後ろを向いて壁に両手をつけろ! クリスマスソングを歌うんだ

秋月 ねづ
「あんな女、俺の好みじゃなかったんだよ」
 僕はそう言って僕の席の周りに集まっていたニヤケ顔の男達を見回した。どいつもこいつも男子校特有のしけた面ばかりだ。
「ああ、そうだ。確かに俺は振られた。でも、それはどっちが先に言い出すかの違いでしかなかったんだ。タッチの差だった。鼻の差だ。あいつが言った時、俺はのど元まで出かかってたんだ」
 僕はそう、うそぶいたが内心かなりへこんでいた。
 今言った通り、僕は女に振られた。

「あたしたち、お別れね」
 ユリは残念そうにそう言って首を振った。
「あたしのやることにケチを付ける男なんて要らない。尤もあなたが謝るっていうのなら話は別だけど」
 ユリは僕の目を見上げてニヤリと笑う。憎たらしい表情だが、そんな表情をしていても変わらず可愛らしい顔なので、あまり怒りが込み上げない。本来なら横っ面を張り倒したくなるような仕草なのだ。得な顔をしてやがる。僕は舌打ちをした。
「あたしにだって男よりも大切なものがあるの。路上で歌う曜日にはあんたが死んだって歌う。ましてやキリストの誕生日なんて論外。それに会わないなんて言ってないじゃない。終わってから会えばいいじゃない」
 ユリは続けて言う。
「だいたい、あんただってそうでしょ。面白いもん見つけたら、いっつも、あたしをほったらかすじゃない」
「そんなの不公平じゃない? あんたはやりたい放題。あたしはあんたを優先。そうでしょ?」
 僕は言葉に詰まった。ここで戦国時代ばりの男尊女卑論をぶちかましたいのは山々だが、さすがに何も言えなかった。
「謝るの? どうなの? 後で困ったって知らないよ」
 ユリは諭すように言う。僕は首を振った。
「嫌だね」
 僕がそう言うと、ユリは足元に置いていたギターを背負いなおした。
「じゃあいいわ」
 そしてあっさりと背を向けて歩き出した。
「俺は絶対謝らないからな」
 僕は彼女の後姿に叫んで、ユリは振り返ってニッコリと笑った。

 そう、確かに今思えば、ユリの言うことにも筋が通ってる。本当なら素直に謝れば良かったのだろう。だけど、あそこまで崖っ縁に追いつめられたら、謝るなんて悔しくてとても出来ない。無条件降伏なんてゴメンだ。竹槍でだって立ち向かってやる。正直言うと、僕があそこで謝るにはユリに優位に立たれすぎていた。ただそれだけなのだ。

