Column


January 31 - column - KENSEIは常識人か?

 チャットでそんな会話がログとして残ってましたが(そんなネタばっかりです)、わたくしKENSEIは常識人ではありません。人の目を気にして、良く見られたいと常に振舞う、見栄っ張りな、ただの意気地なしでございます。
 そういう感覚を小説にしてみたいとは考えるのだが、なかなかねえー
 ちなみにそんな小説、俺は読みたくないよ。


January 30 - column - 気楽に書こうか?

 冬短編掲載が難航している。ひとえにぼくの所為だ。凩くんは過去に書いたものだし、秋月は長編に専念するために掌編のみを書いた。煎餅屋さんは遅れているものの着実に進んでいることだろう。ぼくは構想らしきものはあるが一枚も書けていないも同じ状態だ。パソコンとにらみあいをする気分にもなれず、天啓がおりてくるのを待ちわびているだけだ。全体の見通しが立たないと書き始めることができないので、ひたすらストーリーが固まるのを待っている。同時に固まらないことにも薄々勘付いている。毎日毎晩小説のことを考えて初めて、わずかにでも小説を創るヒントが見つかる。その小片をかき集めて一篇は編み上げられる。そんな集中をしていない。いそがしいのはもちろんだが、考えても浮かぶのは所詮「サラダデイズ」と酷評される程度の出来だ。編んではほどく。そのうち編むことも次第に忘れてしまう。
 そんなある日凩くんから電話があった。用件が済んだあと彼は先日煎餅屋さんと久々に遊んだ話をし始めた。
「それで煎餅屋が、KENSEIさんがよくお約束を抜け出せないから書けないとか言うけど、そんなの簡単に抜け出せたら誰も苦労なんかないっちゅーの、って言ってたよ」
「ぶっちゃけたか?」
 煎餅屋氏はぶっちゃけた話をするのが好きなのだ。ぼくは苦笑した。それでも胸の奥で負けん気に火が燈ったのは抑えきれなかった。
「……なら当然きみは俺を満足させる出来のものを読ませてくれるんだろうね、と伝えておいてくれないか?」
 凩くん流の焚きつけだということは理解していたが、ぼくは挑発に乗った。
「どうしてうちのページの連中はケンカごしなんだよ?」
「小説よりも、書いてるヤツのほうがおもしろいのが、このページの欠点さ」
 そんなわけでコラムと称した愚痴めいた文を書き散らしているわけだが、小説は全く書けていない。ぼくは凩くんにも言ったが、それだけの丹精をこめなければ小説は生み出せない。それだけの精力を傾ける価値を自分の文に見出せるか、ということなのだ。

 テレビでお笑い芸人を観ると、なんでこんなヤツがお笑いなんてやっているんだ、と感じることはないだろうか。若手しかり。売れない芸人しかり。ジョークならここに集まるチャット仲間のほうが幾分もマシだ。しかし、どんなにつまらなくても、芸人は芸人だ。芸人とは、芸に賭けてしまった人間のことだ。生活できるとか、おもしろいとか、他人が換算できる価値ではない。自分の人生を踏み切ってしまった。それが芸人なのだ。どんな職業でもおそらく変わりはしまい。だからぼくは自分に問いかける。そこまでして小説を書き続けたいか? 迷った時点で、リタイアは確実視だ。純粋に文を書くのは楽しい。しかし秋月の力量や凩くんの奮起でこのサイトはプロを目指すレベルをお互い求める場になってしまった。そういった雰囲気を助長した自分もいる。書きたい作品とのギャップは年をとるごとに増していく。

