虹色の貝殻

秋月 ねづ

「僕はこの手の中で何かを作り出す」
 そう言って、ハルは私の目の前で手を組み合わせた。
 夕暮れの海風が彼の髪を払うように吹いて、ハルは笑みを浮かべる。
 私は彼の手をじっと見て、彼は手を私の目の前でそっと開いた。
「何もないじゃないよ」
 私は言う。
「今はね」
 ハルはそう言って、ガードレールを飛び越えた。
 そして犬を、砂浜に一匹で遊んでいた彼の大きな犬を声高く呼ぶ。
 そして戻ってきて私の寄りかかる傍、ガードレールに肘をのせた。
 道路側よりも砂浜側の方が低くなっているのだ。
「いつかは何かが作れるようになるさ」
 ハルはそう言う。私はガードレールから離れてハルを見下ろす。
「何が作れるっていうのよ!」
 風が吹いて私はスカートと髪を抑えた。学校帰りだったからまだ制服のままだ。
 なんて風! 私は苛ついていた。ハルの犬が戻ってきて彼にじゃれる。
 彼は犬の大きな体を軽く叩く。犬は静かに座り込んで自分の足を舐めた。
 ハルは寂しそうに笑う。
「何か? それは分からない。作れるかどうかもホントは分からないんだ。
 でも、キレイで大切な何かを僕の手で生み出したい。
 水に濡れると虹色に光る貝殻みたいなものを作りたいと思うんだ」
 ハルはそう言って、足を振ってビーチサンダルの中の砂を払った。
「貝殻?」
 私は海を見た。夕日は大きくなって降りてきて海に触れようとしている。
「貝殻なら、キレイな貝殻なら砂浜に沢山埋まってるじゃない。
 私探すの得意だよ。一時間もあれば、相当集められる」
 私はそう言ってハルを見たけど、彼は首を振った。
「結果的には同じだよ。最後は僕の手にも、お前の手の中にも、
 貝殻があるかもしれない。でもやりかたが全然違うんだ。
 勘違いはするなよ。どっちの方法が優れてるって訳じゃない。
 だから、お前はお前の、僕は僕のやりかたで集めればいいさ」
 ハルはそう言った。こいつは何が言いたいんだろう? 私は座り込む犬を眺めた。
 私は苛立っていて考えがまとまらない。

「だから高校を私立に変えたって訳?」
 私はしばらく経ってから、そう言った。私を苛立たせていた理由はそれだった。
 ハルは私に何も言わず志望校を変えていた。
 今日進路相談で先生と話して聞いたのだ。
「はは、バレた?」
 ハルは乾いた笑いをした。
「バレた? じゃないよ! 
 ランクを落としてまでわざわざ私立に行くことないじゃない。先生も呆れてたよ」
 私がそう言うと、ハルはまたガードレールをよじ登って、私の隣に来た。
「別に内緒にしてたわけじゃないんだ。ギリギリまで考えてたんだよ。
 親も先生もお前と同じあの学校に行けって言ってたしね」
「何であの学校が嫌なのよ」
 私は訊いた。ハルは笑う。
「だって恐そうなんだもの」
 ハルは言う。
「絶対、大学に入れます、みたいな先生達と、刑務所みたいな校舎と規律。
 考えただけで気が滅入るよ」
 私はため息をついた。
「仕方ないじゃない。進学校なんだから」
「お前は良いかもしれないけど、僕は嫌なんだ。
 僕の選んだ私学はいかにも僕向きだよ。
 制服も無いし、校則もろくに無いし、海の近くだしね」
 ハルはそう言って、私は鼻を鳴らした。
「また一人だけ楽しようとして。いつだって私は誘ってくれないじゃない」
 私はそう言う。ハルの犬が砂浜で鼻を鳴らし、
 彼は犬をガードレールの隙間から道路に引きずり上げた。
「だってお前はあの学校に行きたがってたじゃないか。何でも一番が好きだもんな」
 ハルは笑う。そんなもの、と私は思う。
 ハルと一緒なら二番だって、三番だって構わないのに。
 でもそれをハルに言ったら、彼が怒ることは私には分かっていた。
 私がハルの為に、自分の好きなことを我慢するの、いつだってハルは嫌がるから。
 ハルと……って理由はハルには通用しない。
「そうね。私はあの学校に行きたい」
 私はそう言う。でもそれも、両方とも私の本心なのだ。
 ハルは犬を抱え込んで地面に座る。

 私は心の中でハルに話しかける。
 ねえハル、二つの違う本心がぶつかり合ったら、
 みんな自然と大きな気持ちを優先するんだよ。私は今、ハルと一緒に居たい。
 それが一番大きな気持ち。でも……、

 私は溜め息をつく。
「違う学校でも私達、友達だよね。面白いことあったら呼んでよね」
 私は仕方なくそう言って、ハルは笑顔で頷く。

 ハルはそんなこと、ちっとも分かろうとしてくれない。
 でもいつか、もしかしたら私にも、
 ハルに対する気持ちよりも大切な何かが出来るかもしれない。
 多分ハルはそのことが言いたいんだと思う。
 それが虹色の貝殻だ。

「でも、わたしはねえ。ハルなんかより頭が良くなって、
 すっごくキレイになって、かっこいいボーフレンドが出来て、
 夢中になれるものを見つけて忙しくて、
 ハルなんて、かまってやれなくなるかもしれないなー」
 私がそう言うと、ハルは楽しそうに笑う。

 笑ってる。
 こいつ笑ってるよ畜生! 私の気持ちなんてちっとも分かってないんだ。
 見てろよ! ものすごい素敵な女になってコイツを振り向かせてやる。
 ハルのレベルを超えて信じられない高みまでいってやる。
 ハルが私に惚れて、私なしでは一時だっていられないようにしてやる。
 ハルに、ハルの理解してない、
 自分のやりたいことを我慢してまで相手についていきたいっていう、
 この気持ちを味わわせてやりたい。

「楽しみだね」
 ハルは呑気に微笑む。

 見てろよ! いつか一緒に貝殻を掘らせてやるんだ。

 私は海を見ながら唇を噛んだ。


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