Column


March 31 - column - マジ釣り

 深夜2時半。慎ちゃんの4WDに乗り込む。続いてハルオさんをピックアップ。氣志團と松浦亜弥を大合唱しながら深夜の高速を飛ばす。
 6時。某千葉の地図にも記載されていない溜め池が絶好の釣り場だという。人影のない溜め池でさっそくバス釣りを開始する。が、引っかかる気配がない。朝日が昇り、朝もやともに拡がる田園風景を照らす。千葉の鄙びた風景の美しさにため息をつく。結局いないと判断し次の釣り場へ。
 8時半。大きな湖の誰も居ない一角へ。眼前は崖で、崖の上から長く伸びた枝が空を覆いのしかかってくる。水は沼のように濁っていて、魚がいかにも棲んでいそうな雰囲気がある。写真を撮るとなにか別のものも写りそうな印象もあるが。山頂付近に桜が咲いているのか、白い花びらが湖面に舞い落ちる。幽玄な風情。
 左手は拓けた湖が広がり、ボートで釣る釣り人の姿が見える。しかし釣れている様子は見て取れない。ともかく試しに投げてみることに。
 ぼくは自然相手の釣りは初めてで、慎ちゃんにさらに詳しいレクチャーを受けながら投げる。途中、枝にルアーを引っかけて失くす。
 すると何回か投げたハルオさんに当たりがきて、あっけなく1匹目を釣り上げる。少々小ぶりだが満足げに記念撮影。
 バスがいることがわかって、俄然やるきになったところでいきなり手ごたえが。
 流木などではない流動的で活きのいい手ごたえ。引き上げるとかなり小さなバスが。あっけないものだが、小ぶりでもバスはバス。記念撮影して解放してやる。
 これで素人二人に当たりが出て、ツアーコンダクターでありインストラクターでもある慎ちゃんに焦りが。そこで「ぼくたちは勝ち組になった。慎ちゃんが釣れなければ負け組どころか負け犬だね」と言う。そのプレッシャーが奇跡を生んだがその後連続してバスを釣り上げる。1時間粘るが後続はない。その後釣り場を三ヶ所変えたがもうバスを釣ることはできなかった。
 移動途中においしい蕎麦屋によって天ざるを食べたり、最後に寄った釣り場で昼寝したりして過ごした。釣り場はキャンプ場の脇で、芝生の上に座って釣っていた。空が青くて、山の木々を眺めながら小鳥の声を聞いていたらやはり眠たくなって、用意しておいた上着にくるまって寝た。夕刻に近かったので30分ほどで寒くて目覚めてしまった。おまけに帰り道氣志團をかけながらルート127を通って帰ってきた。10時帰宅。のんびりとした春の行楽だった。

 すいません。ネタにできることが生まれるかと思ったら、生まれせんでした。
 ああ、これも釣れてしまったからですね。バスが。
 釣れてなかったら全部無意味な一日になってたでしょうから。

 釣りって釣れなかったら本当にやる意味がない。
 なのにやってしまうのは恋と同じですか?


March 30 - column - 卒業イベント

 明日はクラスメイトの卒業イベントの予定だった。慎ちゃんに「もしやるならぜひ誘ってよ」と言って鼓舞して、1日から仕事という人間も多いから軽く集まって早めにサヨナラ。みんなでにぎやかに楽しも〜などと考えていた。山梨方面でバス釣りか富士急ハイランドかな、などと話していた。慎ちゃんは釣りの名人なのだ。
 夕方携帯にメールが入って「深夜2時出発します」と書いてある。いきなり強行なスケジュールに質問のメールを返した。
「2時って、みんな来れるの?」
「みんなって誰のことですか?」
「そういや誰がくるの?」
「ハルオさん、KENさん、しんちゃん、の3人ですね(^o^)」
「……それにしても2時は厳しくないか?」
「本職のバスフィッシャーと同じスケジュールです。朝にはポイントに付きますよ」
 31日にやろうと決めメールが流れたのは昨日。みんな忙しいのだ。富士急ハイランドでららら〜という長閑な休日ではなく、いきなり男のマジ釣りになってしまった本日。どうなるのか?