 様々なサイトを巡った感想から、文芸サイトとしてのレベルは高いと自負もしている。(もちろん突出した素晴らしい文芸サイトがあることは否定しない数えるほどだが)時折思い出したようにほかの文芸サイトをめぐり、200枚くらいのジュブナイル小説の冒頭を読んで、なんでこの人はこんな作品を書きたいと感じる、もしくは書いてしまうんだろうと正直あきれることがある。友人の迦楼羅は「趣味、なんだよ。書いてて楽しいから書くんだよ」とぼくの疑問を氷解してくれた。書くのが楽しいから、考えるのが楽しいから、なにかの合間に、例えば学校や会社の合間に空想してしまうのだ。宮部みゆきがある賞の選評でコメントしていた。「みなさん。小説を書くのは楽しいことです。大いに楽しみましょう!」そんなことを忘れてしまっていた。
 で、ぼくはここまで書いてきて、やっぱり気楽に行こう、と感じた。冬短編はもう少しかかるかもしれない。ぼくが小説を書く楽しみを思い出すまで。お約束は抜け出せないだろう。でもきっと、掲載する。これは約束する。


January 29 - column - 核戦争後の世界

 最近頻繁に、ホームページ上で仲間と掌編の競作を行っている。今回のテー マは「核戦争後の世界」。掲示板を見ると決まっていた。かなりの難題ではあ るが、いまはともかく書くことが重要だ。ぼくは休日の午後、ジュンパ・ラヒ リの短編集を読み終えたあと、週末の締切りに備えて、構想を練ることにした。
 核戦争後の世界か。有名なのは「北斗の拳」だが、あれをあのままやるわけ にはいくまい。日本が舞台なら、核を放つのは北朝鮮か、中国か。いや、現時 点世界でもっとも核戦争が起こりやすいのはインドとパキスタンの両国間だろ う。なぜなら、対立の根底には宗教があるからだ。ジュンパ・ラヒリから仕入 れた豆知識を元に類推すれば。では、大陸から日本列島をまきこんだ破壊が起 こったとして、どんな世界が広がっているのだろうか。ぼくはイメージをふく らませようとして、ふと、苦笑を漏らした。
 まるっきり、リアリティのないことに……
 思い出したのは昨夜のチャットだった。

 先日ホームページをYahoo!のリンクに登録しようと思い立ち、50文字以内 の推薦文が必要になった。そこは文芸サイトだ。ただの説明ではなく、短いな かでもセンスを感じさせる一筆が欲しい。ぼくが仲間に計ると、秋月が「主に 書いてる四人の、小説のイメージを並べてみたらどうだろう」という提案をし てきた。「○○のような」「○○のような」小説たちのページです、と。そこ でチャットルームにいた秋月ねづと煎餅屋さんとぼく、三人でイメージを捻出 することになった。その日はねづと煎餅屋さんが、ぼくの書く小説をイメ ージ化してくれたのだが答えは、
「窓越しの雨のような」
 だった。
 ぼくは苦笑しつつも受け入れ、二人の感性の的確さに驚いていた。窓越しの 雨。ガラス越しに、雨が降っているのは見える。雨は水でできている。冷たい。 でも、その雨に濡れたことはない。この温かい部屋から、一歩も外へ出たこと はない。ぼくの小説を読んでくださった方はお気づきだろう。この雨の名は、
「恋」だ。

 昨夜のチャットでは、秋月の小説のイメージを確定することになった。煎餅 屋さんは「幸せの残像」だという。ぼくは「面影」のほうが柔らかいんじゃな いかな? と修正を求めた。そんなとき、秋月自身に自分のイメージを聞いて みた。すると戻ってきた返答は「別れた妻(恋人)」だという。ぼくはふと人 生の皮肉を感じて質問した。幸せの残像は別れた恋人。
  KENSEI なぜ不幸になるとわかっていて、別れるんだろう人は?

