ジェリービーンズ

秋月 ねづ
 女からいい話が聞けるのは、大抵、二人して天井を見上げる時だ。
 女は天井に向かって話し掛けて、僕は天井を通して話を聞く。
 そうすると女からは不思議といい話が出てくるし、僕も素直に聞く事が出来る。
 真実味のある嘘や、幻想的な真実。
 対照的なのは電話だ。真実は嘘っぽくなるし、嘘は悪意がこもる。
 僕は電話で言いたい事が言えた試しがない。
『電話で大切な事を言ってはならない』
 これは誰もが知ってる事だけど、みんな『付き合ってくれ』と『別れてくれ』を言う時しか思い出さない。
 天井と、電話。彼らはまるで通訳みたいに僕らの言葉を変換していくのだ。
 日本語からフランス語へ、スワヒリ語へ、スワヒリ語から日本語へ。
 コンチワ・サリュ・ジャンボウ・こんちは。ただ、天井は良い奴で、電話は悪い奴。
 それだけの違いなんだと思う。
 ある女がいた。
 名前は忘れたけど、僕の香水を誉めてくれて、僕の右腕を気に入ってくれた子。
 彼女もやはり天井を眺めながら話し始めた。
「私、昔、かりんとうを憎んでいたの」
 カリントウ?
「そう。私はジェリービーンズを愛していたの。
 別に、かりんとう自身が最初から嫌いだった訳じゃないの。
 ただ、ジェリービーンズを愛してたから……、分かるかしら」
 なんとなくね。
「ジェリービーンズとかりんとうって、全く違うじゃない。
 私のいいなって思うものが、かりんとうに無かったそれだけなの、最初は……。
 表面の感じとか、味とか、歯ざわりとかね。
 でも、色は嫌だった。私はジェリービーンズの信奉者だから。
 だけどそのうち、その嫌だなって気持ちがだんだん嫌いに変わって、
 最後には憎み始めたの、油断してたら。
 別に嫌いになろうって、思った訳じゃないの。
 ただ、深い海に石を沈めたみたいに、
 ほっといたらだんだん暗くて深い所に行っちゃって、見えないし、手も届かなくて、
 私にはどうにもならない所まで沈んだの」
 うん。分かるよ。
「その頃、私、正義感の強い女の子だったの。
 居るでしょ。クラスに一人ぐらい。
 細身で、黒髪を二つに分けて縛って、ショートパンツが好きで……、そんな子よ。
 正義の意味も良く分からないのに、きっと大人の真似をしてたのね」
 女は左腕をあげて、インドの匂いがするブレスレットの玉を指で撫でた。
「私の仲間に気の弱い女の子がいたの。
 私、その女の子を守んなきゃって思ってたの。思い上がりよね。
 でも、その頃の私は調子に乗ってた。
 私の周りには人がたくさん集まってきたし、男の子にもモテた。
 その頃、男の子は敵だったけどね。下品で、悪いから。
 ごめん、女の子の話ね。
 その子は他の子から、足手まといだから置いて行こうよ、って言われるような子だった。
 私はそう言う子達に怒って、彼女を何処にでもつれてった。他の友達の家や公園にね。
 どうしても仲間はずれにされそうな時は、その子と二人だけで遊んだわ。
 まるで保護者気取りね。」
 そういうのって別に悪い事じゃないと思うよ。
「ありがと。でもある時、あの子はみんなで公園に居る時、お菓子を持ってきたの。
 何だと思う?」
 カリントウ?
「そう。かりんとうだったのよ。よりによって。
 さっきも言ったけど、私はその頃、かりんとうを憎んでいたわ。
 みんなはその子を馬鹿にしてたから、誰も食べようとしなかった。
 その子は、みんなに勧めてから最後に私の所に来て……」
 女は大きく呼吸をした。
「これ、お母さんがみんなと食べなさいって、くれたの。そう言ったわ……」
 女はしゃくりあげて、静かな声で泣き始めた。僕は彼女を引き寄せた。
 僕の胸の辺りがつめたく濡れ始めて、僕は慰める言葉を考えたけれど何も思いつかなかった。
 今は食べられるの? カリントウ。
 僕がそう聞くと、女は僕を見上げて驚いたように濡れた目を見開いてから、ゆっくりと肯いてまた、泣き始めた。
 その時の女の顔を僕はまだ鮮明に覚えている。
 天井はただ、静かに話を聞くだけで決して立ち入ろうとはしない。
 たとえどんなに僕が困っていても。
 天井はあれで結構忙しいし、野暮ではないのだ。

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