March 29 - column - 母さんへ

下駄箱はいま履かない靴を入れる場所であって、
捨てるのがもったいない靴を入れる場所じゃないんだよ……


March 28 - column - 月の明るい夜に

 今日は友人と釣りをした。帰り道ドライブしながら夕暮れ前、薄明のダムを見に行った。雲ひとつ無い空に宵の明星。澄み切った大気。音の無い光景。重なり合った山の稜線はグラデーションのようだ。藍色から紺味を増していく光。ひとつからふたつ。ふたつからみっつ。星がまたたく。その場から離れることができずに、立ち尽くす。
 すっかり暗くなり冷え切った山道を、車で引き返す。ドライバーが東の天に浮かぶ月を見つけて、車を停める。まぶしいくらいに月が、ダムの貯水池を照らし出している。古い桜の木が、ガードレールからはみだして垂れている。夜空は白い輝きを受けて灰色に染まっているように見える。また動けなくなって見つめていた。不思議な夜だ。

 美しい風景を見たとき、この光景を誰かと見たい、見せたい。感じたことがありますか。きっと大切な人なんでしょうね。
 なんだかうらやましい。


March 27 - column - 優しさの有限

秋月ねづ それより、BBSの「認識の補足や、反論」を訊きたいんだけど>K
KENSEI  ああ、秋月は双方に恋愛感情あること前提にしてるべ?<認識
前餅屋  私は中立でしばしROM
秋月ねづ いや、好意ってことだけど
KENSEI  だから添い寝するっていう選択肢が浮かぶんだけど、俺が想定したのは
秋月ねづ さすがに興味も無い男とホテルいかんだろ?
KENSEI  たしかにね<興味
KENSEI  ただそこまで期待させといて、え、なんで、というのはあるでしょう?
秋月ねづ そこんとこで、優しい男を作るのがポイント高いんだよ
KENSEI  とくに女性の態度の曖昧さや押しの弱さに、男がつけこもうとしたような場合。
秋月ねづ やるのなんてどうでも良いんだ。僕は君と少しでも長く過ごしたいからココに来たんだってね
KENSEI  たしかに秋月の行動はポイント高い(笑)
KENSEI  ただ俺は就職活動と重ね合わせたから、結婚式とかのほうが伝えやすかったかもね、と。
秋月ねづ うん。例えとして少し穴があったな
KENSEI  でもそこまで寛容でいられるものなのかな〜?(^_^;;<ココに来た
秋月ねづ 俺は平気。メリットとデメリットを考えるとそこで怒るのは得策でない
 凩   優しさじゃないじゃん、それ……。

(3月27日チャットログより)