 クラスメイト同士諸君に向かい、僕は机を叩いて続ける。
「結局あんな性格の悪い女、俺は真っ平だったんだ」
 僕がそう言うと、二人が吹き出して顔を見合わせて、一人は軽く口笛を吹いた。
「相手がお前を真っ平だって言うんだろ?」
「じゃあ、上原はどんなのが良いんだ?」
 一人がそう言うと、みんなそれぞれに笑った。
「こんなのか?」
 両手で自分の頬っぺたを引っ張って舌を出す奴や、制服の上着の中に手を入れて拳で胸の膨らみを作る奴。頭の悪い奴ばっかりだ。僕は人差し指立ててみせる。
「いいか? どんなんだって良いんだよ。俺達はどうしたってクリスマスまでには相手を見つけなきゃならない。もし理想の女が見つかれば、それはそれで万歳だ。美人で、セクシーで、知的で、性格が良くて、料理の一つも出来る女が何処かに埋もれてるかもしれない」
 僕は指を鳴らす。
「分かってるよ、良い女はもう全部捌けてるって言うんだろ? 売り切れだって。待てよ、フロンティア精神を忘れるんじゃない。飛行機が発明されたって、世界中の秘境がもう無いって言ったって、マリアナ海峡の底がどうなってるか知ってるのか? 宇宙の行き止まりを見たことあるか? まだあるんだよ。女だってそうだ」
 僕はそう言って、みんなの顔を一つ一つ眺めた。
「そんな所にいるのは、どうせ深海魚かエイリアンだろ」
 ちょっと頭の切れる奴がいた。僕はそいつの目を見た。
「人魚姫やレイア姫だってきっといるさ。でも、忘れるな。第一目標はクリスマスを一緒に過ごす女だ。結婚相手は別の機会に捜せ。分かってるか? ルーク・スカイウオーカー。レベルを追求しすぎるなよ。ある程度のところで妥協しろ。かと言って、掲示板に張り出して恥ずかしくないところまでだぞ。全部揃えば後は質の勝負だ。金魚までとは言わんが、深海魚は許さん。」
 僕はそう言って、右手の拳を握って立ち上がった。
「いいか良く聞けよ、モテナイ男ども。この企画は重要なんだ。十二月も、もう半ばだ。お前らもっと真剣になれよ。勝利者か敗残者かは今にかかってるんだぜ。クリスマスに女の肩を抱けるかどうかはな。いや、それよりも、俺達全員の名誉の問題なんだ」
 僕は彼ら一人一人を指差した。
「良く考えとけよ。俺はクリスマスの日に男ばかりの惨めな残念会なんてゴメンだぜ。絶対B組を全員完売させてやる。お前らもあたりをつけろ。自分が駄目なら他の奴を売れ。当日だけでいいんだ。当日の腕を組んだ2ショット写真を20枚掲示板に揃えるんだ。やらせでも構わない。合成だって、ばれなきゃOKだ。でも広末は止めろよ。絶対ばれる」
 僕は息を吸ってもう一度、皆の顔を見た。よし、良い顔になってきた。
「D組はほぼ売り切ったって話だ。A、Cも全員協力態勢を作ってる。うちだけ残ったとなれば、一年間笑いものだぞ。去年一年間A組がどんな扱いを受けたか分かってるだろ? 気合を入れろよ」
 僕はそう言って、この話を打ち切った。

 うちの高校は伝統的に女性問題への関心が高い。恋人所有率も六十パーセントを越える。偏差値はちっとも高くないが、「女性の扱いに自信が無ければ考え直した方がいいぞ」と中学の進路指導で説得される。そんな厳しい環境の高校なのだ。なかでも、クリスマスとバレンタインデーの行事は特別だ。バレンタインデーには生徒会長を決める厳正なるチョコレート選挙、クリスマスにはクラス全員がクリスマスを一緒に過ごすパートナーを得るのが目標の『クラス対抗ケーキ販売』と呼ばれるレースがある。
 『ケーキ販売』は一人でクリスマスを過ごすことが恥というこの学校特有の雰囲気から生まれた。最初、相手のいない奴がクラスメイトに紹介を頼みあったことで自然発生的に始まったと言われる。いつからか、クリスマスのツーショット写真をクラス前の掲示板に張り出したことから、クラス対抗でその数を競うようになった。今では、ありとあらゆる手段を使って全員を売りさばかないと、クラス全体での連帯責任として一年間馬鹿にされるのだ。その上、写真の女の子の質まで議論される。個々の能力はもちろんのこと、顔の広さ、チームワークと色々なことが求められる過酷なレースなのだ。
 それでも抜け道が無い訳ではない。

