誰かが嘘をついている

秋月 ねづ
「昨日私、浮気しちゃった」
 喫茶店で彼女は髪の毛をいじりながら、そう言った。
「え?」
 僕は外を見てぼんやりしていたので、一瞬彼女の言った意味が良く分からなかった。
「誰と?」
 動揺して僕はつい聞いてしまったが、良く考えると相手なんてどうでもいいことだ。
「誰だと思う?」
 彼女は皮肉な笑みを浮かべた。
 僕はようやく落ち着きを取り戻して、それと同時に怒りが湧いた。
「学校の奴か?」
 僕が聞くと彼女は肯いた。
「誰だよ」
 僕はまた聞いた。
「鈴木くんと仲の良い人」
 彼女は言った。僕と学校で仲の良い男って言ったら、ヤマザキか、大西か、久慈か、渡辺しかいない。
 僕がそれぞれの顔を思い浮かべてると、彼女は立ち上がった。
「あなたが私のこと考えてくれないからいけないのよ」
 彼女はそう言って伝票もほったらかしで出ていった。
 僕はしばらく放心して彼女のコーヒーカップを眺めていたが、ずっとそうしてても何もならないので店を出て歩きながら考えることにした。
 彼女と僕の関係は仲間内ではまだ秘密になっている。だから、男の方はそんなことは知らないで手を出したことになる。だから男には罪はないけれど……。
 僕は息苦しいような胸の締め付けを覚えた。
「とりあえず誰なのか確かめよう」
 僕はそう思って、学校に足を向けた。

 キャンパスに入るとすぐテニスコートがある。
 テニスサークルの久慈はそこにいた。
 僕はサービス練習をしている久慈に金網越しに声をかけた。
「ファーストの確率が悪くてな」
 久慈はそう言いながらベンチの僕の隣に腰を下ろした。
「何よ、スズキ。珍しいじゃない。こんなとこに」
「いや別に大したことないんだけどさ」
 僕は切り出した。
「立浪ちゃんと昨日会った?」
 僕は久慈の表情を見る。こういうときの表情の変化が肝心だと最近読んだ推理小説に書いてあった。
 久慈は平然として言う。
「立浪ちゃん? ああ、昼過ぎに学食で会って一緒に飯食った。
 午後にも一緒の授業があったんだけど、俺、サーブが入らないからって、練習しに来ちゃったんだ立浪ちゃんは『じゃあヤマザキ探そうかな』って言ってた彼女も同じ授業だからね」
「その後は?」
「会ってないよ」
「そうか」
 僕は言った。どうやら久慈じゃないようだ。
 僕は久慈と別れた。次はヤマザキだ。

 ヤマザキは今、アメリカ文学史特別講座の授業中のはずだ。
 なぜなら、僕と同じ授業だからだ。僕は二号棟の教室の授業に忍び込んで、一番後ろで眠るヤマザキを起こした。
「おまえ、昨日立浪ちゃんと会ったか?」
「昨日は会ってないよ」
 ヤマザキは言った。
「大西と歩いてるのを遠くから見たけどね」
「いつ頃?」
「えっと、午後二の英語の授業前だったかな。あの子またサボるのか、って思ったからな」
「大西か……」
 僕がそう言って考え始めると、
「大西なら今日も図書棟にいたよ」
 そう言ってヤマザキは顔を伏せてまた寝始めた。
 僕はそっと教室を抜け出て図書棟に向かった。

 図書棟に向かう途中、偶然大西が向こうから来た。
「おう、すずき。今渡辺とレポートやってたんだけど、肝心なとこで紙無くなっちまってさあ。買いに行かなきゃいけねえんだ、この暑いのに。それとさっき星野がさ、また田中と喧嘩してたぜ。すげー仲悪いよな、アイツら」
「それより大西、昨日立浪ちゃんに会ったか?」
 僕は聞く。
「昨日? ああ会ったぜ。その辺でかな。あいつ授業サボって早めにバイトに入るって言って西門の方に行ったかな俺は図書棟に入り浸りだから良く見てねえけど」
 西門と言えば、渡辺のサークルの連中がたむろしているベンチ群がある所だ。
「他の奴にはあったか?」
 僕はついでに聞いてみる。
「ああ」
 大西は言う。
「昨日、ヤマザキと一緒に久慈の家に遊びに行って泊まったんだよ。お前と、渡辺には連絡つかなくてな」

 これで、犯人はほぼ特定したといって良いだろう。
 彼女の浮気相手は渡辺だ。彼女は帰ると言って西門に向かいそこで渡辺と会った。そして夜の町へ……。
 僕は大西と別れて、渡辺と対峙するために図書館に向かう。
 渡辺は大学に入って初めて出来た友達だった。
 彼とこんなカタチで対立することになろうとは……。
 僕は重い足取りで図書棟の入り口を潜った。
 期待に反して、渡辺はすぐに見つかった。
 テーブルに本を山と積んでレポートに取り組む彼の横顔は確かに僕よりも幾分精悍で良い男だった。
 彼女が浮気心を出すのは仕方ないとちょっと思った。
 人柄の良い彼との友情はよく話し合えばなんとか損なわずにすむだろうと、自分に勇気を与えて僕は彼の前に立った。
「渡辺。ちょっと話があるんだ」

 僕は渡辺をつれて談話室の端に陣取った。
「なんだよ、真剣な顔で」
 渡辺は少し笑いながらも、僕にただならない雰囲気を感じて緊張しているようだった。
「実は……」
 僕は言った。
「実は俺、少し前から立浪ちゃんと付き合ってるんだ」
 僕は渡辺の顔を見た、彼の顔に何らかの負の感情が浮ぶのを予期して。
 しかし、彼の顔に浮んだのは満面の笑みだった。
 彼は僕の肩を力強くつかんで、揺さぶった。
「この野郎。やったじゃないか。
 お前にいつ彼女が出来るかと思ってたんだ。畜生。よりによって立浪ちゃんかぁ。やりやがったな。一番人気じゃねえか」
 あれ、なんかおかしい。僕は慌てた。
「おまえ、昨日立浪ちゃんと会わなかった?」
「いいや。もうしばらく会ってねえなあ。それよりこれから、みんな集めてお披露目だな。ちょっとメール入れてくるわ」
 渡辺は急いで談話室を出ていった。

 夜。飲み屋に仲間たちが集まった。僕と立浪を祝福するためだ。みんなのお祝いの言葉に囲まれながら、僕の混乱は溶けなかった。隣で立浪が僕を見上げてこう言った。
「ありがと。私がして欲しかったことをやっと分かってくれたのね」
「浮気って言うのは?」
「ああ嘘よ」
 彼女はこともなげに言った。

index/ novel/ shortstory/ fantasy/ bbs/ chat/ link