冷蔵庫とインテリジェントサル

秋月 ねづ

「私、サルって好きじゃないの」
 竹内さんはCHUPA CHUPSを咥えたままそう言って、サルの檻の方に足元の小石をポコンと蹴り飛ばした。
 僕らはサルの前を横切って、檻を広く取り囲むように置かれた、ベンチの一つに腰を下ろす。
「なにやら、信用の出来ない顔をしてるもの」
 竹内さんは憤慨したようにそう言って、サルたちを睨みつけた。僕は少しおかしくなったけど、何もいわずに飴を舐め続けた。
 飴はもう少しで無くなる。
「そう思わない?」
 竹内さんは僕に同意を求める。彼女はそう大きな声を出しているわけではないけど、よく通る。
 こんな静かな場所ではなおさらだ。僕らの学校の裏手にあるこの山公園は、いつもあまり人がいない。
 五つあるベンチは今日も空っぽだ。
「ねえ、思うでしょ?」
 竹内さんはもう一度そう僕に訊いて、僕は笑って頷いた。
「もしかしたら、サルは結構頭がいいかもしれないしね」
 僕はそう言う。竹内さんは不思議な顔をする。
「サルなんて馬鹿に決まってるじゃない。何で? そんなことを言うの?」
 竹内さんはそう訊く。目を遣ると、山公園の入り口から高校生のカップルが現れて、サル檻に向かってくる。
 彼らは僕たちと違って制服姿だ。ブレザーの女の子は顔を赤くしている。
 女の子にはこの公園に来るためのハイキングコースの山道はしんどかったはずだ。僕だってしんどい。
 竹内さんが平気なのは特別足が強いからだ。竹内さんは岩を飛ぶカモシカのようにやすやすと登ってきた。
「何見てるの」
 竹内さんは僕のほっぺたを引っ張って自分のほうを向かせた。僕は笑う。
「竹内さんの制服姿を一度見てみたいと思ってね」
 僕がそう言うと、竹内さんは胡散臭そうに僕を睨んだ。
「あれを着るのが嫌でうちの学校に決めたの。中学の頃はずっとあんなのを着てたから」
 竹内さんはそう言う。僕はもう一度カップルを見た。二人はサルの前にかがんで何かを話し合ってる。
「今度写真を見せてね」
 僕がそう言うと、竹内さんは口から棒つき飴を取り出して、それを僕に突きつけた。
「絶対、イヤダ」

「で?」
 と竹内さんは言う。
「何でサルが頭いいと思うの?」
 竹内さんは訊く。
「なんだか、頭が良さそうな目をしてるじゃない」
 と僕は言う。
「多分、僕らが居なくなるとみんな集まって難しい話をするんじゃないかな。みんなで星を見上げて」
 僕はそう言ってサルを見る。サルたちはてんでにリンゴの皮を拾い食いしたり、木に登ったりしてる。竹内さんはため息をつく。
「みんなが居るときは、馬鹿なふりをしてる。そうすればただで餌をもらえるからね。もし数学の話をしてるのを聞かれて、 サルは微分が出来る、って知られたら働かなきゃならなくなる。木に登ったり、リンゴの皮を齧ったり、 好きなことが何も出来なくなって、朝から晩まで計算をしなくちゃならない。餌を貰うためにね」
 僕はそう言った。
「頭が悪いふりなんて、そんなの絶対バレるよ」
 竹内さんは言う。
「誰かがきっと油断しちゃうもの」
 僕は口から白い棒だけを引き抜いて竹内さんに見せる。飴を舐め終わったのだ。竹内さんは自分の飴を出して見る。
 彼女の飴は小さくなってはいたが、無くなるまでにはまだ時間がかかりそうだった。
「噛んだでしょう」
 竹内さんは怒ったようにそう言う。僕は目を閉じて首を振った。竹内さんは鼻を鳴らすと、飴をバリバリと噛んでしまって、
 白い棒を僕に見せて得意げに笑った。
 高校生のカップルはサルを見飽きたのか、元来た道を戻っていく。また公園には僕らしか居なくなった。
「冷蔵庫の中の蛍光灯」
 と僕は言った。
「冷蔵庫の中の蛍光灯は、開けると点いて、閉めると消えるでしょ」
 僕はそう言って、竹内さんは頷く。
「それは、ドアの傍にボタンがついていて、閉めるとドアに押されてスイッチが切れるようになってるんだけど、 子供の頃、僕はそれを知らなかったんだ。ただ、閉めると消えるんだよ、とだけ聞いて、本当かどうか確かめたくて、 薄くドアを開けて覗いてみたり、フェイントをかけていきなり開けたり、いろいろやってみたけど蛍光灯はいつも点いてる。 だから、僕はこう思った」
 僕は竹内さんを見る。
「冷蔵庫って油断のならない奴だなってね」
 僕がそう言うと、竹内さんはにっこりと笑う。
「冷蔵庫はウッカリしたりしない。サルもウッカリしない」
 竹内さんはそう言って、僕は頷いた。サルたちは何事も無いように背中を丸めてしゃがんでいる。
 時折、何も持っていない手を口元に運ぶ。
「帰ろう」
 と竹内さんは言う。
「私たちが居なくなったら、サルはきっと難しい話を始めるよ。きっとサルは難しい話がしたくて、 うずうずして、あいつら早く帰らないかなって思ってるよ」
 竹内さんは立ち上がって、肩掛けバックを背負った。僕も頷いて立ち上がる。もう、急激に暗くなっていく時間だ。
 公園を出て僕らは海側に、ハイキングコースとは山の逆側に下りていく。そっちの方が僕も竹内さんも家に近いのだ。
 高台の別荘の並ぶ広い石畳の坂を下る。晴れて天気のいい日には、ここから長く続く海岸線と遠くマリーナが見える。
 今は濃い紫色の夕闇だけだ。海の遠く沖の空には星が光る。
「今日は星がきれい」
 と竹内さんが言って、僕は頷く。
 今夜、サルたちはプラネタリウムみたいに丸くなっている檻の天井格子を透かして、星を見ながら星座について語り合うかもしれない。
 僕はそう思った。


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