心の傷と白狼の牙

心の傷と白狼の牙

煎餅屋 光圀

「それはちょっと無理だよ、他の物じゃ駄目 なの?」
 釣り糸を垂れながら無表情にニールはそうい った。私は少し腹がたったので、手近にあっ た小石を川の中に投げ込む。どうせ1匹も釣 れないのだし、こんな事をしても大して意味 は無いのだけれど。
 案の定、ニールは苦笑するだけで何も言わ なかった。まったく、困ったんなら、少しは 困った顔をしなさいよ。言っても無駄だと解 っているので、心の中だけでそう呟いて、私 はため息を付いた。
 私は来週14歳の誕生日を迎える、この地 方では15歳を迎えれば結婚出来ることにな っているから、当然15歳の誕生日プレゼン トというのはそういう意味も含まれてしまう ので、言うなればコレが子供でいられる最後 の誕生日と言える。そしてそれは、この村に 住む女の子にとってすごく大切な意味を持っ ているのに。
「明後日に、親方と中央に買い物に行くから 何か良い物を探して来るよ、それで良いでし ょ?」
 何も知らないで、ニールはそんなことを言う。
「お金で買える物なんて要らないわ、私は白 狼の牙が欲しいの」
 私は、何度と無く繰り返した言葉を返した。 どうしても白狼の牙で無いといけない理由が あるのに、ニールはそれを解ってくれない。 まったく、鈍感なんだから。
「どうして、そんな物にこだわるのさ。白狼 の牙を手に入れるのがどんなに難しいかは、 ウィーネだって知ってるだろ?」
 そんなこと言われなくても解っている。だか らこそニールからプレゼントして欲しいのに。
「中央に行けば何でも手にはいるよ、流行の 服だって、アクセサリーだって、珍しいお菓 子とかさ。僕、ウィーネの為に少しだけどお 金を貯めてるから、好きな物を買ってあげる。 だから白狼の牙なんて無茶は言わないでよ」
 ニールは自分の言っている事が、私をどんな に傷つけているか知らないんだ。私は黙って ニールの背中を突き飛ばした。派手な水しぶ きをあげてニールが川に落ちる。
「・・・・・・冷たいな、なにするんだよウィーネ」
「ふん、そこで自分の言ったことを反省すれ ばいいのよ」
 私は、濡れ鼠になっているニールを見下ろし てそう言った。川の水ももう冷たく無いし、 ニールは泳ぎも得意だから、罰としては軽す ぎるぐらいだ。
「ウィーネ、ニール、いるのかしら?」
 不意に遠くから、姉様の呼ぶ声が聞こえる。 ニールは急いで川から上がると、大きな声で 返事を返した。何よ、みっともなく鼻の下を 伸ばしちゃって。私はでれでれしているニー ルの臑を思いっきりけっ飛ばした。意味の解 らない悲鳴を上げて蹲るニールを横目に、私 は姉様に手を振る。
「二人とも、もうそろそろ暗くなるから帰っ てらしゃい・・・・・・どうしたの? ニール?」
 まだ、立てないでいるニールを見て、姉様は そう言う。私はそっぽを向いて知らない顔を した。
「酷いんですよエフィー様、ウィーネが無茶 苦茶言った挙げ句、川に落として、臑をけっ 飛ばすんです」
 ニールは恨めしそうな顔をして私を見た。姉 様はそれを聞いて苦笑する。
「だめよウィーネ、女の子はもっとお淑やか にしないと、誰からも瑪瑙を送って貰えなく なるわよ。それにニール、私を様なんて付け て呼ばないでちょうだい、くすぐったいわ」
 ニールもそれを聞いて、苦笑した。
「でもエフィー様は、神官になられたんです から、今まで通りというわけには行きません」
 姉様はそれを聞いて私の方をちらりと見た。 私も姉様を見て二人でため息を付く。どうし てそんなことに拘るんだろう、神官になった ってそれで姉様が変わってしまう訳じゃない のに、それに姉様が良いと言ってるんだから 今まで通り接してあげる方が姉様の為だと思 うの。
