあったが、海までの高さがだいぶあって覗き込むと僕は目眩がした。冷たい海風が吹きぬけていく。波が石にあたる音がして、海に落ちるくらいなら、道路に落ちた方が助かる見込みがありそうだと僕は思った。見ると、車はライトもエンジンも点きっぱなしで、ドアまで開いていた。僕は舌打ちをしただけで、そのまま慎重に歩いて、海を向いて座る麻衣の側まで行ってとなりに座った。当然のことながら、座った方が安定して恐くない。
「この辺まで来ると海はすごくキレイになるんだ」
 と麻衣は言う。
「この場所、お父さんが教えてくれたの」
 僕は海を見たが、真っ暗でキレイかどうかなんて分からなかった。
「お父さんは休みの日に良くここに連れてきてくれた。二人で海と空の間を見てたの」
 僕は短くなった煙草を防波堤に擦り付けて消した。
「水谷の居場所。ホントは知らないんだろ?」
 僕はそう訊いた。
「ごめんね」
 麻衣は俯いて寂しそうに呟く。
「どうしても、此処に来たかったの。ごめんなさい」
 僕は首を振った。仕方が無い。僕は自分の体が冷えていくのを感じた。麻衣だってそんなに厚着をしているわけじゃない。
「取りあえず、車に戻ろう」
 僕はそう言って立ち上がった。

「朝までここに居ちゃ駄目?」
 車に戻ると麻衣は言った。
「明るい海が見たい」
 僕は肯いた。エンジンかけっぱなしで、暖房をつけておけば暖かいし、車で寝る事もあるだろうと、トランクには寝袋と毛布も積んである。ただ、と僕は思った。
「門限は?」
 僕がそう言うと、麻衣は寂しそうに笑う。
「忘れてた」
 今の段階で、麻衣の母親を怒らせることはあんまり得策ではないと思う。水谷ヨウコの情報がもらえるかもしれないのだ。
「今日は帰ろう」
 と僕は言った。
「明日また来てやるよ」
「ホント?」
 麻衣は嬉しそうに言う。
「じゃあ、明日学校休むね」
 麻衣は自分の頬に両手を当てて言った。それで良いのか? 僕は首をひねりながら車を元来た道に向けた。
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