March 26 - column - 分岐点

 昨日は修了式で、当然クラス全員で飲みに繰り出した。先生方も含めて約40人でバーを借り切る。大人数で飲むというのはやはり楽しいし、さらにはこうした飲みを仕切ってくれるグループがいてさまざまに盛り上げてくれる。(昨夜であれば先生方へのプレゼントや段取りやらをね)いい仲間に囲まれた。いいクラスだった。
 もう毎日のように顔をあわせないのが嘘のようだ。でもさよならを言うつもりもないし、言わせるつもりもない。
 まるでいつもの飲み会のように過ごし、夜が更けていく。朝までの覚悟をしている者もいれば、明日の予定にあわせて帰る者もいる。時間が進むうちに、店が替わるたびに、数人ずつ帰り支度をしては、去っていく。
 ぼくは終電直前まで飲むつもりだった。あるグループが帰ろうとするのを横目に話をしていると、突然耳元で名を呼ばれた。
「KENさん」
 振り返ると、仕切るグループがぼくの背後にいて、一人のクラスメイトがぼくにささやく。
「憧れの彼女は、駅まで送らなくていいの?」
「……はあ?」
 ぼくは思い切り不可解さを前面に押し出し返事をした。予想外の言葉だったからだ。そんな“憧れ”にぼく自身が思い至らなかったからだ。帰るグループの女性は、仲良く話していても別段意識したことはないし、多少の親切はぼくの専売特許というわけではない。彼女の周囲に輝く粒子が飛んで見えるわけでもない。
「具体的に、そういうことは全然ないから安心してくれ」
「いやでも、お友だちとしてでも。ね」
 彼が言って、隣のクラスメイトもうなずく。ぼくは喉の奥で笑いながら、そういう風に見られていたのか、そして心配してくれていたのか、となんだかうれしかった。
「大丈夫。大丈夫。ありがとう」
 こういうお節介は嫌いではなかった。ぼくは自分のなかに激しい感情がないか、改めて探った。ないな。ぼくは物苦しいようなさびしさが胸に湧き上がらないことを確信していた。そして彼女を送るという選択肢を考えてみた。べつにどうということもない。
 ふと思った。本当にそうなのだろうか?
 ぼくはそういえば今日、彼女とほとんど話せなかったことをどこかで残念に感じていないか? 席も隣になった場面を鮮明に覚えていないか? 必要以上に彼女を気にかけていなかったか?
 ぼくは確かめたかったのだろう。なにを? なにかを。
 しかし彼女はもういない。
 静かな水面にほんのわずかな波紋が広がっていて、彼らは見抜いていたということか。まったく。自分のことはやはり自分が一番見えない。
 もしかしたら人生の分岐点はこういうところに埋まっているのかもしれない。ぼくは苦笑した。苦笑してしまうのがいかにもぼくだった。


March 24 - column - 被害

 畏友迦楼羅と話した。就職について心は定まっていたけれど、心強い助言をくれた。
 社会において重要なのは、被害を最小限に抑えることだ、と。
 被害は必ず発生する。問題なのはその被害を隠したり、広げないように無理をしたりすることなのだ。そのひずみが大きくなって支えきれなくなったとき、被害は甚大になって現れる。だからもし君が道を違えたと感じたなら、その時点で公表し素直に進めばよい。逆にそれしか方法はないのだ。

 言い方が難しいかな?
 そうだなたとえば……
 ホテルまで入ってベッドで抵抗されたらサイアクでしょ?
 そういうこと。


March 23 - column - 発見

 マンガとかでよく美少女(美少年)の周囲にキラキラとエフェクトがかかっているが、あれは本当に存在する。
 クラスメイトにすごく好みの外見の女性がいる。美人だが人妻で、性格は「KENSEI的いい男ランキング」の第二位にランクインするくらいさっぱりとした人だ。かっこいい人で、どちらかといえばあんまり意識したことはない。
 その日は前日飲みで1時間半くらいしか寝ていなかった。彼女は美容院に行ったらしくパーマが緩やかにかかって、茶色い髪になっていた。すごく似合って、フェミニンというか、女の子らしくなっていた。ぼくは見とれた。
 彼女の周囲だけ光の密度が濃くて、輝く粒子が飛んで見えた。あの特殊効果は嘘じゃないんだと思った。