 すると、二人は答えた。
  秋月ねづ そうしないと二人とも前にすすめないことがある
  煎餅屋 わかります。二人でいると動けなくなる

 ぼくは、あーなるほどね、と納得して、その得心が知識に過ぎないことに気 づいた。そういう話を読んだことがある。読んだことがあるから、わかる。ぼ くは女性と付き合った経験などないし、そんな心情にいたったこともない。つ まり、こんな風に翻訳することができる。

  KENSEI 核ミサイルにあたるとどうなるんだろう?
  秋月ねづ 核融合でいきなり9000度で焼かれるんだぜ。ツライよ
  煎餅屋 わかります。意識なんて一瞬で消し飛びますものね

 核戦争と比べるな? でもぼくにとってのリアリティは、どっちも大差はないのだ。こうなってくると「13デイズ」のようなポリティカル・サスペンスでも撮れそうな気分になる。ねづは、イカれた軍人の役でぜひ出演してほしい。ゲイリー・オールドマンの向こうをはって。核ミサイル発射の決断を迫るのだ。

 ぼくは核戦争後の世界に生きたことは無い。
 ぼくは窓越しの雨を想い、核戦争後の世界を想う。
 でもそれはきっと、ひどく滑稽なことなんだろうな。


January 28 - column - 相撲は格闘技である

 大相撲初場所。優勝争いを演じていたのは大関千代大海と、新大関栃東。1敗の千代大海を2敗の栃東が追い、千秋楽の直接対決に栃東が勝てば相星。優勝決定戦にもつれこむことになる。
 まずは本割り。結び前の一番。にらみあう両者がぶつかりあい。千代大海が嵐のような突きを浴びせる。栃東は必死でしのぐ。顔を幾度も張られながらもあごを引いて下がらない栃東。勢いで追い込む千代大海。土俵際。張り出そうとする千代大海を左へ回りこみ、いなす栃東。そのまま頭をつけて、押し出す。一瞬千代大海が滑ったようにも見えたが、焦りで腰が伸びきってしまった隙を栃東は逃さなかったのだ。場内の温度を上げるような名勝負だった。
 10分の休憩を挟んでの優勝決定戦。両者の登場は対照的だった。髷は乱れたままだが、呼吸の乱れの無い千代大海。千代大海は控え室で立ち尽くし、時折動いては止まり、動いては止まりを繰り返していたという。一方髷を整えたものの、疲労の翳が濃い栃東。顔が赤くはれてきている。
 ぼくは大一番、どちらがどう仕掛けるのか。予感に興奮していた。さっきと同じ展開にしてはならない。両者ともそう考えるはず。
 優勝決定戦。転瞬。
 伏した千代大海と、勝負を制した栃東の姿があった。
 栃東は立ち合いから左に変化し、前に出た千代大海を突き落としたのだ。千代大海は先ほどの失敗にこだわりすぎ、栃東はもう同じ相撲をとっても打ち負けることをわかっていた。変化は読まれれば負けが確定する。栃東は賭けに勝ったのだ。「よっしゃあ、見事!」と膝を叩いたが、解説者の親方たちは「残念だ」というコメントを連発した。なぜなら変化しての勝利は相撲にとって(とくに上位の力士にとって)好ましくないものとされているからだ。たしかに変化ばかりする相撲は面白くない。相撲は国技であり、相撲は相撲なのだ、という論もあろう。だがわずかでも総合格闘技というものを知り、また勝負というものを一分でも理解するものは逆に栃東の勝利がいかに困難だったかを察することができるはずだ。
 安易な変化は認めまい。だが格闘技の真髄を感じさせるようなこの一番を、観客はどれだけ理解しているだろうか。

http://sports.yahoo.co.jp/sumo/headlines/mai/20020127/spo/19510200_mai_00000045.html