 私はニールに見せつけるように、姉様の腕 にじゃれつく、姉様も嬉しそうに私の頭をな でてくれた。ニールはそれを見て笑っている だけだったけれど。
 いつからこうなってしまったんだろう、ニ ールの嫌に律儀で大人ぶった態度を見るたび に私は思うのよ。女の子達と川遊びをしなく なったのは? 私と手を繋がなくなったのは 何時からだった? ・・・・・・全てはきっと、あ の時からだ。あのやんちゃなフィルマーが居 なくなって、ニールが家出をしたあの夜から。
 思えば、あの夜からニールは昔みたいに笑 わなくなった、放たれた矢の様に無鉄砲だっ たのに、考えてから行動するようになった。 いつも遠くを見るようになった、私と手を繋 がなくなった。なにより、私と距離を置くよ うになった。私はそれが一番悲しいと思って いるのに。
 きっと、あの夜からニールは、子供ではな く、男の子になってしまったんだ。あの頃の フィルマーが男の子で、姉様が女の子だった ように。
 私は右手に姉様の手のぬくもりを感じなが ら、それでもひとりぼっちみたいだった。姉 様もニールも私を置いて先に行ってしまう、 私だけが何時までも子供のままだ。
 私たちは夜の暗がりをとぼとぼと歩いてい た。周りが暗くて顔が見えないのが私には嬉 しかった。少なくともニールにだけはこんな 顔を見せたくは無い。
「あの・・・・・・」
 不意にニールが声をかけたので、私はびっく りしてしまった。暗くて良く見えないけど、 ニールは私のすぐそばに立っている。心臓が ドキドキして、気付かれてしまうんじゃない かって思った。
「エフィー様は、14歳の誕生日にもらった 物で何が1番嬉しかったですか?」
「あっ!」
 私は思わず声を上げてしまった。だめよ。そ れだけは姉様に聞いてはいけないの。
 でも、姉様の答えは私の考えていた事とは 何故か別だった。
「私? 私は・・・・・・そうね、みんなの気持ち が1番嬉しかったわ、ニールはカワセミの羽 で作ったブローチを、ウィーネはお花で作っ た首飾りをそれぞれ私にくれたわ、その一つ 一つに込められた気持ちが、私には何より嬉 しかったの」
 姉様はそう言って笑った、だけど、それは嘘 なの。私はそれを知っている。
「・・・・・・白狼の牙」
 私がそう小さく呟いた途端、凍り付いたよう な空気が場を支配する。姉様は黙り込んでし まって、私の右手を強い力で握り返して来た。 ニールも何か気が付いたみたいだ、何故か歩 みを止めて呆然と立ちつくしている。
 やっぱりなにかあるんだ。だっておかしい もの、送り主不明のプレゼントを姉様があん なに大事にするわけないわ。いくら白狼の牙 っていったって。
「・・・・・・あ、ああ、あれね、一体誰が置いて いったのかしらね?」
 姉様はそう言ってごまかすけれど、私の右手 で姉様が嘘だと言っている。姉様は送り主を 知っているのよ。多分姉様の恋人からのプレ ゼントなんだと思うわ、それをどうして私に 隠すのかそれは解らないけれど。
でもね、私は別にそれが知りたい訳じゃな いの。もしも、それを私が知ることで子供か ら女の子になれたとしてね、誰かが私に秘密 を1つだけ教えてくれるとしたって、私が聞 きたいのはたった一つだけ。
 それは、この無表情な幼なじみが、私のこ とをどう思っているかってこと。私の望みは ホントにそれだけなの。それと引き替えにし てまで知らなくてはならないことなんて一つ も有りはしないのよ。
 私は一つため息をついて、月の無い夜空を 見上げた。

 そして、それから数日が経ち、私にとって 一生忘れられない夜がやって来たの。
