人類が滅亡する頃にきっとゴハンは炊けるだろう
秋月 ねづ
電話で僕の彼女がこう言った。
「私たち、いつ駄目になってもおかしくないわ」
彼女のこの台詞には少し説明が要る。ほとんどの人が勘違いしてしまうと思うけれど、彼女が言ってるのは遠距離恋愛をしてる僕たち二人の個人的な関係のことではなくて、人類全体の地球レベルでの問題だ。環境問題とか、国家間戦争とか、好戦的火星人とか、アンゴルモアとかそういう話だ。誰にでも分かるように言い変えると、『こんな状態じゃ人類はいつ滅亡してもおかしくないわ』になる。
「そういう話は手紙に書いてくれよ。残り時間が少ないんだから」
僕はそう言って、目の前に置いた時計の秒針を目で追いかけた。現在、朝の六時三十分二十三秒。いつも僕らは通話時間が三分を超えないようにしている。『東京―リオデジャネイロ』間の電話代は無計画に話してしまうと、高校生のバイト代ではかなり負担がかかる金額になるからだ。
「知ってる。私も計ってるもの」
彼女は日本よりも十二時間遅れの時計を見ている。つまりリオは今、午後六時半ということになる。
「だからもっと有意義なことを話そうよ」
僕は言った。
「例えば?」
「愛してる……。とか」
「決まってるじゃないそんな事。そんなの別に有意義な事じゃないよ。私が言いたいのは、明日世界が滅んだら私たち二度と会えないってこと。分かる? 私の言いたいこと」
僕は肯いた。
「おおむね」
彼女は続ける。
「じゃあ今日の宿題ね。次の日人類が滅亡して死ぬことが分かったら、あなたは最後の一日をどう過ごす? 考えといてね。じゃね」
彼女はそう言って電話を切った。僕はため息をつく。愛してるって言葉を聞きたいのに……。僕は仕方なく学校へ行く準備をした。
その日はとても良く晴れた。教室の窓際の席は夏になってしまうと暑くて仕方が無い。窓を開け放ったままカーテンを閉めていても風はなく、外の熱気がジワジワと伝わってくる。僕は他よりも少し温度の低い所を求めて、机に頬をつけた。
見ると、隣の席では近藤がブラウスの胸元を出来るかぎり大きく開けて、下敷きで風を送ってる。斜め前の浩介は机の下で先生に見えないように、PHSのボタンをしきりに押して誰かにメールを送ってる。僕はさしあたって、今見える風景の中で一番興味のある近藤の胸元を眺めながら授業と暑さをやり過ごすことにしたけど、すぐに近藤に気付かれて椅子の足を蹴飛ばされた。
「スケベ」
近藤は口をそういう風に動かして、椅子の向きを少しだけ動かして僕に対して死角を作った。仕方なく、僕は目を閉じて今朝の電話で出された彼女の宿題を思い出した。『最後の一日をどう過ごしますか』。『明日、人類が滅亡する』その情報を僕が知って、朝すぐに彼女に会いに行ったとしてもきっとサンパウロか、その上空辺りで滅亡を迎えるだろう。ブラジルまで行くには大体丸一日かかるんだ。何の理由で滅亡するか分からないけど、飛行機の窓から見る人類滅亡の光景も悪くないかもしれない。特に核爆発なんかステキだ。僕は薄暗い飛行機の窓の外に見える赤い爆発の閃光を思い浮かべた。それはとてつもなく大きな朝日のようにキレイなんだろうって思う。僕は長いため息をはいた。そうか。彼女がそんな質問をしたのは僕と会えないことを前提にしているからだ。今気づいた。安易に、頭空っぽに『君に会いに行くよ』なんて言えない。これだから彼女が出す宿題は嫌だ、彼女の気に入る答えを出すのは難しいから。そして僕はいつだって悩むんだ。
僕は目を開けて目のすぐ近くにある消しゴムを見た。真っ黒くて四角い消しゴムだ。この視点から見るとそれは、『2001年宇宙の旅』のモノリスみたいに立派に見えた。頼む。僕に知恵をつけてくれ。僕も彼女も満足のいく答えを思い付けるように。
そうしているうちに四時限目が終わって、お昼休みになり僕は弁当を広げた。隣では近藤が同じように弁当を広げながら、僕に向かってさっきと同じ言葉を今度は声を出して言った。「スケベ」