January 27 - column - 秋月ねづとの対話U

 ある日ぼくはねづと飲んでいた。
「告って振られたよ……仕方ないんだけどさ」
「勇気あるなあ。俺、女に自分から行ったことないからKENのこと尊敬するよ」


January 26 - column - 秋月ねづとの対話

 ある日ぼくはねづと飲んでいた。
「なあ秋月、ONEって知ってる?」
「リチャード・バックの?」

 ※「ONE」tacticsの発売する18禁ビジュアルノベル。
 ※「ONE」リチャード・バックの書いた長編小説。バックは「かもめのジョナサン」で有名。


January 25 - column - 運命あるいは三人の人妻

「運命って存在するのよ」
 ぼくはある女性に会うため愛媛へと来ていた。晩夏。広島への貧乏旅行の帰り道、フェリーを使って寄り道したのだ。その女性はぼくのメル友で、ぼくを暖かく見守ってくれる人だった。バイトの先輩だったが、旦那さんの転勤で四国に引っ越したのだ。
 ぼくはいつも悩んでいるが、そのころはとくに悩んでいた。いや、悩んではいなかった。決断はしていたからだ。その決断を実行に果たして移せるのか。眺めている瀬戸内の海のような、ゆるやかな焦りと不安があった。ぼくは会って迷いを断つ手がかりがほしかった。
「その人が相手のときは話がスムーズに進んでいくの。なんの障害もなく。うまくいかないと悩むのは、あわないんだよ。きっと」
 旦那さんとの馴れ初めを聞きながらぼくはそっと微笑んだ。旦那さんのことを語る口調が感じさせていた。惚れているんだなあと。
 関東に戻ったぼくは案の上、簡潔に振られる。予言通りに。

 こんな話を聞いた。ぼくが本屋でバイトしていたころ、レジへ一緒に入った女の子と恋人の話になった。彼とは中学生のときに出会ったのだという。
「初めて見たときに、わたしこの人と結婚するな、って思ったんです」
「……それは、ひと目ぼれってこと?」
「ううん。そういうんじゃなくて」
「そのときに恋愛感情はなかった?」
「友だちでしでしたけど、恋愛感情はありませんでしたねえ」
 不思議な話だ。それから何年かたって二人は再会し、いま彼女は新婚さんである。

「あなたは相手を選んでる。合理的な人だと思う。遊びじゃつきあわないでしょ」
 ある忘年会の席上で、ウチのダンナもわたしと付き合う前そうだったから。と彼女は真顔でぼくを分析してみせる。
「でも……」
「大丈夫。全部今までのことチャラになるから。だって、出会ったらその人なんだから。過去なんて、あってもなくても同じよ」
「……」
 ぼくは、運命を信じたことはない。でも、彼女たちは例外なく幸せそうに語る。だからぼくは誰かにとって少なくとも、そう信じさせるような存在になりたいと思っている。


January 24 - column - 雨のち晴れ

 音楽を聴くとその時代のことを思い出すという。歌と記憶は密接に絡まりあって、聞くたびに追憶をひそやかに運んでくれる。ぼくの学生時代は、なんといってもMr.Childrenだ。ほかにもELTやGLAY。個人的な思い入れは人によるだろうが、予備校・大学と過ごした毎日で耳にした曲はどれも鮮やかに刻まれている。
 そんなミスチルのベストアルバムが発売されたとき、ほとんどはすでに所持したアルバムに収録されているにもかかわらず、2枚とも購入してしまった。
 あれから随分と経った。改めて感じるのは1枚目の「1992-1995」に収録された「雨のち晴れ」を聴いたときだ。この曲を学生のころは「ああ、こういうものなんだろうなあ」という想像で聴いていた。メロディの口ずさみやすさと、こういう気分になるのもわかるなあ、という気持ちで歌っていた。
 いまは違う。

 母親と二人で夕食をとりながらTVを見ていたときのことだ。収納されたシートを広げれば7人乗りも可能、というツーリングワゴンのCMが流れた。にぎやかで楽しそうな車内。唐突に母が言った。
「ああいう車がいいねえ。欲しいねえ」
「……」
 ちょっと待ってください?
 当家の家族構成は父、母、ぼく、そして妹。4人である。しかも、全員乗ったとして3席も余るのだ。親戚が大挙して訪れるわけでもない。母親が友人とドライブに行くわけでもない。なぜ? なにゆえ7人乗りを求める母??
 聴こえてくるのだ。桜井の歌声が。