「委員長」
 呼ばれて、振り返ると副委員長の不破がノートを抱えて立っていた。
「『妹』の振り分けは去年通りでいいんだよな」
 僕は肯く。お互いの姉妹を利用するのも抜け道の一つだ。
「もちろん構わないけど、追加補充はないのか?」
 不破は首を振った。ノートをめくって見る。
「相崎の妹が中三になって使えるようになったけど、大村の姉が一人暮らしで広島に行った。菊池に彼女が出来たけど、本原が別れて今居ない。そこを相殺した」
 僕は舌打ちをする。
「本原には引き続き努力させてくれ」
 不破は肯く。俺も人のことは言えない。
「俺もだな。悪いな、不破」
 僕がそう言うと不破は笑う。
「そうだよ。もうちっと我慢しといて貰えたら有り難かったのに」
 不破はそう言って、ノートを振って自分の席に戻って言った。そのノートにはクリスマスの予定がまだ空いている奴等、五人の名前が書かれ、そこに先日僕の名前が加えられたはずだ。こんな時期に女に振られた俺はもちろんのこと、今集まっていた奴等はみんな内心焦っている。
 正直、僕にも全然当てが無いのだ。委員長なんてやってると、やり手みたいに思われるが、僕はこの学校の生徒にしては保守的で暇なため、事務仕事を押し付けられるカタチで委員長をやってるのだ。だから、連絡を取れる女の子なんてちっとも居ない。そもそも、何で僕がこんな学校を選んだかと言えば、僕のちっとも良くない偏差値と距離的問題だけなのだ。この学校の体質は知っていたが、彼女がいたので問題ないだろうという気軽な気持ちで選んだのだ。
「そう、そこが問題だった」
 ユリとは中学二年生の時から付き合い始めたから、四年近く付き合ったことになる。そんなに付き合ってて、丁度こんな時期に別れることになるとは……。僕は溜め息を吐いた。
 僕がユリに『駅前で歌うのを止めてくれ』と注文を付けたことから全てが始ったんだ。いや終わったというべきか? なんにせよ、もうちょっと待つべきだったかもしれない。でも、僕はユリがクリスマスに路上で歌いたいと言ったことが我慢できなかった。クリスマスはいつも二人で過ごしてきたのに。
 良く考えると、ユリが僕に謝れと強気に出たのも確信犯的だった。この時期なら優位に立てるだろうと踏んだのだろう。嫌な女だ。ユリは長所の多いステキな女だが短所だって多い。歌がもの凄い上手くて、ギターが弾けて、ピアノが弾ける。その代わり、ルーズでワガママで、家事全般が出来ない。そんな女をどう思う? いや、僕は結構好きだった。

 今はそんなことより、事務的な問題だ。何とか六人分の女の子に都合を付けなければならない。最悪卒業アルバムと首っ引きに電話する方法も無くはないが、そんなやり方をして、他クラスの奴に知れたら恥をかくだけだ。そんな無茶なやり方はみっともない。
 僕はクラスの一人一人をあたって、何とかできないか?と聞いて回った。心当たりのある奴は既にカードを切っていたし、これ以上絞り出すのは無理なように思われた。僕はクラスで一番その方面に強いと言われる、松本を探した。松本は最近、近所の女子校に太いパイプを作ったらしい。

「おい上原」
 食堂で松本を探していた時に僕は呼び止められた。D組委員長の及川だ。及川がD組のグループの中でカレーを食べているのは見えていたが、気付かないふりをして足早に立ち去ろうとした瞬間だった。
「なんだ?」
 僕は溜め息を吐いてから振りかえった。
「お前、ユリに振られたんだって? お前のところは、これで六人に増えちまったな」
 僕は愕然とした。そんな情報が漏れてるのか?
「ユリはお前には勿体無い女だったからなぁ」
 及川はスプーンで僕を指して、僕は無理に笑った。
「別にお前が言うほど、大した女じゃなかったよ」
 僕は言った。
「今度はお前が口説いてみるか?」
 僕は眉をあげてニヤリと笑ってみせた。中学時代に及川が密かにユリに惚れていたのを知っていた。及川はちょっとムッとした顔を見せたが、すぐに隠した。僕は手を振って、食堂を後にした。
「委員長があぶれてたんじゃ、みっともないぜ。上原」
 及川がそう言うのを聞いて、後ろ手にもう一度手を振った。

 結局その日、松本は見つからなかった。昼にはもう学校に居なかったのだ。かなり感じの悪い一日の締めくくりはユリからの電話だった。
「どう? 謝る気になった?」
 ユリは言う。なんとも気に食わない出だしだ。悪いけど今日僕は、かなり機嫌が悪いんだ。
「別に」
 僕はぶっきらぼうに言う。
「あっそ。別にいいんだけど、あたし、及川君にクリスマス誘われてるから、後で謝ったって遅いんだからね」
 ユリがそう言って、僕は舌打ちを寸前で堪えた。及川め!
「勝手にしろよ」
 僕は心にも無く言う。
「もう俺には関係ないし、俺もクリスマスの相手は決まってるんだ」
「へえ、どんな子なの?」
「キレイで性格が良くてセクシーな、県女の子だよ」
「へえ。キレイで性格が良くてセクシーでその上、頭だっていいってわけね。ふん、嘘ばっかりついて。あんたがまだ相手、見つけてないことぐらい知ってるんだから。
 そうね。県女の校門の前にでも突っ立って、そういう子を探して彼女になって貰えば? どうせ、あたしはブスで胸が無くて、性格が悪くて、頭も悪いわよ」
 そう言ってユリは電話を切った。
 僕は深くため息をついた。
「ユリは美人だよ、残念なことに。その上、僕はユリの性格も胸も頭も嫌いじゃない」
 僕は切れている受話器にそう呟いた。

