映画原作を読む利点

秋月 ねづ
 ここんところ映画原作の小説ばかり読んでいる。
 彼女を失ってから、僕は映画を見たいのだけど見に行けずにいる。
 僕は男でも女でも友達と映画に行くのは苦手だ。映画を見るとそれに入り込んでしまって、しばらく現実に対応できなくなるから。友達に気をつかうことなど論外なんだ。
 僕は惚けたまま、しばらく映画の雰囲気に浸ってしまう。煙草を咥えたまま火をつけずにいたり、電車に乗ろうとすれば自動改札に挟まれたりする。そんな男の面倒を女友達にみさせるのは嫌だし、男友達には弱みを見せたくない。
 それならば、一人で行けばいい。と思うかもしれないけど、一人で映画に行くのは酷く寂しいものだ。席に座り、ポップコーンをつまむ。そして暗くなり、カタカタと青い光が館内を照らす時、「僕は一人で生きてるんだってことを痛感する」何故かは分からないけど、映画みたいに他人の人生を暗いところから覗き込む孤独な行為は、一人でとても耐えられる寂しさではないんだって思う。

 恋人になら、僕の弱いところを見せてもいいと思う。僕と映画に行くのは酷く退屈だと思うけど、映画が始まる前に同じ袋からポテトチップスをつまみ出し、出演する俳優の容姿なんかを話し合い、暗くなったらそっと手を取って、クライマックスには少し汗ばんだ手を強く握る。みたいな一連の流れが、「寂しさを感じずに」映画を見る為に僕にとってはどうしても必要な儀式だった。
 そして、僕の前の彼女はそれを文句も言わずにやってくれる子だった。映画を見に行こうと僕が電話で誘う、そりゃ彼女にとってみれば、僕みたいなタイプの人間から映画に誘われるなんて、迷惑この上ないことだと思って当然なのだけれど、彼女はそれを断ったことがなかった。

 彼女は僕の部屋の前に馬鹿みたいに大きい三菱のパジェロで乗り付ける。どうしてこの街でそんなサファリを走るような車が必要なのか僕には少しも理解できないけど、彼女はその車を気に入っているのだ。僕はばたんと助手席に乗り込んで、車は郊外の映画館へと向かう。
 彼女は窓を一杯に開けて腕を出して、気持ち良さそうに車を走らせる。下手なくせに運転が好きな女で、何かというと車を出したがった。でも、僕は彼女が運転するのを見るのが好きだった。僕自身も運転は嫌いじゃなかったけど、どちらかというと、彼女に運転させる方を僕は好んだ。僕は助手席で膝を抱えて、360ml缶が六本入る小さなクーラーバックに詰めてきたビールを一本づつ飲む。彼女もビールは大好きだから、笑いながらズルイと僕を責めた。
 でも彼女はビールよりも運転が好きで、僕は運転よりもビールが好きだったから、二人はとても上手くいってたと思う。
 パジェロに冷蔵庫をつけなよ。と僕は言っていた。パジェロに冷蔵庫はとても似合うよ。と僕は言った。彼女は口を尖らせて、そんなの得をするのはあんただけじゃん。ビールをいっぱい詰めときたいんでしょ? と言った。
 そうだよ。だからつけなよ。と僕は笑った。勝手な男。と彼女も笑う。
 そう、僕は彼女の前ではいつも勝手な男という役割を演じていた。僕みたいな弱さを持つ男は勝手な男というスタンスでしか、人と付き合えないのかもしれない。
 何一つ器用にこなせやしない。
 僕が、がんばって優しさを発揮すれば、僕は自分自身を他人から遠ざけることになる。僕という不愉快な人間に好きな人を近づけないことが、僕の精一杯の優しさなのだ。何も僕と付き合わなくったって、面白い人間はそこら中にゴロゴロいる。
 でも彼女は僕と会いたいと言った。僕のことが必要だと言ってくれた。物好きな女だなと言ったけど、正直、有り難かった。
だが、やがて僕らは別れることになった。僕が別れを切り出し、彼女が涙を見せた瞬間、僕の人生において僕のことをこの女よりも愛してくれる人はもう現れないだろうと思った。それでも仕方が無いと僕は諦めた。この素晴らしい女を守りきれなかった罪を僕はすべて引き受けようと思った。
 神様、お願いです。僕の幸運をすべてこの女にあげてください。この子に僕よりも百倍もステキな男を見つけてください。そうなってくれたら僕の心は安らぐんだ。そしたら静かに眠れる。
 僕は顔を伏せる女の髪を見ながらそう祈った。彼女のノースリーブの日焼けした肩が、つるりとしてて凄くキレイだった。僕はそれをじっと見つめ、網膜に焼き付けようとした。目を閉じるたび、暗闇の中に彼女の肩が白く浮かび上がればいいと思った。でも僕は、僕の酷く頼りない記憶力をよく知ってるから、映像なんてすぐ忘れてしまうことが分かっていた。彼女のキレイな体も、ひんやりした手の柔らかさも、同様。
 それはもう仕方の無いことなんだ。僕がこの女と別れるということは、素晴らしい記憶をも失う。そういうことも、ひっくるめたものなんだと、そのとき僕は思った。

