第7章


 『解決はいつもダミー

「佐伯……君はどうして、自分がどこに行っても迫害される、もしくは人々の輪の中に入っていけないのか、考えた時はあるかい?」
 堀田の言葉に佐伯は深く頷いてみせる。
「何度も。理由は簡単ですよ。私が……あくまで狭いコミュニティの中ではあるけれど……特殊だからですよ」
「特殊」堀田はその言葉を舌の上で転がすように発音する。「良い表現だ。特別、じゃなくて特殊。普通の人間から、その集まりから弾き出される人間を表現するのに、それ以上良い表現は俺にはちょっと思い浮かばない。人と違う人間。宗教の教祖の娘、人の心を読む事のできる気味の悪い能力の保持者。そうした人間は……特にこの国では……普通の人間から敵意を向けられるために存在しているような物だ。普通じゃないから。戦後、個人主義をうたったこの国では、しかし普通でない人間は生き辛くなるようにできているのさ。でも……じゃあ『普通』って何だ?」
 早枝は即答する。
「その場所に生活する人間の中で、マジョリティの中に存在している行動や考え方の事ですよ」
「そう、そう定義するしかない。『普通』なんて本当はどこにも存在していないから。人間は誰もが違う。世界中をどれだけくまなく探しまわったとしても、全てにおいて同一である人間は見つけられない。だけど文化や教育によって似通ってくる所は当然出てくる。その似通った場所、それを俺たちは『普通』って呼ぶんだ」
「おい……一体、何を話しているんだ?」
 苛立たしげに志賀が言葉を挟む。
「まあ慌てるなよ、話はこれからだ」
 堀田は屋上の端に並べられた、胴くらいまでの柵にもたれかかる。
「そうして『普通』と呼ばれる人々は、彼らが多数に属している事に背中を押され、少数を責めるようになるのさ。何で? それは簡単だ。人を傷付ける事が楽しいからさ……とても抵抗し難いほどに。なぁ、知っているだろう?」
 不意に振り返り堀田は尋ねる。その視線の先には志賀がいた。
「な……何の話だよ?」
 言葉をどもらせる志賀に冷めた微笑みを向けると、堀田はまた志賀から視線を逸らして言葉を続けた。
「俺は知っているんだ。俺はそうやって人を傷付ける事を楽しんできたのだから。中学生の時、好きな女の子がいた。自分があんなにも何かを欲したのは生まれて初めての事だった。だけど彼女は俺のモノには決してならなかった。俺は彼女を憎み、そして激しく傷付けた。俺は……俺はあの時、確かに楽しかったんだ。どれだけ否定したくても、胸元にべっとりと貼りつくように楽しみが溢れてきていたのを俺は知っているんだ。だから……志賀、俺にはお前の事が分かるんだよ」
「お前に俺の何が分かる!」
 不意に激昂する志賀。そんな叫びを気にする素振りも見せずに堀田は言葉を投げつけた。
「……同じなんだろ? お前は佐伯の事が好きだった。だけど言えない。自分はいつも多数の方でいたかった、迫害される方には回りたくなかった、正義の側にいる人間でいたかった。だから……お前は犬の首を送りつけるなんて嫌がらせをしたり、予言メールが来たなんて嘘をついて佐伯を傷付けようとしたんだろう? 好きな女の子が自分のモノにならないなら、誰も近づく事ができないようにしむけ、自分の事しか考えられないくらい深く傷つけたかった……それがお前の愛情表現だったのさ」