 僕が松本を捕まえたのは土日を挟んで次の月曜日だった。予約を取るにはほとんどタイムリミットだ。松本はあたってみると約束してくれた。後は待つしかない。
 僕はその間に、A、C組の委員長と情報交換した。両組の委員長は及川に比べると遥かに感じが良い。僕は比較的外交交渉が得意なのだ。僕は委員長としての気苦労や及川への反感でA組の委員長と仲良くなって、もう完売していたA組から密かに二名の予備を貰った。これは収穫だった。僕はその場で松本に電話して、彼のノルマを減らした。

 すべての結果が出た頃にはもう二十日だった。
 僕は両手のひらで机を叩いた。松本は自分を含めた五対五の合コンの設定に成功していた。
「ご苦労だったね、松本。これですべて完売だ」
 僕は松本と不破と握手した。
「質の方は保証するよ。県女だぜ」
 松本はニヤリと笑って、僕らはハイタッチした。
 パーティまで後四日だ。

「畜生。やってくれるぜ」
 二十四日当日、待ち合わせ場所のクリスマス電飾が光る駅前で、緑のツリーに向かって僕は舌打ちをした。
「どうした?」
 松本が僕の携帯を覗き込んだ。
「bの11にアクシデントだ。Aの委員長から譲ってもらった『お客』が『ケーキ』を取りに来ない。東口。もう一時間も過ぎてる」
 松本は僕の腕を掴む。
「知らないのか? A組の委員長は及川の幼なじみだ」
 松本はそう言って、僕は背中に汗が流れた。
「どうする? 委員長。売れ残るぞ。もう時間が無いぜ」
 松本は僕に問い詰める。
「まて、考えさせろよ」
 僕はそう言って、唸りながらその場で二度回った。
「どうしたの?」
 松本の呼んだ県女の子の中で、一番可愛くてセクシーな代表格の子が僕らの間に入ってきた。僕を見上げて目を真ん丸にする。
「困ったことが起きた」
 僕は彼女の目を見ながらそう言った。
「売れ残りそう?」
 彼女は言う。事情通だ話が早い。彼女は場慣れしてる。
「買ってくれるか?」
「はい委員長。あいあいさー」
 彼女は敬礼のポーズをする。
「ヒトリなら何とかなりますぜ」
 彼女は言う。
「頼む」
 僕は彼女にウインクして、bの11、沖田に電話をかけた。
「もしもし、沖田。韮沢を連れてすぐ西口に来い」
 僕は沖田の三秒で行くという声を聞いて電話を切った。女の子を見ると、彼女は携帯を耳に当てながら指でマルを書いた。
「おい二人こっちに呼んでも、しょうがないだろ。もう一人はどうすんだよ」松本は苛立ったように言う。
「俺が抜ける」
 僕はそう言った。興奮で体が熱くなって来た。
「OKだよ」
 女の子は僕の側に飛んできた。
「三十分で来るって。すぐそばの子だから。あたしってば使えるでしょ?」
「うん。助かったよ」
 僕はにっこり笑って肯いた。
「だー」
 松本が奇声を発する。
「後一人、どうすんだよ。委員長。お前の分がねえべ」
「えー。委員長が抜けるのー?」
 女の子は僕の袖を掴む。僕は松本の肩を叩いた。
「俺一人なら何とかなるからな。全員に余分がないか確認取って、いざとなりゃナンパしてもいいし。 お嬢さん! 僕を買ってもらえませんか?」
 僕はそう言って笑った。

