放課後の秘密

凩 優司

 2メートル以上する本棚の上。
 その上を脚立に乗って覗き込んでいるところを、図書委員の佐伯紗枝に見られた。
「……何やってるの?」
 人気のない放課後の図書室。
 佐伯は、いかにも怪しい人を見るような目つきをしている。
 俺は動転をさりげなくごまかす事にした。
「まあ待て。何も怪しい事なんかないぞ?」
「……」
 ちょっとさりげなさが足りなかったようだ。
 佐伯は俺を、まるで駅のごみ箱で週刊誌を拾っている人のように見る。
「ちょ、ちょっと待て。そんな目で俺を見るな。誤解、誤解だよ」
「……どこらへんが誤解なの?」
 クラスではいつも笑顔を絶やさない佐伯。
 その彼女が射るような視線を向けてくるのは、微妙に新鮮だった。
「……それは話すと長くなるんだ」
「どのくらい?」
「1875年、アメリカの鄙びた田舎……ダニント村に、青年クルックホーンが生まれたところから物語は始まる」
「時間がないから200文字にまとめて」
 随分と難しい事を言う。
「……ちょっと待ってくれ。今、言い訳を考えるから」
 視線が刺すような物から切り刻むような物に変わった。
 どうやら冗談は通じないらしい。
「えーっと……そうだな。佐伯は目に見えない場所には何かがいると思わないか?」
「……はい?」
 表情が『こいつ気狂いか?』と言っている。
「だからそんな目で見るな。そうだなぁ。シャンプーをして目を閉じていると、自分の後ろに何かが立っているような気がした事はないか?」
「……まぁ、それならあるよ」
「だろ?」
 我が意を得たりとばかりに、俺はうなずく。
「そういうのと同じように……俺は図書室の本棚の上、天井と近くて覗きこもうにも無理な隙間。そういったところを見続けていると、そこに何かが走っているような影を見出す事があるんだよ」
「……全然、同じじゃないと思う……」
 俺は何も聞こえなかった。
「だから俺は果敢にも単身、その謎の生物とコンタクトをはかろうとしていたのさ!」
「……それが人のいない図書室で何もないはずの場所を、わざわざ脚立まで使って本棚の上を覗いていた理由なの?」
「うん」
 俺の言葉に、彼女は黙りこくってしまった。
 家族に自慰を見られた時に匹敵するような、気まずい沈黙が辺りを包んだ。
「……えーと」
 彼女は俺を、年老いてよたよたと歩く犬のように見る。
 そして拳を硬く握り締めて突き出すと言った。
「……きっと、いつか生きてて良かったって思える日も来るよ!」
「待て」
「どんなに辛い日々も、いつか必ず明けるんだから!」
「そんな言葉を聞きたいんじゃねぇ」
「え?」
 きょとんとする佐伯に、俺は指を付きつけてみる。
「それに……なんでお前。威勢の良さと反比例して、足は俺から遠ざかってるんだ?」
 ぎくぎく。
 彼女の心の声が聞こえたような気がした。
「やだなぁ……そんな事ないよ」
 そう言いながら、背を向けて走り出そうとする佐伯。
 俺はその襟をむんずと掴んでみせた。
「ひぃぃ〜犯されるぅ〜っ」
「人聞きの悪い事言うなっ! そんな事しねぇっ!」
 びくっとしてから佐伯は振り返る。
 泣きそうな表情をしていた。
「……食べるの?」
「……」
 髪をつかむと、そのままグルングルンと振ってみる。
「すいません。ごめんなさい。もう言いません」
「うむ、よろしい」
 ジト目の佐伯を無視して、俺は鷹揚にうなずく。
「なら許してやろう。その代わり、もう俺の邪魔をしないようにな」
「邪魔って……探し物の?」
「さ……探し物っつーか、探索のだな」
「ふーん」
 さっきまでの態度とはうって変わったように、佐伯の態度はいつも通りに戻っていた。
 まあ、ちゃんと冗談を冗談だと分かってもらえてるって事だろうから、それはそれでいいのだが。
 なんとなく佐伯の視線は、全てを見透かしているように見えた。
「……手伝ってあげるよ
」 「はい?」
 思わず間の抜けた声を出してしまう。
「だから、手伝ってあげるって言ってるの。貴方の探索を」
「い……いや、いいよ。うん」
「なーに遠慮してるの。気にしなくて良いよ」
 遠慮してるんじゃねぇ、嫌がってるんだ。
 喉もとまで出かけた言葉を飲みこむ。
 そんな事を言ったら、なんで嫌がるのかを説明させられるに決まっている。
「うーんと、じゃあまず……どうしようか」
 言いながら佐伯は『ぽん』と手を打った。
 もう、どうするか決まったらしい。
 即断即決だ。
「ちょっと待っててね〜」
 言いながら奥に消えて行く。
 半分以上、本気で帰ろうかと思ったが、そういう訳にもいかない理由が残されていた。