 ここ数日間音沙汰無しだったニールが、北の 森で倒れているのを漁師が発見した。そして医 術の心得のある村長の家へ運び込まれたって、 青白い顔をした工場の人が姉様に告げたのよ。  私は、てっきりニールは中央に行っていると 思っていたので、最初は何の事だかさっぱり解 らなかったの。
 でも、姉様が樫の杖を持って家を飛び出して 行くのを見たら、私にも事の重大さと怖さがだ んだん解ってきたわ。だってそうでしょ、神官 である姉様が呼ばれたって事は、助からないか もしれないって事なんだから。
 気が付いたら、私も村長の家に走っていたわ、 雨が降っていた筈なんだけど、そんなことぜん ぜん気づかなかった。私の子供みたいなわがま まが、ニールを二度と手の届かない所に連れて いってしまうんじゃないかって、そればっかり が頭をかき乱して、最悪の事しか考えられない の。
 村長の家に着いたとき、多分私は酷い顔をし ていたと思うわ。姉様が私の手を握り、ソファ ーの所に連れていって、婦人の入れてくれたコ コアを手渡してくれた。私はそんな物ちっとも 飲みたく無かった。でも姉様は怖い顔をして私 にいったわ。
「飲みなさい、ニールの為にもウィーネはそれ を飲まなくてはいけないの」
 今思えば、あの言葉は姉様が自分の為にも言っ た言葉なんだわ。だって、姉様も私の隣で青白 い顔をしてココアを飲んでいたもの、そのカッ プは姉様の爪でカタカタと音をたてていたの。
 カップの中のココアはとても甘くて、私は不 安を少しの間忘れることが出来たわ、だから、 姉様が私に言った、治療は今も続いていて、状 況は今も解らない、って言葉を泣かないで聞く ことが出来た。飲み終えてしまうまでの短い間 だったけどね。
 それから、私は姉様の胸で火がついたように 泣いたわ。ニールがこうなったのは私のせいな んだって、聞いて欲しかった、それで、思い切 り叱って欲しかった。だって、そうしないとほ んとにどうかなってしまいそうだったんだもの。 でも姉様はただ優しく抱きしめて、頭をなでて いるだけだったの。
 どの位の時間そうしていたのか良く覚えてい ないんだけど、長い時間が経って、ようやく扉 が開いて村長が姿を現したの。村長は疲れた顔 でにっこり笑うと。
「ニールは大丈夫、今は疲れて眠っているだけ だ」
 って、みんなに言ったわ。私はそれを聞いた途 端、安堵の余り全身の力が抜けてしまった。姉 様はそんな私の両肩を持って立たせると、思い っきり私の頬をひっぱたいたの。
「どうして、そんな馬鹿な事を言ったの? そ んな物の為にニールを失ってしまっても、ウィ ーネはそれでいいの?」
 そう言って、姉様は今まで1度も見せなかった、 涙を流した。叩かれた頬よりも、心の方がずっ と痛かったわ。
 私はね、この時初めて大人になりたいって思 ったの、せめて、姉様の半分でも強さや、優し さがらあったら、ってね。

 あの夜から、2日が経ったけど、未だにニー ルは目を覚まさなかった。でもね、規則正しく 呼吸をしているニールを見るのが嬉しくって、 私は毎日ニールの隣に座っていたわ。どうせニ ールのことだから、目を覚ましたら1番最初に。 「お腹が空いたよ」って言うに決まってるんだ から。私はバスケットの中のパンとチーズと牛 乳を見ながら微笑んだ。でもね、これを食べさ せてあげる前に私にはする事が1つあるの。
 私がニールの顔を見ながらクスクス笑ってい ると、ノックの音がして、姉様が部屋に入って きた。
「もう、ウィーネったら。お誕生日くらいお家 に帰ってきてはくれないの? 父様も母様も首 を長くして待っているわよ」
 そう言った姉様の顔はやっぱり笑っていた。し かたが無いとか思っているんだろうな。私は微 笑んで姉様に謝る。
「ごめんなさい、でも、どうしてもニールのそ ばにいたいの」
