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(@n@)
安心できる映画:ハリーポッターと秘密の部屋
いつも通りの夢と冒険と友情で、とても好きだなあという感想。安心して観られるし、難解なカンヌで賞をとるような映画よりよほどいろいろ教えてくれると思う。よくできたお話はいつも納得する。
今回はハリーががんばって良かった。前回はハーマイオニーが知恵、ロンが勇気と友情を示して、お前にあるのは才能だけかよという身も蓋も無い内容だったから。才能さえあればすべて許されるという。
あきさせないテンポのいい展開や、魔法やら道具やらで面白がっているうちに長い上映時間が過ぎてしまう。またハーマイオニー(エマ・ワトソン)が凶悪にかわいいので、世界中に「ハーマイオニー萌え〜」な方々が再び続出しているんだろうなあと苦笑した。
満足度 ★★★★/KENSEI 021231
(以下ネタバレ注意)
ラスト近くの復活したハーマイオニーとロンとのぎこちなさはなんだろう。前からあんなもんだったか。それともなにかの兆候だろうか。原作を読んでいればわかるのかな。
やはり舞台がイギリスだからいいんだろうなあ。たとえば学校に出てくる幽霊にしたって、日本では「トイレの花子さん」とかになるし。
あとハーマイオニーが猫になってしまうシーンを、なぜプロデューサーは猫耳と尻尾だけにして一部の人のハートを強烈にゲットしないのか考えるのはぼくだけですか?
……もしかすれば一部の人の脳内ではすでに変換されているとか?
例年母と二人でクリスマスを過ごす。過ごすといったって別段普段と変わることはない。食後にケーキが出るくらいである。妹は女友だちと騒いで、父は仕事で遅くなる。
子どものころはプレゼントをもらったものだが、高校を辞めてフリーターになってからは拒むようになった。不良というわけではないが、ドロップアウトした自分には不似合いだと確信していたのだろう。
それでもケーキくらいは毎年用意されていた。しかし妹は海外へ行き、父も単身赴任で、本当に二人きりになってしまうとホールでケーキも買いづらい。
「今年はいいだろ」
と冷淡に言い放ったものの、母はなぜか未練があるようだった。友人との電話で「KENにまかせるつもりなの」などと話している。
ぼくはナザレの羊飼いの生誕なぞ祝うつもりはなかったのだが、仏心で会社の帰りにケーキ屋に寄ってしまった。携帯電話で食べたいか? と聞いたら、買ってきてよ、とぬかす。
「だってそのほうがクリスマスらしいもの」
なんでクリスマスらしくする必要があるんだよ?
十代のころは、なんだが憧れたものである。バブルも弾けた直後で、余韻だけがひどく残っていた。およそ都市伝説めいたデートコースを巡る夢想をどこか抱いていた。母親と二人で焼いた鳥をモソモソと食べながら、空しい気分になったものだ。大学に入ってからはアルバイトと授業の忙しさを口実に、空しさからは脱却できたが、心底落ち着いてきたのはここ数年である。理由は単純で、
「……なんで祝う必要があるんだろう?」
そのことだ。
みな日本国アメリカ市民や、日本人の皮をかぶっても心ではアングロサクソンになりたい輩か? と右翼めいた感慨を覚える。
同時にハレの日、きっかけとして、騒いだり、おしゃれしたり、贅沢したり、という行事は大事だよ、などと思ってみたりする。
ロバート・フルガム流に言えば、クリスマスは感動や畏敬や歓喜を、呼び覚ます些細なきっかけだ。心の在り様そのものかもしれない。特別な日だと思えば特別で、特別な日だからこそドラマを感じることもできるだろう。
ここでいつもならオチに入るところなのだが、クリスマスへ素直に迎合したくない。だからぼくは畏友・迦楼羅から出されたクイズを書いて締めくくりたい。今日はイエス=キリストの生まれたとされる日です。では問題。
「イエスの肌の色は?」
クリスマス! クリスマス! クリスマス!/KENSEI 021225
年賀状をこの連休で作成しているのだが、リストから外す人物でいつも迷う。
