うち捨てられた惑星

秋月 ねづ
 テーブルを囲む奴等の声を聞き流して、
 居酒屋の名前の入ったビアジョッキを眺めながら僕は考えた。
 ここにいる僕らは喩えるなら『うち捨てられた惑星の住人』たちだ。
 世界の終焉。溶岩がドロドロと流れ、海がうねり、暗雲から幾筋もの雷が落ちていく中、僕らは宇宙船に飛び乗って、散り散りに逃げ出した。
 恋人とはぐれた奴、喜んで出ていった奴、惑星と共に死んでしまった奴。色んな奴等がいる。それでもみんなそれぞれに、何かを置いて来なければならなかった。全てを持って出る時間など無かった。僕らには十分に備える余裕など無く、終わりはいつのまにか背中に迫っていたのだ。何だってそういうモノかもしれないけど。
 僕だって殆どのモノを置いてきた。そのせいで今の世界を作るのに随分苦労したのだ。
 ロビンソンクルーソーとまではいかないが、スーパーマンよりは苦労した。
 誰も僕を拾ってくれなかったし、なにせ空も飛べないのだ。
 そんな僕らも再会して、酒を飲み、ボソボソとピザを食べながら話し合うのだ。
 あの懐かしい『うち捨てられた惑星』の想い出。

 僕は名前を呼ばれて立ち上がった。ジョッキの中の何だか分からない緑色のお酒を一息に飲み干して、両手を挙げて万歳をした。遠くの方の女の子に「かっこいい!」と囃し立てられ、片目をつぶって親指を立てる。これが『惑星』での僕の役割だった。
「えらいよねえ。 ハルは」
 ケイコはそう言って、座った僕の頭を撫でた。
「何が?」
 僕は空になったグラスをテーブルの端へ押しやって、腕まくりをした。
「同窓会をするって言うと、ちゃんと帰って来るから」
「まあね。この面白い行事を見逃すわけにはいかねえからな」
 僕はケイコにも片目をつぶってみせた。
「和だって、帰ってくるじゃねえか」
 僕がそう言うと、ケイコは少し離れたところに座る和をちらりと見て、慌てて視線を戻した。
「和はいいの! ハルはいないと盛り上がんないじゃん。東京でも人気者なんでしょ、ハルは」
「全然。あっ、それ取って」
 僕はそう言って、手を伸ばして余ってるオレンジ色の酒のグラスを受け取った。実際、今の世界での僕は派手な事など何も無かった。メガネをかけて大学でデッサンをする。寒々しい六畳一間で指先を汚してユトリロを模写する。バイトする。図書館で本を読む。
 『メガネ』は『今の僕』と『昔の僕』を上手く区別してくれてる。クラーク・ケントとスーパーマン。今はそれこそユトリロの風景画のような閑散とした生活なのだ。
「慎ましく暮らしてるよ。金も無いしね」
 僕はそう言った。僕はここではメガネをかけられない。それはとても微妙な感情だけどハッキリしてる。もし、僕がメガネをかけたとしたら、今の世界にいる僕を見たとしたら、みんな冷たい目でこう言うだろう。『いいえ、あなたはハルではありません』

 向こう、和の周りで歓声が上がる。
「おい、ハル。和に彼女ができたんだってよ」
 誰かが言う。
「ハル。お前どうすんだよ。恋人取られちまったぞ」
「馬鹿言えよ。そんなの浮気に決まってるだろ。そうよね和ちゃん」
 僕は甘く言って笑ったが、目の端に、ケイコが顔を歪めて、口の中の何かを飲み下すように酒を呷ったのが見えて、肺が重くなった。

 時間が経って、僕らは居酒屋を出た。みんな居酒屋の前の路上で思い思いの相手と別れを交わした。僕はジャンバーのポケットに両手を突っ込んで、さっきのケイコの苦い顔を何度も反芻するように思い出していた。その内、ケイコの口の中の味までもが想像されて、僕自信、口の中が苦くなってしまった。ケイコが和を想っているのは高校時代から知っていた。その清い想い(現代では完全に死んだ言葉だ)は完全にケイコの内に隠されたまま、僕らの惑星は消滅してしまった。今でもケイコが和を想っているなら、それは相当悲しい事だと僕は思う。僕は切れかけた薄緑色の街灯を見上げて白く息を吐いた。

 和とケイコの腕を両手に抱えて、カオリが歩いてきた。
「ハル! アタシん家行くよ。今日あんた、あたしと全然話してないよ。いいでしょ? OK?」
 僕は思わず苦笑いした。カオリも二人のことを知ってるのだ。趣味の悪い女だ。
「アタシん家行く人!」
 カオリはそうみんなに言ったが、明日も平日とあって来た暇人は後五人だけだった。
 僕らは夜道をカオリの家に向かって歩いた。
「何か懐かしいな」
 僕の横を歩いていた和が言う。
「高校時代みたいなんだろ」
 僕はそう言って、和は息を吐くように短く笑った。
「お前らに会うと、十八の頃に戻っちまう。今の俺がどれだけ二年前と違うか思い知らされるわ」
 僕も同じ事を考えてた。みんなに会うと、僕らの二年前の世界は殆どそのままに保存されているように思える。今の世界に適応するように変化させた今の自分自身を、東京に置いてきてしまったようだ。