 姉様は1つため息をつくと、懐から小さい首飾 りを取り出して、私にくれる。
「そう言うと思ったわ、本当はお家に帰ってか らって思ったけど、先に渡しておくわね」
 姉様はそう言ってにっこり笑った。でも、これ って・・・・・・
「これは、姉様が大切にしていた白狼の牙じゃ ない」
 首飾りの先には、金属で固定してある雪のよう に白い牙が一つ付いていた。姉様は頷いて私に 言った。
「こんな物、私はちっとも欲しくなかった。も しね、私の大切な人が、私の為に白狼の牙を取 りに行くって知ってたら、私は泣いて止めたと 思うわ。私が大事にしてたのはこんな形のある 物ではないの。これを送ってくれたあの人の気 持ちなのよ」
 それを聞いて私も深く頷いた。今なら、姉様の 言うことが解る。私が欲しかったのはニールの 気持ち、それは今も変わってないわ、だけど、 こんな物の為にニールを失うことがあれば、き っと私は自分自身を許さないだろう。
「私ね、姉様に憧れてたの。優しくて、お淑や かで、綺麗で、それにとっても強くて。姉様は 私の持っていない物を沢山持っているんだもの。 だから、もし、白狼の牙を姉様と同じ14歳の 誕生日にニールがプレゼントしてくれたら、姉 様に近づけるんじゃないかって思ったの。でも、 それは違うの、たとえニールが白狼の牙をプレ ゼントしてくれたって、何にも変わりはしない の、自分自身が変わらないと何も変わらないの よ」
 私がそう言うと、姉様はそっと私を抱きしめて、 優しく頭をなでてくれた。
「・・・・・・大丈夫、焦らなくても、貴女は私なん かすぐ追い越して、素敵な女の子になれるわ、 今の気持ちを忘れない限りね」
 そして、私の首に首飾りをかけてくれる。
「これは、貴女がまた1つ大人になったお祝い、 誕生日は、ただ一つ年をとるって事を祝うんじ ゃないの、一つ一つ人として成長する事をお祝 いするのよ」
 私は、白狼の牙を見て、それから姉様の顔を見 つめた、私のすぐそばで姉様はにっこり笑って いる。私の頭をもう1度なでると私にこういっ たの。
「ウィーネ、14歳の誕生日おめでとう」
「・・・・・・僕からも、おめでとうを言わせてもら うよ。でもその前に何か食べさせてくれると嬉 しいんだけど、僕、お腹空いて死にそうだよ」
 不意に、ベットから声がした。ニールが目を覚 ましたんだ。姉様は私に1つウインクをして私 を解放すると、黙って部屋から出ていった。も う、姉様ったら、気を利かせすぎなんだから。
 私は真っ赤な顔をしてニールのそばに行くと、 食べ物の入っているバスケットをニールに見せ た。
「そう言うと思ってね、ここに用意してあるの、 だけど、これは私の用事が済んでからね」
 私がそう言うと、ニールはばつの悪そうな顔を した。
「ごめん、白狼の牙はやっぱり無理だったみた い、でも、他にプレゼントは用意してないんだ。 後で必ず何か良い物をプレゼントするからさ、 いじわるしないで食べさせてよ」
 それを聞いて、私は可笑しさのあまり涙が出て きた。
「そんな物はどうでもいいの、私の用事って言 うのはね・・・・・・」
 私はかがみ込んで、ニールの口元にキスをした。 ニールは驚いてベットから上半身を起こして、 私を見つめる、ニールの顔は耳まで真っ赤だっ た。多分私もそうだと思うけど。
 そして、私はにっこり笑ってこういった。
「ありがとう、貴方がいてくれることが、私に とって最高のプレゼントだって気が付いたわ。 私はね、ニールのことが大好きなのよ」
 たぶんね、この時が私が子供から女の子に変わ った瞬間だって思うのよ。だから、こんな簡単 な一言も今まで言えずにいたんだわ。


to fantasy index