パソコンを所有してから毎年配り始めた。それまでは来た人にだけ返していたのだ。自分の筆跡が恥ずかしくで、手書きはなるべく他人に開示したくないのである。
仲のいい友人たちは問題ない。いまでも酒を飲むために集まる連中や、学生時代に深いつきあいをしていたやつは。困るのは、昔の同僚や級友で、勢いでアドレスを交換した人々だ。それなりに当時は交流があったものの、もういまは顔をあわせていないし、一言書き添える文句さえ浮かんでこない。親近感はあるが、そこまで密な関係ではなかった人たち。
そこでまとめてリストから除外して、補欠リストを用意することにした。新規に住所録をつくってそちらへ保存する。削除はしない。もし賀状が来たときは、即時に返書できるようにだ。
そのとき、数人の人物で移動を躊躇した。
親密さは大して変わらない。なぜだろう。しばし考えて、納得する。
才能があると感じている人たちだ。
つまりは、いつか「つかえる」かもしれないと予測しているのだ。
なんて厚かましいんだろう。
でも重要な感覚だよな。
ぼくは結局その数人をリストに残した。
KENSEIのリスト/KENSEI 021223
女の好みがうるさそう、と評されることが多い。
「そんなことはない」と常々反駁している。しかしいくら表面で注文をつけなくても、滅多に惚れないというのは選り好みの証拠だ。反論の根拠は薄い。
ある人に「(条件は)親へ会わせられる人とかじゃない?」と指摘される。そう言われれば、そうかもしれない。
男の友人しか親に紹介したことはないが、決まって母は「優しそうな子ね」と評する。高校のころから変わっていない。その年頃から地縁を離れて「好み」で人を選ぶようになるからだろう。
考えてみると、ぼくがよく行動をともにするタイプは、折り目正しい人ばかりである。節度を有した人間を目標としている。姿勢を見習おうと、美徳を感じた人へ追いつこうとするのかもしれない。だから一緒にいようとする。
とくにマナーの悪い人とは長時間いられない。会社の先輩に、音を立てて飲み物をすするのを趣味にしている人や、ペンやFDを口でくわえる癖を持つ人がいるが、できれば視界へ入れないようにしている。
女性で気になるのは、食事を残す人である。注文するだけして食べきれないというのは、我慢ならないのだ。なら最初から量を減らしてもらうか、誰かへ分ければいい。店側の対応や体調などもあるから、さすがに目くじらを立てるような真似はしない。しかし内心眉をひそめるくらいはしている。加えてテーブル中にこぼしたり、適当に料理を混ぜて食べたりする人(存在するんです「デンジャラス・ビューティ」じゃないけど)は、見ているだけで気力が減退する。
ぼくだって別段きれいなマナーを身に付けているわけではない。それでも結構細かくチェックしているようだ。
それに会話の内容や程度も測っているようだから、この重箱の隅のつつき具合に書いていて苦笑してしまった。
Safe Beauty/KENSEI 021216
思いました。
そろそろダメ人間であることをネタにするのは終わりにする時期なんじゃないかと。
同時に思いました。
それこそこのサイトが終わりになる瞬間なんじゃないかと。
THE END OF THE SIGHT/KENSEI 021215
自分にごほうび、というのは空しい言葉だよなあ、時折感じる。
学生の頃の、この季節のことだ。
後輩(女の子)がびっくりするほど高い時計をしていた。一年間ごくろうさまっていう自分へのごほうびなんです。後輩の笑顔へ率直に、
「空しくないか?」
と聞いたら、本気で腹を立てて、すねてしまった。
家事をやったりバイトに励んだり家族の為24時間がんばっている子で、無神経な発言をいまでは悔やむ。しかし本人だってどこかでわかっていたのだろう。図星だから過敏に反応する。かといって、ぼくがねぎらったところで満足するわけでもない。
自明のことだが、自分がいかに苦労したか、一番良く知っているのは自分自身である。客観的な尺度ではなく、独断に満ちた苦労に過ぎないけれど。
