共感について考えよう

秋月 ねづ
きょう-かん【共感】《名・自サ》他人の考え・意見・感情などに全くその通りだと感じること。また、その気持ち。「多くの人の―を呼ぶ」・同意。同感。共鳴。

 自分が経験してない他人の気持ちを理解するのは難しい。というより、むしろ無理じゃないかと僕は思う。
 たとえば、僕はボールペンを使い切ったことがない。
 そら豆を食べたことがない。
 猫の喉を撫でたことがない。
 フェラーリを運転したことがない。
 だから、そういう気持ちを知らない。
 それと同じように、僕の目の前で、男に振られたと泣くこの女の気持ちを、僕はちっとも理解できないのだ。
 女は下を向いて細かいギンガムチェックのハンカチを目に押し当てている。
「私はあの人を愛していたのよ」
 女は僕を見てしゃくりあげながら、『愛してた』のアに必要以上のアクセントを付けて言う。僕は肯いた。僕にも人を愛した経験があるからそれは分かる。
「それから」
 僕はそう言ってから後悔した。
「それから?!」
 女が涙に濡れた目で僕を睨みつけたのだ。
「それだけよ」
 女は宣言するように言って、グラスの中の酒を飲み干した。
 いくら僕でも彼女が悲しんでることぐらい気づいたので、ポケットの中からいくつか月並みな慰める言葉を取り出そうとして、手を入れた。
 僕のポケットの中には人によって使い分ける五つの慰め言葉が入ってる。
 1 君ほどの女ならすぐ良い人が見つかるよ。
 2 もう泣くなよ。
 3 君を振るなんて見る目のない男だ。
 4 なるべく早く忘れることさ。
 5 (ため息)
 僕はこれらを人によって、いくつか使ったり、全部使ったり、
 付け加えたり、省略したりするのだ。(5だけのことが、かなり多いけれど……)
 その時は、僕は女の比較的端正な顔を見ながら、
 5・2・3・4・1 の順に言葉を並べ替えた。
 そして僕はため息をつくために口を開こうとしたが、それより速く、僕のため息を遮るように女は言った。
「私、ホントにあの人が好きだった」
 女は震える息を吸い込んだ。
「だから、だから今夜は一人でいたくないの」
 女はまくしたてるように言って笑った。
 もう涙は止まり、赤くはらした目を細めて、てれ笑いをした。
 僕はため息をやめて、変わりに深く息を吸った。
「分かるよ」
 僕は振られたことがない。
 でも、一人でいたくない夜はいくらでも巡ってくる。

 つまるところ、僕が言いたいのはそういうことだ。

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