 息を切らせた沖田、韮沢が来て、女の子も全員集まって、僕は手を振って、皆を送った。
「委員長。あたし委員長と写真撮りたかったんだ。『ケーキ』も余分に買ったし、一つ貸しだからね。覚えててね」
 目の大きな女の子は最後に、僕の側に来てこっそりと言った。
「まいど」
 僕はそう言って笑った。

 みんな居なくなって、北風吹く雑踏の中に取り残された僕は溜め息を吐いた。駅前の電飾の付いた大きなクリスマスツリーの下のレンガに腰をかけて、携帯を取り出して、僅かな望みをかけ、bの1、不破から順にbの9まで一つ一つ電話をかけていった。どこも上々の盛り上がりが見えて、どうやら僕以外みんな上手く行きそうだった。雰囲気を壊しそうで、一人何とかならないか? と切り出せないまま、僕は電話をしまった。
 僕は気分的に大分落ち着いてしまった。僕が売れないのはクラス的に大問題だったが、皆が楽しんでるのは良いことだと、妙に安心した気分になりそうになった。でも良く考えると、委員長だけが売れなかった、というケースは『ケーキ販売』史上かつてない珍事としてB組全体が馬鹿にされそうに思えて、僕は気を引き締めた。僕は何としても売れなければならないのだった。
 僕の足は自然と北口に向かった。

 デパートのシャッターが閉まった北口は比較的閑散としている。そこここで声を張り上げる路上ミュージシャン達。何処かへ行くために歩く人たちもまばらだった。
 僕はユリの定位置に向かって歩いていた。今更ユリのところへ行って、僕はどうしようというのか? ユリならこの状況を打開してくれるとでも思っているのだろうか? 人だかりが見える。ユリは路上にしては人気があった。いつも他のミュージシャンの倍くらいの通行人を立ち止まらせて、固定のファンもいた。だから逆に僕はユリが路上で歌うのが嫌だったのかもしれない。僕は正直ユリの歌声が好きだった。二人でいる時には大抵ユリは小声で勝手に歌っていたが、それより僕はユリに僕の為に歌わせるのが好きだった。平日の午後、ユリの家で僕はグランドピアノの足に寄りかかって、目を閉じてユリに静かな歌をうたわせるのだ。僕はとても安らかな気分になる。そうやって聞くユリの歌声は素晴らしくキレイなのだ。
 僕は人だかりの最後尾、ユリの歌声が聞こえるところまで来て、充分想像していたことだが、最前列に及川がいるのを見た。及川は僕を見つけて人だかりから出てくる。奴は僕を見つけるのが異常に早い。
「相手が見つからないのか? 上原」
 及川はホントに感じの悪い笑みを浮かべる。僕は正直に何度か肯いた。
「みっともないな上原。だからって普通振られた女のところに来るか? でも残念だったな。彼女は先約済みだ。このライブが終わったら俺と出かける予定なんだ……」
 僕は及川の話を聞き流しながら、歌うユリを見た。ユリは及川と話す僕に気付いたみたいだった。一瞬僕を見て、すぐギターの手元に目を落とした。ユリは僕と目を合わせるのを避けたみたいだった。
「おい上原、聞いてるのかよ」
 僕は、その歌を終えてお辞儀するユリを見てから及川の腕をポンポン叩いて言った。
「分かったよ。邪魔者は消えるさ。お前の写真を楽しみにしてるよ」
 僕は及川をその場に残して、ユリに背を向けて歩き出した。今更ユリに何とかしてもらおうという考え自体が甘いのだ。あの時、ユリがくれたチャンスに笑って謝っておくべきだったんだ。僕は後悔していた。もう僕に手は無くなった。本格的にナンパでもするしかない。僕は立ち止まって、どちらに行こうか考えた。仕方ないもうこうなったら破れかぶれだ。

『暗くなったから、クリスマスツリーに火を燈す』

 その時、ユリの歌声が聞こえてきて、僕は振りかえった。この位置からだとユリの姿は見えない。

『ママはまだ帰って来ないけど、
 きっともう帰って来るはずさ』

 ユリが歌っているのは、僕にとって聞きなれた歌だった。『暖かいチキン、大きなケーキを持って
 ママは急いでるだろう』
 僕はふらふらとまた人だかりの所に戻って行く。