それでも「本当によくやったよお前」と誉めてやりたい気分にはなるものだ。祝杯をあげたくなるときだってある。誰も知らない一人だけの、満ち足りた、グラスを傾ける瞬間。なんということはない。ぼくも本質的には変わらない。
でも理想は自分以上に、自分の苦労を理解していて、癒してくれる人がいることなのだろうなあ。
愚者の贈り物/KENSEI 021214
北青山でスタバに入って、今夜もくつろいでいたりするわけだが、一向に似合う気配がない。先日食べたスイートの正体は「ポピーシード&クリームチーズパウンド」という大袈裟な名前だ。ゴマと思った粒は「ケシの実」で、自分の舌にあきれはてた。
静かに広がるジャズへ耳を傾けつつ、コーヒーをすする。嫌米を文で書き散らしながら、どうしてここまでアメリカの文化を満喫できるかなあと苦笑してしまう。日本の歴史も思想も嫌うのに、文化だけは誇るべきと喧伝するマスコミと同様の行動だからだ。
もう少し日米の歴史について触れさせてもらいたい。ようやく読了したのだが、江藤淳さんの「閉ざされた言語空間」(文春文庫)。読むと、なぜマスコミが歴史を否定し、文化のみ奨励して取り上げるのか、理解できる。この本を知らずにきたのは不明だった。ぜひ多くの人に読んでいただきたい。
終戦直後から7年間続いたアメリカの日本に対する検閲を明らかにしたものなのだが、恐ろしいのは、ぼくが十代のころ信じていた内容が検閲の指針とそのまま一致していることだ。
畏友・迦楼羅は十年来の論敵であり、負けっぱなしの相手であるのだが、あるとき「日本の平和はどのようにして維持されているか」という論題を選んだ。当時迦楼羅は高校生。
「アメリカの核の保護下にあることと、自衛隊が仮にも武力として存在するからだろう」
迦楼羅は冷静に分析してみせた。ぼくは幾分感情的に反発した。
「平和憲法のおかげであり、自衛隊も放棄して非武装中立となるべきだ」
いまはまったく逆のことを考えている。恥ずかしい限りだ。
迦楼羅は、このころから日本人の根底にある不可解さのようなものの原因を探していたそうである。現代の日本が始まったのはどこからなのか。その答えをようやく知ることができたと言う。迦楼羅に薦められ、読破したぼくも同意する。視野は新しくなり、世界が繋がっていく。
しかしまだ文化と思想の背反について、思考は未分離だ。いつかは結論を見つけたい。芥子の実と凝乳乾酪の焼菓子を食べながらそんなことを思っている。
まだ空間は閉じたままだ/KENSEI 021211
ずっと「リメンバー・パールハーバー」に対抗する標語を探していて、最近候補と考えているのが「士道不覚悟」である。
岸田秀が書いていたのだが、武士の思想は「常在戦場(Always War)」であって、油断した軍はサムライとしての心得が足りない、というものだ。少なくとも当時の日本軍がそう訴えてもおかしくはない。
さらに解釈を重ねればハルノートは、一個の漢(おとこ)に対する侮蔑であったということも言えよう。漢が漢を相手に誇りを汚すような真似をとれば、その場で斬りつけられても仕方ない。アメリカは山賊の類であるので、下卑た振る舞いしかできないのだ。そう読み解くと真珠湾攻撃もまた違って見えてくるのではないだろうか。
もう一つの候補であった「天誅!」はアルカイダに譲るつもりなので、使用できない。ぼくはこちらがより米国には適していると感じるが。
残念なことである。
You are not a sumrai !/KENSEI 021209
徹夜で飲んで明け方。始発が動き出す。腹が減って女の子と二人で、締めに牛丼を食べることにした。中は暖かく、奥のテーブル席に腰を落ち着ける。注文の品が運ばれてきた。食べ始める。すると彼女は少し口をつけると満足したのか、卓に突っ伏して目を閉じてしまった。
自分の分を食べ終わり、お茶を空けても身を起こす気配はない。かすかにいびきも聞こえてくる。熟睡している。店員さんの視線を感じる。肩を揺する。おい、店員さん見てるぞ。起きろよ。
「うん……わかったよ。ドライヤーとって」
オレとキミはどこに入ったことになっているんですか?
