ずぅ

秋月 ねづ
 でね、その僕の友達は、僕とは小学生の頃からずっと仲がいいんだけど、外見がまるっきりジュゴンなんだ。人魚と間違えられたっていう海の生き物だよ。昔、月明かりの静かな海で、岩の上に横たわったジュゴンを見た船乗りが、人魚を想像したんだ。何だかキレイな光景だよね。何というか、……メルヘンだね。でもね逆に、ジュゴンに見える人間て言うのはちっともメルヘンでなくて可笑しなものなんだ。
 はは、そんなに笑わないでよ。本当の話なんだからね。彼は本当にジュゴンに似てる。あんまり似てるから、小学校の遠足で「品川水族館」に行くことになったときに、僕は本気で心配したんだ。彼が余りにジュゴンに似ているもんだから、水族館の人が彼を水槽に戻そうとしないだろうかって。笑い事じゃないよ。その当時、いやたぶん今もだけど、彼は少しも泳げなくて体育の水泳のたびに仮病を使って、プールサイドで見学してたからね。水槽になんて入れられたら、絶対溺れてしまう。って、当時僕が悩んだくらい彼はジュゴンに似てるんだ。
 彼には夢があってね。彼はパイロットになりたかったんだ。小学校の卒業文集にもそう書いてた。君も笑ってるけど、それを言うとみんな笑った。彼自身どう見ても海獣だし、空に憧れることは傍目に見ると不思議なことだったんだ。どちらかと言うと、彼は船乗りになりたかったら良かったのにって、僕も思った。ジュゴンがセーラー服を着たらいいじゃないか。まるで水族館のマスコットみたいだろ? 売店に並べたら沢山売れそうじゃないか。それなら誰にも笑われないのにって。僕は思ったんだ。でも彼は真剣にパイロットになりたかったんだ。
 僕らはよくそういう話をしたよ。放課後とかにね。校庭の端に積んであった古タイヤの上で。僕らの小学校には何故か古タイヤが沢山あったんだよ。アメリカの砂漠を走ってるコンボイが使ってたような大きなのから、蕎麦屋の出前のカブについていたような小さいのまで。僕らはランドセルを放り出して、そのタイヤの上に座って話したんだ。彼は晴れた空を見上げてウットリしてた。それを見てると僕はとても哀しい気持ちになったよ。なれるはずがないじゃないかってね。ペンギンだって空を飛べないのに、何でジュゴンに飛べるんだろうって。考えて見るとおかしな話だよね。彼はジュゴンでなく人間だし、直接羽ばたいて飛ぼうとしてるわけじゃなくて、飛行機の操縦がしたいっていうだけだからね。
 結局、彼はパイロットになれたんだ。今はJASだかANAだかの国内線のパイロットで北海道とか沖縄とかを往復して飛んでるよ。一度羽田で会ったんだ。彼はいささかサイズが小さいと思われる制服(昔から彼が着るとどんな服も小さく見えた)をきっちり着こんで颯爽と歩いてたよ。JASの制服を着たジュゴンていうのも意外と悪いもんじゃなかったよ。そりゃ、JASのマスコットにするっていうわけにはいかないけど、必然性がないからね、絵本の主人公くらいには十分なれそうだった。彼は幸せそうだったからね。めでたしめでたしなんだ。
 でも、そのジュゴンに似てるという事実が、彼の人生を少なからず彩った(初めパイロットになれないと思われたり、パイロットになったことが人一倍の成功だと思われたり)わけだけど、僕らは誰でも自分を象徴する動物を持っているんじゃないかって思うんだ。姿かたちはもちろん性格とかね。
 君はさっき僕の好みの女性を聞いただろ? 僕はその時、上手い答えが見つからなくて、答えなかったけど、ジュゴン君の話をしてる間に思ったんだ。僕の好みはライオンような女性だってね。ライオンだよ。獰猛で超然としてて、強くて同胞には優しい生き物さ。昔から思っていることなんだけど、僕はライオンになりたかったんだ。ジュゴン君が鳥に憧れたようにね。
 もうだいぶ、酒が回ってきたから告白するけど、僕はまったくもって羊なんだ。生まれも羊、育ちも羊。父親も羊なら母親も羊。弟も羊という由緒正しい羊の家系に生まれた純血の羊なんだよ。家庭で聞こえる鳴き声は「メー」だけだし、夕食には干草。体を切り開いてみても、僕の肉はラムだったし、今はマトンというわけさ。あの、気が  小さくて、無駄に群れて、人間に管理されたり、犬に守られたりする弱い生き物さ。
 君が、僕が羊に見えないと言ってくれるのはとっても嬉しいよ。僕も努力して来たからね。ライオンとはいかないまでも犬くらいにはなれたらなって。でも、僕が羊に見えないと言っても、それはいまでもホントに上の皮だけなのかもしれない。羊の皮を被った狼とは言うけれど、狼の皮を被った羊は、笑いものなだけさ。皮の下から見える羊の足がプルプルと震えてるんだぜ。まあ、でも狼にはなりたくないね。狼っていうのはどこか孤独でその分ズルイところがあるからね。単独行動をとる生き物っていうのはズルくないと生き残れないから仕方ないけど、目標とするにはちょっと違うよね。
 僕はライオンを目指したんだ。でも僕の傍にはライオンはいなかったから、見本になるものがなかった。ジュゴンとかイワシとか日本猿とか狐とかは居たけど、誇り高き肉食獣と呼べる人材が僕の傍にはいなかったんだ。まるで日本には生息してなくて、図鑑とか野生の王国とかでしか見れない本当のサファリの生き物みたいだったよ。だから、僕は今でも、僕の想像の中で作られたまがい物のライオンを目標にして練習してきた羊なんだ。
 僕は羊の喉で懸命にライオンの声を吠える。僕はライオンの心を想像して羊の心臓を膨らませる。虚勢を張るんだ。哀れだね。でも、希望は捨ててないよ。僕がライオンそっくりに吠えて、ライオンそっくりの行動を取れるなら僕はライオンになれる。ジュゴン君が、いくらか不恰好だけど、鳥になったみたいにね。
 それで、僕はライオンの雌を求めてるんだよ。その子が僕の彼女になって、僕と一緒にいて僕が羊だと気づいたら、どうすると思う? きっとあっさりと、何の躊躇も無く、僕は引き裂かれるだろうね。彼女の牙と爪で。ライオンは羊に容赦をしたりしないもんだろ? 僕はライオンのそのシンプルな残忍さを愛しているんだ。僕は正直、羊として群れの中で生き続けるくらいなら、ライオンになろうとして失敗して引き裂かれた方がマシなんだ。
 僕はある程度、努力した、この「ある程度」って言うのが、既に羊言葉なんだけどね、まあ、あとは試してみるだけさ。肉食動物の前に身を投げて喰うか喰われるか……。
 君も見たところ肉食動物みたいだね。いや、顔を見れば分かるよ。僕は長年の鍛錬でそういうのが分かるようになったんだ。君は確かに肉食動物だよ。虎か狼かライオンか。いずれにせよ獰猛そうだ。ああ、そこで笑うんだね。どうやら狡猾な動物らしい。きっと君は僕が本当に羊だとしたら、僕をくいものにするだろうね。まだ君は疑ってるんだろ? 僕の話がみんな君を惑わすためのものかもしれないって。ははは。いいね。君はライオンでないにせよ。僕の必要としてる生き物らしい。

 僕を見極めてくれ。僕が今どんな動物なのか。

 もし、僕が羊だったとき、君は僕を引き裂いてくれるかい?

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