 ちなみに「今日メチャメチャかわいく見えるな。キラキラして見えるぞ」とほめたらガッツポーズで喜んでいた。


March 22 - column - 初恋

 今日一件面接を受けに行った。職種は営業。理由は……どうやら希望には届きそうにない。険しいのではなく、道が途絶えている。そう感じたからだ。この2、3日職安やら経験者に根掘り葉掘り聞いて、本をつくる職業はやはり編集者だということ。結局学校で勉強してきたことはあまり(編集職にとって)価値がないこと。そして募集も実務経験者ばかりでフリーターに逆戻りが関の山であることがわかったのだ。
 その会社は給料も賞与も休日数も申し分ない。製品も面白そうだ。会社の雰囲気も明るい。学校からの紹介なので特別に社長と専務に直接面接してもらうことができたのだが、二人ともかなりクレバーである。話していてこの二人の下なら働きやすいだろうな、と思った。なにより前向きで活気がある。業績も伸びている。文句のつけようのない会社だった。
 面接をなんどか経験するとうまくいきそうな気配がつかめるようになる。ぼくは飾らずに自分のことを話した。二人がどうやらぼくを気に入ってくれた感触があった。なるべく早く採用・不採用を提示する、と言ってくれている二人。不安があるならいくらでも聞いてくれ。丁寧に指導するし見学してってくれてもいい。ありがたい申し出だったが、同時に「落としてくれ」と願う心がどこかにあった。そうしたら正当にこの会社を断ることができる。
 ぼくはとっさに営業という職を選んでしまうことで今後のキャリアが確定されてしまう不安がある、と語った。しかし内心別の結論に達していた。夢を捨て去ることができるかどうか。その岐路にいる。
 いま営業として働いてしまえば本をつくるという希望はもうかなえられないだろう。三十代になってしまえば編集者への転職は困難窮まる。それだけ狭き門なのだ。しかしこの会社に就職しなければこれだけ条件のいい職場は現れないかもしれない。四月に食い込めば就職率は下がる。さらには粘ったところで編集者になれるかどうか保障もない。どうしても踏ん切りがつかない気持ちの正体は社会人への不安でも、営業という職に対する不安でもなく、夢を葬り去ることに対する躊躇だったのだ。

 この感覚は初恋に似ている。
 目の前に気の合う美人がいる。
 しかし、そのとき初恋の女性の影がちらつく。姿を見る。
 胸の中にまだ棲んでいるんだ。
 忘れられないんだ。

 一般的に言えば営業で勤めてしまえばいい。
 それが大人になるということだろう。
 しかし矛盾したことに面接するのが良い会社であればあるほど、強く感じるのだこだわりを。一度きりの人生、それくらいはわがままになってもいいのではないだろうかと。

 やはり初恋はかなわないものなのだろうか?


March 21 - column - 彼女の課題について

 以前書いたコラム「彼女の課題」について秋月から指摘があった。ぼくは“二つの課題を混同している”という。たしかにそうかもしれない。恋愛についての前提条件と、結婚についての障害。二つは似て非なるものだというのだ。

 ぼくが書きたかったことは最近注目されている作家白石一文がある女性に言わせている台詞。
「女性は愛した人に魅力を見つけていく」(すぐそばの彼方)
 ということだった。男は魅力をひとつひとつ見つけて好きになっていく。女は違う。もちろんほかにも要素は絡んでくるだろうから複雑だろうけど(たとえば三十路手前の女性に効果のある必殺技はプロポーズだとか)、なんだか周囲を含めて実例が積み重なって苦笑している。そしてぼくは語るべき言葉を失ってしまう。

 妹にも名言がある。
「お兄ちゃん。女にはね、愛してくれる人を見つけるか、愛する人にすがりついていくか、二つしか幸せがないのよ」
「……さいでっか」
 シナリオを勉強していたころ、女性の気持ちについてアドバイスを求めたときだ。随分極端なことを言う、と鮮明に憶えている。呆然としたことも。
 ぼくはそのことを結婚している女性の友人に話したことがある。彼女は妹さんは厳しすぎるような気がするなあと、つぶやいた。
「なにが幸せって、愛する人に愛されるのが一番の幸せでしょ?」
 ぼくはやっぱり苦笑する。