(いや、オレじゃないだろうけど。その登場人物)
寝起言/KENSEI 021207
今日もスタバでショーケースをにらんでいた。夜に行くとフードメニューはほとんど売り切れ。お気に入りのスコーンもとうになくなっている。残ったどれが一番おいしいのだろうか。しばらく迷っていると店員さんが親切に声をかけてくれた。
「あまり甘くないほうがよろしいですか? いちばん甘くないものはこちらアップルジンジャーですね」
……甘いもの大好きなんですけど。
強面のくせに甘いものが好きである。ケーキバイキングにも行ってみたくて、友人の女性に頼んだこともあった。(男で行きたいという友人もいるが男同士はちょっと……)
近頃はデスク・ワークのせいか下っ腹がたるんできて、気になって仕方がない。中年のような身体だ。それでもついついスイーツに手を伸ばしてしまう。
結局クリームチーズのケーキ(名前忘れた)を買って、ハウスブレンドと一緒に食べた。厳密に言うと一息で食べたので一緒には食べていない。
うまいんだ。
メープルオートナッツスコーン以来のヒット。セサミがアクセントになりきれていない感はあるが、バランスのいい味である。いきなりご機嫌な夜となる。
そういえば最近の男性は人前でケーキなど注文することも臆さないのではないか? 妹が昔「男の人が食べてても幻滅しないお菓子はドーナツまで」と言っていたのを思い出す。ドーナツなら食べていても格好いい。家でケーキを食べたりするのはいいが、あまり外では推奨できない、と。
さすがにぼくも一人でいるときは注文できない。男二人なら、二人でケーキを食べていたりする。
あまり美しい光景ではない。
なんにせよ、ぼくにはスタバもスイーツも似合わない。
それをわかりつつ、自分を楽しんでいる。
甘党なんです/KENSEI 021205
本日12月4日は中島敦の命日ということで、書きかけの「アナーキスト本のベスト10」の一部から、中島敦の部分だけを載せてみたい。(ベスト2の書評がうまく書けなくてずっと頓挫している。)
中島敦は「李陵」「山月記」などが教科書に載っているそうで、高名な作家らしい。しかしぼくは三年ほど前まで読んだことがなかった。たまたま友人の家へ泊まりに行き、友人に仕事が入ったため暇を持て余し本棚を漁った結果だ。
そのときぼくが強烈に惹かれ、以来なんども読み返しているのは「悟浄歎異」という短編である。
弟七位「悟浄歎異」中島敦 文春・角川他
西遊記に登場する沙悟浄の視点を通して一行を描いた短編です。中島敦は「山月記」などで教科書にも登場していますが、この一編のためにベストテン入りといっても過言ではありません。文系硬派の鬱屈とした感情が見事に表現されているからです。
孫悟空は実行的の天才、猪八戒は享楽主義者。悟浄は嘆きます「この旅行における俺の役割にしたって、平穏無事のときに悟空の行き過ぎを引き留め、毎日の八戒の怠惰を戒めること。それだけではないか。何も積極的な役割がないのだ。俺みたいなものは、いつの世に生まれても、結局は、調節者、忠告者、観測者にとどまるのだろうか。けっして行動者にはなれないのだろうか?」
ぼくは悟浄の生まれ変わりなのです。
悟性/KENSEI 021204
つかめない映画:ラスト キャッスル
ひさしぶりに異様に退屈な映画を観た。序盤から周囲の観客がいびきをかいて寝始める。いつもならたたき起こすところだが、今日はもうOKですよ。ハイ。
本来なら★一つ。無用な場面が多すぎる。長くて長くて時計を何度も確認する。終盤のアクションシーンがちょっと面白かった(まったく本編とは関係ない理由)ので、★二つ。