「……違う、違う! 嘘をつくな堀田、俺はそんな事……考えちゃいない!」
 堀田に飛びかかろうとする志賀。だが堀田にたどりつく前に、その両腕は横から飛び出してきた腕にガッシリと捕まれていた。
「な……!」
「それは……本当の事なのか?」
 須々木が乾いた声で尋ねた。信永が冷ややかな目で志賀を見る。
「ほ……堀田を信じるのか?」
「信じるんじゃない。ただ……志賀、君の事を疑っているんだよ」
 岩瀬の言葉に志賀が腕を振りほどこうと体を横に揺さぶる。
「嘘だ! 堀田の言う事は大嘘だ!」
「へぇ……俺の言っている、何が嘘だって言うんだ?」
 志賀の目の前に立ってみせる堀田。
「全部、テメェが言う全部が嘘っぱちだって言うんだ!」
「そうか、じゃあそれが本当かどうか試してみようか」
 言って堀田は体を横にずらす。志賀の遮られていた視界の中に早枝の姿が浮かぶ。
「一つ……言ってみようか。『俺は佐伯の事なんか好きじゃない』……そう言ってみろよ」
「当たり前だ! 俺は……俺は佐伯の事なんか全然好きじゃない!」
 それと同時だった、早枝の顔色が急変する。彼女は志賀の言葉に『嘘』を見たのだった。彼女の表情を見れば『人の心が読める』と言っている彼女が、本当に志賀の心を読み、その言葉が嘘だと読み取ったんだ……そう誰もが理解しただろう。最悪な告白。それを堀田は志賀から引き出してみせたのだった。
「やめろ……やめろ、俺をそんな目で見るな! 嘘だ! お前に人の心なんて読めるものか!」
「じゃあ……お前は認めるんだな?」
 志賀の耳元で堀田はそっと囁く。
「お前たちが信じていた予言メール、あそこに書かれていた内容なんて嘘っぱちだと。少なくとも志賀は信じていないと、そう言うんだな?」
「ち、違……」
「違わない、ね」
 堀田は添えるように、指を志賀の眉間に当てる。志賀は崩れ落ちるように膝をつく。
「そう、何も違わない。本当は予言メールなんて志賀のでっち上げだったんだろう?」「違う」「佐伯を傷つけたくて、須々木と岩瀬と信永を扇動しただけなんだろう?」「違う」「佐伯の事が好きなのに、距離が計れずに……ただ傷付ける事しかできない幼稚な感情を持て余していたんだろう?」「違う!」
「……それじゃあ志賀は信じるのか? 本当に佐伯にはそんな能力があると。それを信じて、お前は立ち向かっていけるんだな……凄いな、尊敬するぜ」
「立ち向かう……何に?」
 聞いて顔を上げる志賀、その動きがピタリと止まる。見てしまったから。
 堀田の肩越し、そこに早枝がいた。今までに彼が見た事のない表情で。そこにはもう怒りや憎しみは感じられなかった。そこから感じ取れるのは、ただ憐れみ。
 自分より下にいる人間を、理解できないまでも否定しないでいようという一方的な優しさ。それが憐れみの視線となって志賀を貫いていた。
「な……」立ち上がり、足を再び踏み出そうとする志賀。「何て目で俺の事を見てやがる!」
 堀田は彼を抑えつける。
「離せ! 殺す、殺してやるんだ! 俺をそんな目で見る奴はみんな殺してやるんだ!」
「へぇ……」しかし落ちついた口調で堀田は問い返す。「それじゃ、彼らも殺すのかい?」
「なん……だって?」
 恐る恐る視線をずらす志賀……その視線の先に彼らはいた。須々木、岩瀬、信永の三人が。
 早枝と同じように憐れみの目で志賀を見据えながら。
「ちが……」
 言い出そうとする言葉が最後まで出ずに、志賀はイヤイヤをするように首を振る。
「俺たちはただ、志賀の手のひらで踊らされてたって訳か……」
 須々木が吐き捨てるように言う。志賀は肩を落とす。もはや何も言い返す気力はないというように。
 それ以上、何も言わずに立ち去っていく須々木、岩瀬、信永の三人。その後ろ姿を見ながら、そっと佐伯は呟いた。
「終わった、の……?」
「……何の話だ?」
 早枝に背を向け、苛立つように堀田は言う。
「まさか……こんなモノが解決だなんて思っていないよな、佐伯。俺を……失望させないでくれよ?」
 言いながら堀田は立ち上がる。
「来てるんだろ? 出て来いよ、お前が出て来なくちゃ……いつまでも解決はダミーのままでしかないんだからよ!」
 誰にあてた言葉なのかはすぐに分かった。屋上に登ってくる階段の陰から、すぐに一人の少女が姿を現したからだ。
「泉本、さん……?」
 深澄は不機嫌そうに、そこに立っていた。悪意や敵意、そうしたモノをひたすらに撒き散らしながら。
「約束の物は……持って来てくれたのか?」
 スカートのポケットから深澄は何かを掴み、そして取り出す。
「持ってきたわ……これがなんの役に立つのかは知らないけど。もし……これを壊したりしたら、わたしは堀田の事を絶対に許さないからね?」
「壊したりなんてしない。勿論……大切に扱わせてもらうよ。大切な思い出だろうからね。でも……これが君の手に戻る事は二度とないだろうけどね」
「な……!」
 手を伸ばす深澄。その手を紙一重でかわし、堀田は志賀のもとへと歩み寄る。
「ほら、志賀……」
 堀田の声に志賀が顔を上げる。
「ん……あ……?」
 焦点の定まらない目で見上げる志賀。その焦点が堀田の手元に行き、一気に集約する。
「そ……それはッ!」
「君に忘れものを届けるよ……ずっと、君が忘れられなかっただろう忘れものをね」
 引こうとする手を強く握り締め、強引に堀田はそれを握らせた。震える志賀の手にと。
 早枝は見る。
「うわ、うわぁぁぁっっ!!」
 志賀の手に、そっと乗せられたそれ。
 古ぼけた安物の髪飾りの姿を。

>>第8章 『楔』

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