 なぜってどちらにせよ愛されなくてはならないからだよ。
 そんな自分、想像できた試しもないからだ。


March 20 - column - 一夜

 人生にはどうすればよかったのかずっとわからない夜がある。

「こういうときには嘘でいいから愛してるって言ってくれなきゃ」
「……」
 ぼくは彼女が酔っていることも、毎日に疲れて、ひどく傷ついていることも知っている。
 なにも言えなくて手をつないだままゆっくりと駅までの道をたどる。
 ダメな男なんだろうきっとぼくは。

 昨夜更新できなかった理由とはまったく関係ないですけどね。


March 18 - column - 歌詞

 以前宇多田ヒカルの「First Love」が流行っていたとき女子高生がTVで「歌詞がいいすごくわかる。出だしのとこ!」と絶賛していたが……

最後のキスはタバコのFlaverがした苦くて切ない香り

 てそのまんまなんですけど。
 かなりあきれた憶えがある。日本人の国語力も落ちとるのー、などと感じ同時にぼくの好きなCHAGE&ASKAなんかは廃れて当然なのかもしれないなー、と思った。ぼくの好きなフレーズというのはたとえば「HEART」という歌にある。

この薄い紙でさえ  ぼくの指を切った
眠っている間に  ふと外れた腕のように寂しい

 この詞。ふと入りこんでくる感覚を見事にとらえたフレーズだと思う。
 また「no doubt」のサビ。

僕らは愛の色を  伸ばしながら通り抜け
絵の具が切れたとこに
たたずんでいた  空と海を分ける線のように

 もちろん人によって違うだろうけど、美しい詞だとぼくは思う。言葉だけ取り出しても鑑賞が可能だ。CHAGE&ASKAは歌詞を大事にしている。そういうところも好きだ。
 当然12月に出たNEWアルバム「NOT AT ALL」も購入して聞きこんでいる。このアルバムには先行シングルの「パラシュートの部屋で」という歌も収録されている。CMにも使われた歌なので耳にした人もいることだろう。

空から
この部屋にパラシュートが降りて

 という出だしの歌だ。この歌。緩やかなグルーヴ感とメロディが心地よくて、MDウォークマンで聞いているとつい体を揺らしてしまう。
 歌詞を鑑賞してみよう。

空から
この部屋にパラシュートが降りて
君と僕の形をした部屋を造ってる

こんなに狭いシーツの部屋で 世界を感じ合う
今日も同じ分だけ 満たし合おうよ

君の聞き取れない言葉が 僕を幸せにするんだよ
もっと虹色で歌って

薄明かりで君の顔が 染まって見えるとき
僕は誉められてる 気持ちがするよ


 ア、ASKAさん??


March 17 - column - 米日2

 アメリカでは後日、食事して遅くなったときホテルが危険な場所にあるのでタクシーに乗った。そのときは黒人の運転手さんだったのだが、料金は7ドルで非常に丁寧な応対。精算のときちょっと怯えていた自分に苦笑した。

 リトルトーキョーではかつ丼を注文したら、良く似た不気味な食べ物を出された。(素揚げした豚の肉と、これも素揚げした卵を一緒にべちゃべちゃのライスの上に盛り、甘い汁がかけてある)ほとんど残した。

 あと、よくホットドックのスタンドが立っていて、コーヒーを一緒に買い、去っていく人を見かけた。ぼくも一度食べてみたいと思い、ホテル近くの路上でスタンドに寄った。適当に「ホットドックくれ」とでも言ったはずだ。おじさんがニコニコしながらパンを片手にトングでソーセージをはさんだ。アメリカのホットドックには薬味がいっぱいあって、玉ねぎやパセリやコーンらしきものも様々に並んでいる。おじさんはニコニコしながらどうだ、とぼくに目で問いかけた。どうせなら試してみるか。ぼくはうなずく。
 おじさんは次はどうだ、と目で聞いてきた。ぼくはうなずいた。
 おじさんは次はどうだ、と目で聞いてきた。ぼくはうなずいた。
 おじさんは次はどうだ、と目で聞いてきた。ぼくはうなずいた。
 おじさんは次はどうだ、と目で聞いてきた。ぼくは適当に試してやれ、とうなずいてきたことが急に不安になった。首を横に振った。おじさんは信じられない、という顔でぼくを見た。さらに不安は募るが、どうやって英語で訂正していいのかわからないので黙って流した。
 おじさんはどうだ、と今度は英語で聞いてきた。ぼくはよく聞き取れず今度はうなずいた。本当にいいのか、とでも聞かれたのだろう。するとおじさんは口を開けて「この世のバカを見た」と言わんばかりの表情をしていた。ぼくは代金を払って部屋に戻り、なんだろうあのおじさんはと思いながらかぶりついた。
 そのホットドックにはケチャップもマスタードもついてなかった。