展開もテーマも台詞も、どこかで観たようなものばかり。囚人の自尊心なら「ショーシャンクの空に」へ遥かに及ばず、失われた軍人としての名誉なら「英雄の条件」くらい迫力がほしい。「いまを生きる」風のラストでもいい。伏線や描きたいことの片鱗は感じるが、未消化であったり、唐突であったりする。ともかく最後までなにがやりたいのかつかめない映画だった。
モチーフや映像のつくりはしっかりしているだけに、もったいない作品だ。でも、観なくていいですよ。
満足度 ★★/KENSEI 021202
いまさらながら「QUEEN」にはまっていて、毎朝CDウォークマンから流れてくるフレディの歌声に泣きそうになる。
自分の立ち位置があやふやになっている。目標を見つけ、あとは進むだけだったはずのものが、うまく踏みしめられない。「キレ」が悪くなっているのがわかる。文章も。生活も。神経が行き届いていない。充実したときは、すべて濃やかに配慮して動けるものなのだ。
仕事は低調。あれだけ悩んで辞めたDTPの仕事を結局いまでも押しつけられている。会社がつなぎで引き受けてくる仕事を、技術も足りないのにこなし続けている。要は双方の妥協で、ちゃんとした会社に出すと料金が高い。だから下請けが見様見真似でやってみせる。
編集講座も期待通りにはいかない。決めつける必要はないが、覚悟はしておいたほうがよさそうだ。
ただ疲れているだけなのかもしれない。週末。金曜。無性に酒が飲みたくなる。こんなときは大勢の野郎どもと騒ぐか、女の子と静かに飲むのがいい。本当は「べろんべろん」に酔っ払うなら女の人とがいい。男友だちには泥酔した姿を見せたくない。同時に、酔っ払わせてくれる女性なんて滅多にいない。こういうとき彼女がいればなあと痛感する。わがまま言って呼べる人間の一人もいないのだぼくは。
堅実に、野郎と騒ぐ方向を模索する。ところがこういう夜に限って誰もつかまらない。時間をもてあます。
一夜明けて土曜の昼。どこかまだ飲みたい気分が残っている。再び友人たちに連絡をとる。数少ない女友だちから「金曜だったら付き合えたのに」と返答がくる。金曜は誘わなかった。流れが悪いときはこんなものかなあ、苦笑する。
近場に住んでいる男の友人にメールする。グループでは頻繁に顔を合わせるが、差向かいで飲んだのはかなり前のことだ。だから今夜は近所で飲もうと誘うが、予定があって結局飲めないという。ところが詫びの返信に、全然関係ないけどという前置きをして、こんな報告が書かれていた。
「実は俺、○○ちゃんと付き合うことにした」
みんなにはまだ内緒にしておいてくれ……彼女はグループの中にいる女性で、いきなりの通知である。一緒に遊んだり飲んだりしていて、まったくそんな素振りはなかった。知らずにいた。文面が頭に入らず読み直す。驚きはしたが素直に祝福をしたいと感じる。けれど同時に正直な感想を書くと、うぬぼれかもしれないが、彼女はぼくにも好意を示していたような印象があった。自嘲する。勝手なものである。
純粋に比べれば、ぼくと彼となら、ぼく自身が女であれば間違いなく彼を選ぶだろう。彼はいい男である。わかってはいるけれど、物語はどこで始まったのだろうか。Uボートみたいに恋愛が浮上してくる。こんなにもあっけなく人は何かをつかむ。
ますます酒を欲する気持ちと、もうなんだか不貞寝してしまいたい気持ちが重なる。
で、結局なにをしたかというと、「ガンパレード・マーチ」をやってましたよ。PS2で。4周目ですよ。時を忘れて。
Somebody To Love/KENSEI 021201
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