 彼女のいた痕跡がすべて無くなった時、僕は自分にひっそりと「入居者募集中」の札を掲げることにした。それはあまりにささやかな札だったものだから、通り過ぎる人たちの殆どが気付かなかった。
 僕という男を賃貸住宅物件に例えてしまうと、そりゃ自慢できたものではなかった。築四十年・木造建築・四畳半一間風呂なしトイレ共同。といった感じ。とても女の子に住んでくださいと言えるような部屋ではないのだ。不動産業者なら、まず条件のいい男の子たちを勧めてから、どうしても気に食わないという、めんどくさいお客さんを最後に連れてくる。もう帰ってくれという意味で見せる物件、僕はそれだ。
 もちろん僕は誠実に対応する。窓の手すりに干していた座布団を叩いて取り込んで、お客さんを座らせて僕のいいところを説明する。まあ、そんなものはあまりないんだけど、夜風が入って意外と涼しいんですとか、要するに冬は隙間風が入って寒いんだけど、そういう言い訳めいたこととを言ってみたりする。それで、僕は何も言うことが無くなって僕らは黙って、薄暗い部屋で蝉の鳴くのとかを聞いているんだけど、お客さんは立ち上がって帰っていく。玄関先で、じゃ考えておきます。みたいなことを帰り際お客さんは言ってくれるんだけど、それは社交辞令だってお互いに知っていて、僕はその子の優しさに、ニッコリと笑ってみせる。

 こないだ飲み会をしたら、ある男友達が僕の元彼女が男を連れで歩いてたのを見たと言う。
 僕は微笑んだ。なに言ってんだよ。当たり前じゃないか。あんな素敵な女の子を男どもがほっとくわけないじゃないか。僕は寂しいような誇らしいような気分になる。僕の元彼女はイイ女なんだ。僕が保証するよ。


 映画を原作で読むことの利点。

一、 一人でも読める。
二、 映画で、はしょっているスジも分かる。
三、 感動して泣いても自分の部屋ならみっともなくない。
四、 好きなときに好きな分量を読める。
五、 ……
六、 ……


 僕は床に本を伏せて置き、窓の外を見上げた。君と見たいくつもの映画を思い出す。でも、僕が思い出すのは映画の内容ではない。
君が、映画館の壁に寄りかかって呆けている僕の、腰に手を回して黙ってタバコを吸っていた暑い夜。
 君が、上映が終わって明るくなっても伏せて泣き顔を見られないようにしてる僕の、頭を抱き寄せた時。
 そんな僕と君の思い出は僕の中で映画に強く結びついている。結局、僕が一人で映画を見られなくなったのは君のせいかもしれないな。
 僕は月を見上げながら、君を思い浮かべた。
 きっと今、君はパジェロのハンドルを握っているだろう。助手席にいる誰かに微笑みかけながら。

index/ novel/ shortstory/ fantasy/ bbs/ chat/ link