 米日を語る教訓。
 アメリカ人は強盗です。
 日本語を喋れる他国人は優しいです。
 アフリカン・アメリカンは良い人です。

 あと、ホットドックにはケチャップが必要です。


March 16 - column - 米日

 ちなみにぼくはアメリカ人が嫌いだ。
 これは明確に言える。なぜならぼくは17歳のときにロスを旅行したことがあるからだ。

 当時アメリカに憧れていたぼくは、友人と一緒に留学のクチを求めて渡米した。結局留学そのものは金銭的な都合で断念したのだが、生の米国に触れるよい機会だった。
 空港に降り立ったぼくらは予約した安いホテルに向かうための手段を探していた。バスで行くか、タクシーでいくか。二手にわかれ交通手段を聞き込みすることにする。どっちの英語力が上か勝負。ぼくは空港前の植え込みに大韓航空の旗を持った白人の男性がいることに気づいた。この人なら旅の情報に詳しいかもしれないと近づき、緊張するアタマを落ち着けて中学英語のフレーズを組み立てる。ホテルの地図を取り出して、声をかける。
「Excuse me, I want to go to this hotel. Please show me the way」
「ニホンノカタデスカ?」
 予想外の展開に呆然。
「アア、コノhotelならshutleにノレバツキマスヨ」
 話を聞いてみるとシャトルというのはどうやら定期的に出ているバスのようなものらしい。空港から相乗りするようだ。バスより早いしタクシーより割安だという。ぼくは男性に礼を言ってshutleの乗り場を探すことにしたが、ちょっとがっかりだった。だって、アメリカに来てのファーストコンタクトが日本語だったなんて。

 シャトルの乗り場に白いスポーツタイプのワゴンが停まっている。友人とぼくが歩いていくと、サングラスをかけた若い白人男性が声をかけてきた。言葉は明確ではないが、お互いなんとか意志疎通をとると、地図に載っているホテルまではFifteen dollarsだ、と言う。日本でタクシーに乗ってもそれくらいだろう。当時のレートで約2000円。問題ない二人でなら1000円だ。ぼくらは後部座席へ乗り込んだ。
 シャトルはホテル前に着いて、ぼくらは荷物を持って降りた。男性が降りてきて開いた両手を伸ばしてくる。
「Fifty dollars!」
「フィフティ? フィフティーン?」
「No. Fifty dollars! You and you」
 男性はぼくと友人を一人ずつ指差して言う。一人50ドル。100ドルだというわけだ。やられた。日本人相手だからだ。ぼくと友人は無言で視線を交わす。初めての海外。17歳。相手は金髪の白人。腕も太い。まさかいきなり拳銃を出すなんてことはないだろうが心細い異国の路上。
 ぼくと友人はなけなしの50ドルを財布から抜いて渡した。
 いまだったら、とは考えるけど、やっぱ渡すだろうな。怖いもの。

 この一人でもってアメリカ人を語るなという理屈もわかる。
 そんな心構えで海外に行くな、という理屈もわかる。
 でも少なくともそういう偏見を抱いても許される体験。
 はっきり言います。
 アメリカ人は強盗です。


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