「んしょ、んしょ」
 しばらくして、佐伯が奥から持ってきたのはダンボール一箱だった。
 見てみると、開いた場所から本がぎっしり詰まっているのが見える。
 見るからに重そうだ。
「どしたん? これ」
「ふっふっふ」
 佐伯は笑う。
 無駄に偉そうだ。
「なーんと、これがあると、君の探している謎の生物トッシーを見つけられるのだよ」
 いつのまにかセンスの欠片もないネーミングがされている。
「トッシーはともかく、この大量の本でいったい何ができるって言うんだ?」
「そこが素人の浅はかさだね」
 言いながら佐伯は俺の使っていた脚立を取って来る。
 何をする気なのかは知らんが、絶対そんな事に素人も玄人もねぇよ、って事をするのに俺は3ペソくらい賭けてみても良い。
「まずね……」
 言いながら佐伯は、本を数冊抱えながら脚立を上り、本棚の上に本を数冊重ねて降りてきた。
 俺の目の前で、これ見よがしに『良い汗をかいた』とばかりに額をこすってみせる。
 ……汗ばむような季節ではないのだが。
「……で?」
「で? って……。血の巡りが悪いなぁ」
 そのうちきっと、こいつは俺をワトソン君とか呼び出すんじゃないかと思う。
「トッシーは本棚の上に隠れているんでしょ? だったら。こうやって本棚の上に本を乗っけて、場所を減らしていけば、トッシーは最後にはいられる場所がなくなって、私たちの前に姿を現すって寸法だよ♪」
「……はあ、さいですか」
「せっかく考えてあげたのに……ノリが悪いなぁ。とにかく言い出しっぺなんだから、手伝ってよね」
 佐伯はそう言うと、俺の方を振りかえりもせずに脚立に登って行く。
「本取って」
「あ、ああ……」
 勢いに押されて、俺は言われるがままに本を手渡す。
 止める理由が思いつかなかったというのが正直なところだが。
 本棚の上に本が並んで行く。
 その無意味な羅列がゆっくりと差し込む夕日に照らされる。
 そして本棚の上に、いよいよ本が詰め込まれきる時がきた。
「よーし。これでついにトッシーが現れるね!」
 高校生とはとても思えない無邪気さで佐伯が言う。
 俺はだけど、最後まで続ける気にはならなかった。
「……やめとこうぜ」
「え?」
 不思議そうに振り返る佐伯。
「なんで? あと一冊でトッシーが現れるんだよ?」
「いや、やめとこう。トッシーが可哀想だ」
 俺の言葉に佐伯は小首を傾げて見せる。
「俺にはわかるんだよ。佐伯が詰め込もうとしている最後の隙間。そこにトッシーはいるんだ」
「だったら見てみようよ」
 俺は首を横に振ってみせる。
「だから可哀想なんだって。トッシーがそんな所に隠れているのには、きっと理由があるんだ。焼肉定食の肉が一枚少なかったとか、ゲームのバッテリーバックアップのデータが飛んだとか、家に帰ると奥さんが怖いとか、そういう切ない理由があるはずなんだよ。それを無理に白日のもとにさらけ出そうとするのは、良い事じゃないんじゃないのかなぁ」
 俺の言葉を聞いて、佐伯はちょっと黙ると、それからゆっくりとうなずいて見せた。
「……そだね。隠れたいと思っている生き物を、無理に出てこさせようとするのは、きっといじめだよね。うん、わかったよ。この積んだ本は全部、片付ける事にする」
 佐伯はいそいそと片付けに取りかかり始めた。
 俺もそれを手伝う。
 日が沈みきる前に、俺たちは片づけを終える事ができた。
「んじゃ、私は図書館を閉める点検があるから、もう帰っても良いよ」
「あいよ。まあ今日は変な事させちゃって悪かったな」
「ううん。そんな事ないよ。……トッシーに会えなかったのは残念だけどね」
 彼女はちょっと寂しそうに笑って見せた。
「……んじゃな」
 俺は背を向ける。
 長い長い影が、俺の前にできていた。
 その影を追いかけるように、俺は図書室から出る。
 そして後ろ手でドアを閉めようとした時。
 佐伯の言葉が追うように俺の背に届いた。
「あ、そうだ。君がこの前、図書室に忘れて行った小説は、あまりにも誤字が多かったんで、添削してから返してあげるね〜」
「……」
「誰にも見せてないから、安心して良いよ〜」
 俺はドアを閉める。
 それから壁にふらふらともたれかかる。
「……やったぁ」
 なにが『やったぁ』なのかは分からない。
 だけど最初っから佐伯には、俺が何を探していたのかがバレバレだった事が悔しくて。
 俺は力の入らない手をブラブラと振り上げると、叫んでみた。
「……相手の手のひらで躍らされるのは得意だぜっ!」


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