バミューダサンカク、
 おにぎりはまる


秋月 ねづ

 雨は場所取りのビニールシートの上でパサパサと音を立てて、窪んだシートの中央に水溜まりを作った。 僕らは傘をさして、ひとけの無い公園を歩く。
「今日は、お花見は中止だね」
 竹内さんはそう言ったけど、僕らにはお花見をする予定はないはずなので、誰か他の人たちの心配を彼女はしているのだ。 僕も肯いたけど、僕には、僕でない誰かのお花見の心配なんてちっとも出来なかった。
雨は公園の黒土にジワジワと染み込んで、落ちてきた桜の花びらを泥塗れにした。
「ほら青い水溜まりが出来てる」
 竹内さんは指を差して、場所取りの広いビニールシートの中央の窪みに出来た水溜まりを見たけど、 それは水溜まりが青いのではなくて、ただ、ビニールシートが青いだけだった。
 公園は驚くほど静かだった。時々、遠くから車のホーンの音や、 電車がレールの継ぎ目を乗り越える音が聞こえたけど、それもほんの微かにだった。 竹内さんは何かを避けるように、つま先立って歩いて行く。僕が普通についていくと、彼女は
「花びらを踏まないで」
 と言って笑った。
 僕は地面を見たが、良く見ると散った花びらは公園一杯に広がっていて、踏まないで歩くことなんて不可能だった。 けれど、踏まれた後の花びらは無残に汚れていた。
「だけど無理だよ」
 僕がそう言うと、竹内さんは
「気持ちの問題なの」
 と言った。多分花びらに対して、『あたしはあなた達を踏むつもりはないの、 ただあっちに歩いて行きたいだけなの、ゴメンなさいね』と思うことに何らかの意味を見出したのだろう。
 僕は溜め息を吐いた。
 そもそも、竹内さんはそんなメルヘンチックな人ではないのだけれど、 暇となるとトンデモないところから楽しみを見出すのだ。
 桜の木の下に辿り着いた竹内さんは傘をたたんだ。
「ここは雨が降ってないよ」
 彼女はそう言って、僕も傘をたたんだ。『傘をたたむ』というのは実際それほど悪いアイディアではなかった。 桜の木の下に居ても、全く雨に当たらないという訳ではなかったけど、僕ら二人の為にはいい事だった。 僕はあと、半歩彼女に近づきたかったけど、二つの傘のせいで近づけなかったのだ。僕は半歩分彼女に近づいた。
「誰もいないね」
 竹内さんは辺りを見回してそう言う。
「何だか、みんなでお花見をしてて、誰かがトイレに行くって言ったら、俺も、俺も、ってみんな居なくなっちゃったみたいね」
 竹内さんはそう言った。多分、場所取りのビニールシートとか、ダンボールとか、 桜の木に渡した提灯とか、一杯になって濡れるごみ箱とか、そういうものが、彼女をそんな気持ちにさせるのだろう。
「僕は小さい頃に読んだ本を思い出したよ」
 僕はそう言った。
「『バミューダ三角形の謎』って本なんだ。バミューダ三角形に迷い込んだ舟が、捜索隊に発見された。 でも、船の中には誰も居ない。船長も、一等航海士も」
「オウムも?」
 彼女はそう口を挟んで、僕は肯いた。
「でも、テーブルの上には、柔らかいパンとか湯気の立ったスープとか焼きたての熱い肉とかがあるんだ。 さあ、これから飯だぜ。って状態なんだ。でも、誰も居ない。甲板から船倉まで探してもネズミ一匹居ない」
 竹内さんは首を振る。
「かわいそうね」
 僕は肯く。
「僕もそう思うよ。この話の何処が悲しいかって、消えてしまった人たちがみんなお腹を空かせたまま、ってとこなんだ」
 竹内さんは肯く。
「あたしたちみたいね」
 僕も肯いた。
「そう言えばお腹がすいたね」
 僕がそう言うと、竹内さんは持っていたトートバックをゴソゴソと漁った。 彼女の短い髪は頻繁に落ちてくる水滴で、濡れて茶色く光っている。彼女はバックの中から、 ラップに包まれたおにぎりを二つ取り出すと一つ僕にくれた。
「作って来たの。でも、あたし、おにぎりを三角に握れないの」
 彼女はそう言って、恥ずかしそうに笑った。そう言われてみれば、おにぎりは見事な丸だった。
「だからね、おにぎりを作る時は出来るだけ丸く作るの」
 僕は肯いた。
「算数みたいにキレイに丸いね」
 僕がそう言うと、彼女は笑った。
「ね。そうすると、取りあえず誉めてもらえるでしょ?」
 彼女はそう言った。
 僕らは黙っておにぎりを食べて、食べ終わると、僕は桜の木の下から出て、 丸めた二つのラップを一杯になったごみ箱の隙間に押し込んだ。
「今日は、お花見は中止だね」
 竹内さんは空を見上げて残念そうに、まるで自分がお花見をするはずだったみたいに呟いた。
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