「伝わってなかったら嫌だから」
近藤はそう言って、僕は肯いた。
「ちゃんと伝わってたよ」
「良かった」
近藤は安心したように言った。
僕は今朝、電話の前に自分で作った弁当を食べ始める。僕は毎朝自分のために弁当を作る。弁当作りは慣れてみると比較的楽しい作業だ。僕は隣を向いて、お詫びのしるしに卵焼きを一切れ近藤にあげた。そして思い付いて、ついでに彼女からの宿題を近藤に聞いてみることにした。
「近藤は人類滅亡の前日何をしたい?」
僕が訊くと、
「いきなりね」
近藤はそう言って少し笑った。
「そうだなあ」
近藤が悩み始めると、聞いていたのか、前の席でパンを齧ってた浩介が振り返って言った。
「そんなの人類が滅亡するなら何だってヤリ放題じゃない。そうなったら法律だってもう関係なくなるし」
「浩介なら何する?」
僕は浩介にも聞いてみる。浩介はニヤリと嫌な笑い方をした。
「とりあえず近藤を押し倒すか」
それを聞いて近藤が浩介を睨み付けた。
「私はとりあえずこの馬鹿をぶち殺すわ。法律だって関係ないしね」
僕は笑った。でも、浩介の言うとおり、そうなったら秩序なんて殆ど無いも同じだ。懲役だって意味を成さない。そう言えば、電話代の請求も来ない。彼女と電話で話し続けるって言うのも悪くないかもしれない。何時間も時計を見ないで、ゆっくりと。それは日頃の僕らの願いだ。そうなったら何を話そう。僕はため息をつく。良く考えたら人類滅亡の前日の長電話なんてあまりに悲しい。明日が無くて未来のことを話せないなんて、僕らにとって耐えられないことだ。僕らは今度会った時には一緒に何処へ行こうかと話す。彼女は動物園に行きたいと言う。僕は服を買いに行きたいと言った。会えないから、会った時のことを考えるのはすごく楽しいことなんだ。だから電話って案は駄目だ。そんなのつらいだけだって思うから。
結局会えないし、電話も出来ない。だから最後の日、僕は彼女とは関係ない時間を過ごすことになるだろう。
「私は……」
近藤が口を開いて、僕は自分の考えごとから抜けて奴を見た。近藤は黒板の方を見ながら言う。
「私は色んな人と会うだろうな。友達とか、バアチャンとか」
僕は肯いた。
「だって、みんなにサヨナラって言わなきゃならないじゃない」
近藤はそう言って寂しそうに笑う。でも僕の中には近藤が感じてる寂しさとは少し違う種類の寂しさがあった。僕はきっと最後の日には誰にも会いに行かないだろう。
次の朝、電話が鳴って、僕は水に濡れた手を拭きながら受話器を取った。
「宿題考えた?」
挨拶も抜きで彼女はいきなり僕に訊いた。
「うん」
「じゃあ、あなたは最後の日をどう過ごしますか?」
彼女は少し改まった口調で訊く。
「結局気の利いたことは思い浮かばなかったけど、たぶん最後の日だっていつもと同じように過ごすと思うよ」
僕は言った。
「君と電話して、学校へ行って、家に帰ってくる。読みかけの本をやっぱり途中まで読んで、テレビを少し見る。そして朝にご飯が炊けるようにタイマーをセットして寝る。次の日のお弁当のためにね」
僕はきっとそうするだろう。
「次の日なんて来ないのよ」
彼女は言う。
「それでもだよ。でも……」
「でも?」
彼女は聞き返した。
「少しだけ泣くかもしれない」
「なんで?」
「君と動物園に行けなかったから」
彼女はため息をついて一言だけ、
「愛してるわ」
と言った。
それは明日人類の滅亡を迎えるかもしれない、こんな時代に生まれてしまった僕らにとって、とても意味のある言葉なんだ。
最後の日の始まりに君が電話でその言葉を言ってくれること、それは僕が最後の日を僕なりの美学で過ごすためのささやかな勇気をくれる。そう思うんだ。
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