MISIMA

秋月ねづ

 水谷ヨウコの父親と会ってみて、『彼はもう水谷ヨウコのことを諦めている』と僕は感じた。彼はこの町の不思議な力というものに屈していた。彼には水谷ヨウコを、娘を何としてでも探し出すという情熱など、もうないようだった。もしかしたら、それは水谷ヨウコが失踪した十年前にはあったかもしれないが、今の彼からはもう感じられなかった。今の彼は娘を探し出したとしても、『それがどうなるのだろう?』と思っているのかもしれない。見つけたとしても娘は帰ってこない。彼の心の底には伝え聞いた言葉が深く刻まれている。
『この町を憎んだものは、この町を出て二度と戻らない』
 それはまるで御伽噺のようだ。笛を吹く男について行ってしまう子ども達の話のように不吉な臭いがする物語だ。

「そして、水谷ヨウコも、もう二度とこの町には戻らない」
 僕はそう呟いてみた。それはありそうなことだった。だが幾分胡散臭さを含んだ結末だと僕は思った。
 僕は少し苛立ち始めていた。僕はこの町が好きだ。水谷氏に言わせれば、この町を愛する者というカテゴリーに属しているのかもしれない。もしくは、君はこの町の人間とは言えない、と彼は思うかもしれない。残念だけど、君は『言い伝え』に当てはまらないんだ。
 いずれにせよ、僕にとってそんなことはどうでも良いことだ。
 僕は車を走らせる。来た道を戻っていく。でも、僕は来た時ほど軽い気持ちでは無かった。随分深刻な事態になっていた。来る時には水谷家で何らかの情報が得られるだろうと楽観的に考えていたのだ。来る時の僕は水谷ヨウコへと向かう『線』を意識していた。幾つかのポイントを繋いで順調に遠くへ伸びるラインだ。でも今は、色々なところをたらい回しにされた挙句元のところへ戻っていくような感覚になっている。もしかしたら行き止まりになって、諦めて、今日中に飯塚君にカローラを返して、明日から仕事に戻れるかもしれない。僕はそんな気だるいマイナスの安堵感のようなものに包まれた。僕は酷くがっかりしていた。多分ポイントは、水谷ヨウコがこの町を憎んでいるという所だろう。それが僕を想像以上にがっかりさせた。僕にとって大切な思い出であるこの町を水谷ヨウコは憎んでいる。そう繰り返し考えるたび、その事実は僕の、彼女を探し出そうという意欲を確実に削り取っていった。もしかしたら、と僕は思う。水谷ヨウコの父親もこんな気持ちなんじゃないんだろうか? 自分の愛するものを憎まれるのはやりきれない。僕と水谷ヨウコは交わらない水と油のようなものなのに、僕はそれを必死になってかき混ぜている。そんな光景が見える。僕は悲しくなった。
「もう止めよう」
 僕は呟いて、助手席のチラシの『安西裕子』という文字を見つめた。僕はそれを取り上げて、握りつぶそうとして止めた。この人で終わろう。僕は思った。僕のアパートから始まったこの探索は僕のアパートの近くで終わる。そして、僕がアパートに戻ればこの円は閉じるわけだ。僕は果てしなくて報われない旅をした気分だった。実際は隣町にしか行ってないにも関らず。

 安西裕子の二階建て一軒家のチャイムを押した時には午後四時を五分ほど過ぎていた。彼女の家は本当に僕のアパートの近くで、歩いて何分も無かった。僕はカローラを家の前に止めて、チャイムを押す。
「はい」
 とインターフォンから意外と若い声が返ってくる。僕は顔を近づけた。
「あっ、突然で失礼致しますが、実は水谷ヨウコさんのことで少しお話を伺いたいんです。彼女のお父様から、安西さんならヨウコさんのことを何か知っているかもしれないと伺いまして」
 僕は途中で相手に遮られないように、一息でそこまで言った。ここに来る途中に考えた台詞だ。インターフォンは少し沈黙したが、
「ちょっと待ってください」
 と言って切れて、僕はため息をついた。何とか門前払いだけは避けられた様子だ。そして、鍵を外す音がしてドアが開いた。僕は息を呑んだ。
「君は」
 ドアから現れたのは水谷ヨウコではなくて、雨の日に僕のアパートの前に佇んでいた少女だった。少女は僕の顔を見て、目を大きくさせて驚きを表現したが、それはほんの一瞬だった。予想の範疇という程度の驚きだ。彼女は歩いてきて、彼女の胸ほどの高さがある鉄の門越しに僕と向かい合った。
「おねえちゃんの何が訊きたいの?」
 僕は混乱していた。何が何だかさっぱり分からない。
「ちょっと待って、くれ。君は水谷コウコの何なんだ」
 少女はため息をついた。そんなことも分からないの? という風に。
「従姉の娘」
 彼女はそう言う。
「安西裕子さんは?」
 僕はそう訊いた。彼女は眉を寄せて、こいつ馬鹿なんじゃないだろうか? という表情をする。
「ママ」
 僕は頭の中で急いで、水谷家の家系図を組み立てる。水谷ヨウコの父親の姉の娘、つまり水谷ヨウコの従姉が、安西裕子でその娘がこの目の前の少女なのだ。
「でも、君はこの間、僕が水谷って名前を出しても、何も言わなかったじゃないか?」
 僕はそう言って、彼女はため息混じりに頷いた。
「あんまり知らない人にそんな説明するわけないでしょ」
 と、にべも無く言われて僕は肩を落とした。
「まあ、入って」
 と彼女は鉄の門を押し開けた。
「水谷の叔父さんの紹介なら、話をしてあげるわ」
 彼女はそう言って、僕を応接間に通した。

「で?」
 と彼女は言う。彼女の名前は『安西麻衣』だそうだ。
「あなたはおねえちゃんの何なの?」
 と麻衣は何度も色んな人にされたお馴染みの質問をした。
「同級生だ」
「それは前に聞いた。それだけなの?」
 麻衣はそう訊いて、僕は頷いた。
「そう……。それで? おねえちゃんの何が訊きたいの?」
 僕は彼女の目を見る。核心の質問だ。
「居場所だ」
 麻衣は深くため息をつく。ニ三度首を振る。もうその話は聞き飽きた。という風だ。
「それを聞いてどうしようっていうの? 同窓会でもやるの?」
 僕は首を振る。
「ただ、知りたいんだ。会って話したい。水谷ヨウコが何を考えているのか。昔の、そして今の、水谷ヨウコを理解したいんだ」
 僕がそう言うと、麻衣は何かを考えるように、目を閉じた。彼女は目を閉じると全体の印象が変わってしまう。目に存在感があるのだ。彼女は目を閉じると、逆に目を印象づける。
「知ってる」
 麻衣は言う。
「私、おねえちゃんが何処にいるか知ってるよ」
page7

back/to misima top