 生きてるうち孫を抱きたい  それもわかる気がする〜

「我が家が7人乗る機会なんてないから無駄だ」
 ぼくはしかめ面で断言したが、内心泣きが入りそうだった。
 わき腹を手で間断なく突かれているようだ。
 それは嫁と孫がほしいってことですか母。
 最近、シャレにならないんだって。だから。
 そんな当てないんだよ。


January 23 - column - 包丁男

 嫌な夢を見て目覚めた。
 ぼくはなぜか屋内プールで恋人とじゃれあっている。この恋人という設定の女性は最近振られた人なのでこれだけでも嫌な夢だが(いや甘美な夢だが)、画面は急展開しぼくの住んでいる家の場面になる。恋人はシャワーを浴びている。ぼくはそう広くもないダイニングキッチンにいる。木目のテーブルと6脚の椅子。ドラマにでも出てきそうなDKだ。突然ドアが開いて、恋人が白い裸身をさらしながら駆け寄ってくる。髪に赤いタオルを巻きつけ、赤いバスタオルでかろうじて前を隠しながら。
「変な人が!」ぼくに抱きついた彼女が指さす先に淀んだ目つきをした猫背の男が現れる。男は薄汚い格好をしていて、左手に長い包丁を持っている。ぼくはどこかで夢だとわかっていて、それでも恐怖で動きが緩慢になっている。男は機械的な気配で歩み寄ってくる。恋人はぼくから身を離し舞台を降りてしまう。ぼくは彼女の裸身から赤いバスタオルを剥ぎ取る。面倒くさいなあ、と思いながら。適切な行動だ。刃物を手にした相手に対する護身術の一つで、闘牛士のように布を体の前になびかせ距離感を狂わせるのだ。相手が突いてくれば布ごと相手の腕を絡めとってしまう。さあ、やろうか。
 というところで目が覚めた。
 起床時間の1時間前。嫌な時間帯だ。ぼくはしまった、と思った。もっと積極的に攻めるためにはテーブルをひっくり返して、椅子で殴ればいいんだ、と。ぼくは椅子で殴られそうなった経験があるので有用性は承知していたのに。不覚だった。でも同時に気づいた。実は夢のなかでさえ恐怖して、さらに戦うのはつらいなあという気分が支配していることに。17歳のバスジャック事件のとき一人だけ逃げたおっさんがいた。ぼくはそのおっさんに同情はしないが共感を覚えることができた。たかが夢で大げさだが、刃渡り20センチとかいう刃物の前で通常の人間は無力だ。改めて確認しておかなければならない。そして貿易センタービル激突テロのハイジャック犯へ、果敢に挑みかかり墜落死した人たちのことを考えた。やはりすごい。でも、多人数だからできたことなのかもしれない。
 イタリアの古い映画にこんな筋のものがある。あるカップルがデート中に二人組の暴漢に襲われる。暴漢の狙いは女性だった。男性は抵抗するがかなわない。このままでは二人とも殺されてしまうだろう。女性は男性のためにも、愛する人の目の前で暴漢に身を任せる……なにかで読んだだけなので結末も知らないし、タイトルも忘れてしまった。でも、この恋人同士はどうなったのだろう。ぼくなら耐えられるだろうか。それとも意外と割り切って生きていけるのだろうか。どう考えてもこの恋人同士は別れるしかないのではなかろうか。生きていくのと殺されてしまうのとどっちが苦しいだろうか。
 正直に言おう。暴力はつらい。痛いのは食らいたくない。よく肝に銘じておくべきだ。しかしそれ以上に必要なのは、そのことを知った上で、行動するということではないだろうか。そして感じたのはやっぱりぼくは、その彼女のためなら、包丁男とくらい戦えるということだ。


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