 僕らはカオリの家に着いて、僕は高校時代からの自分の定位置に腰を下ろした。カオリは手早くビールを皆に配った。
「はい。女子集合!」
 カオリは四人いた女全員の顔を見回して言った。
「おいおい。まだ、それやるのかよ」
 和が呆れ顔で言う。
「当たり前。いつだって女の子には秘密があるの」
「けっ」
 僕はそう言って、ビールを飲んだ。カオリは僕に舌を出して、女達をつれて他の部屋に行った。
 カオリの『女子集合』は習慣だ。みんなで集まった時は必ず女だけで別室ミーティングをやった。僕らは遠くから漏れ聞こえる歓声や笑い声を憮然として聞いたものだ。今日も五人の残された男達は憮然としてビールをすすった。
「俺、一度で良いからあれを盗み聞いてみたかったんだ」
 誰かがそう言って、僕らは一様に肯いた。
「でも、そんなことバレたらカオリに殺されるもんな」
 その通りだ。殺されかねない。僕らは女達が帰ってくるまで、勝手に冷蔵庫からビールを出して飲んだ。そして、空缶でピラミッドを作った。ピラミッドには大量の空缶が必要だったので、僕らは競い合って飲んでそして積んだ。
「つれえ。エジプトの奴隷の気持ちが分かるぜ」
 僕はゲップをしながらそう言って笑った。ピラミッドがそれらしくなった頃、女達は帰って来た。
「あんたら、下らないことやってるねえ」
 カオリはそう言った。向こうでなにか飲んでいたのかカオリの顔は赤くなっていた。女達は思い思いの場所に腰を下ろした。ケイコは和と僕の間に座った。カオリは空缶のピラミッドを突き崩して僕の隣に座った。
「なにすんだよ。俺達の文明の遺産を」
「馬鹿じゃないの」
 カオリはそう言った。そして、僕らは乾杯した。

「ねえ。東京の話を聞かせてよ」
 カオリは訊く。
「あんたが東京で何やってんのかをさ」
「絵を描いてるだけだよ」
 カオリはため息を吐く。
「あんたねえ。そのくらいは知ってるよ。その為に東京まで行ったんだろ。だからって、朝から晩まで絵を描いてるわけじゃないだろ」
「描いてるんだよ。朝から晩まで」
 カオリは処置無しと首を振った。
「じゃあ。女は? 彼女ぐらい出来たんだろ。和みたいにさあ」
 僕が答えようとすると、黙々と飲んでいたケイコが口を挟んだ。
「それよ!」
 ケイコはそう言って、和の頭を叩いた。
「あんた誰に断って彼女なんて作ったのよ」
 ケイコは和のシャツを握って言った。和は助けを求めるように僕の方を向いたが、僕は首を振って笑った。ケイコはかなり酔っているみたいだ。
「ねえ、聞いてるの?」
 ケイコは和の顔を自分の方に無理矢理戻した。
「頑張れ! ケイコ」
 カオリが楽しそうに声援を送る。
「誰って……」
 和は困惑顔で辺りを見回したが、みんなニヤニヤするばかりで助ける奴はいない。
「あんたねえ、ちょっと目を離すとそれなんだから……
 だいたいねえ、あたしにだって、男なんて……」
 ケイコはそう言いながら、大きな涙を二粒流した。そして不思議そうに自分の目を拭って涙を確認すると、和の胸にしがみついて、声を上げて泣き出した。
 和は更に困惑を深めて、みんなを見回したがみんなはもう笑ってなかった。和は深いため息を一つ吐いて、ケイコを立たせて部屋の外につれてった。みんなは緊張が解けたように、ため息を吐いた。
「良かった」
 カオリはそう言う。
「吐き出した方がケイコのためにはいいのよ。可哀相だもの」
 僕は肯いて、ビールを啜った。
「でも、何か悲しいな」
 僕は立ち上がって部屋の隅の冷蔵庫に向かった。
「ビール飲む奴」
 僕はみんなにそう訊いた。

 僕らの世界は無くなってしまったと僕は思っていた。でも、それは間違いだった。僕はここに完全なカタチの二年前の世界を感じていた。無くなってはいなかった。

 帰って来た時、ケイコは泣き止んでいた。カオリの隣に座って、ケイコは恥ずかしそうにカオリの腕を掴んだ。和はため息を吐きながら僕の横に座る。
「何を話したんだ?」
 僕は訊いた。
「昔の話」
 和はそう言って、にっこり笑った。

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