『今日だけは早く帰ってくるって
 約束したよね。ママ』

 この歌は僕らが付き合って最初のクリスマスに二人で作った歌だった。僕が詞を書いてユリが曲を付けた歌なのだ。
 ユリは戻ってくる僕を見ながらその歌をうたった。

『クリスマスツリーがチカチカ光って
 とっても僕を不安にさせる。
 いつだって一人で平気だけど
 今日だけはママを強く待ってる
 クリスマスツリーはキラキラ光る
 ママはまだ帰ってこない』

 ユリの声は優しく僕の中に染み込んでいって、僕はゆっくりと息を吐き出した。僕はまだユリのことが好きだった。僕は悔しいけど強くそう思っていた。ユリは立ち上がって歌い終わると、ギターを置いてゆっくりとお辞儀した。そしてユリは僕の所に歩いて来て、僕の首に手を回して耳元で囁く。
「後悔してるんでしょ。こんないい女を手放して」
 僕は返事の代わりに溜め息をはいた。
「だって歌ってる私って、キレイだったでしょ?」
 僕は肯いた。
「確かにキレイだったよ」
 ユリは嬉しそうに微かに笑った。
「私はあなたが好き。だから、あなたは分かってないようだけど、私も私の歌も全部あなたのもんだわ。私が何をしてても、何を考えていてもそれは変わんない。それを分かって欲しいの」
「あなたは私にとって特別なの。私自身を除いて、あなた以外の誰も私に歌わせることは出来ない。拳銃を突き付けられて脅されたってゴメンだわ。分かる? 私の言いたいこと」
 ユリは僕に額を付けた。
「私、クリスマスにはあなたの作った歌をあなたの為に歌うし、あなたの死んだ日にはあなたの好きだった歌を泣きながら歌うと思う。だってあたし、あなたを愛してるんだもん」
 ユリは自分の言葉で少し涙ぐんで、僕は笑った。
「縁起でもないな」
 僕は溜め息を吐いた。
「分かった。俺が悪かったよ」
 ユリは僕の目を見上げる。
「で?」ユリは訊く。
「俺が悪かった。今回のことは許して欲しい。今も俺はユリのことがすごい好きなんだ。だからユリ、出来たらもう一度、俺と……」
「うん!」
 ユリは僕の言葉を遮って肯くと、待ちきれないようにジャンプして僕に飛びついて、僕にキスをした。観客から歓声があがる。僕はユリを抱き留めて、口を離した。公衆の面前でなんてことを……。
「メリークリスマース!」
 ユリは右手を高く挙げてそう叫んだ。

 一月初めの始業式の日は僕らの学校はお祭り騒ぎだ。一年から三年生までの教室の廊下、果ては職員室の一部までカップルの写真で一杯になる。僕はクラスの教壇に立って、盛大な拍手を両手で静めた。不破と松本が僕にウインクを送る。
「みんなの協力と努力でうちの廊下には、誰一人欠くことなく二十枚の写真が揃った。しかも、学校で一番レベルが高いと俺は思う」
 僕がそう言うと、また拍手や口笛の嵐が巻き起こった。
「また、明日からは戦争みたいな日常に戻る訳だけど、今日だけは勝利に酔いしれよう。今回、はずれを引いてしまったC組には可哀相だが、最高の恥辱を与えてやろう。それによって俺らの勝利がより誇らしいものとなるんだ。最後にもう一度、君らの協力に感謝する。来年もまた気を抜かないで行こう」僕はそう言って、教壇を降りて、両手で次々と伸びてくる手を叩きながら、自分の席に戻った。これで僕の仕事は終わりだ。
 すべての授業が終わり、僕と不破と松本は今回のことを振り返りながら帰った。帰り際、D組の前で、及川を見つけて肩を叩いた。さすがに及川は他の子で自分の写真を用意していた。その辺は抜かりが無い。
 僕は及川とさえない普通の女の子との写真を見た。
「中々可愛い子じゃないか。及川」
 僕は及川の憮然とした表情にそう言った。
「なあ」
 僕は後ろを振り返り、不破と最もらしく肯き合う。
 僕らは角を曲がって見えないところまで来ると我慢していた笑いを爆発させた。

 そして、僕らはもう一度、手を叩き合った。

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