anarchists's column back number
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若い頃に読んだ本の真価は、問うことが不可能なのかもしれない。
凩くんであれば綾辻行人「殺人方程式」。煎餅屋氏であれば五代ゆう「機械仕掛けの神々」。薦められて一読してみるものの、よくできてるなあという印象以上のものはない。けれど好きなのだ。誰もわかってくれないが。
ぼくにとっては遂に出た「春の魔術」、田中芳樹の新刊がそれにあたるのだろう。主人公の耕平は第一作では年上だった。今はオリンピック二回分追い越しているから、作者の遅筆ぶりにあきれはてる他ない。
田中芳樹は十代の頃面白く読んだものだ。しかしいまにしてみれば文章も上手いわけではない。展開も思想も陳腐だ。とくにこの耕平と来夢のシリーズは欠点だらけの物語である。いちいち指摘すれば切りがない。
それでもいきなり新聞で広告を見つけた途端、予定通りのように書店で購入していた。まさか完結するとは考えていなかったので、ファンとしては……田中芳樹のじゃないよ……うれしい限りではある。もっと続けてほしかったという未練は大きいが。
この「ファンタスティックスリラー」という適当も適当な惹句のついた作品を、好きなのである。来夢のために懸命になる耕平を、コーヘイ兄ちゃんを絶対に信じている来夢を、まだ夢見ていたころの憧れのまま好きなのである。
言ってみれば牧歌的で予定調和で、魂を揺さぶるような物語ではない。
でも仕事がうまく行かなくて、疲れて、ついつい失敗を思い返すような夜に、楽しく過ごす時間をくれる。
そんな風に読める作品と出会えるのはやはり幸せなことだし、評価なんて主観的であって構わない。
だから真価など問う必要もない。当たり前のことを思い直した夜だった。


来夢萌え、なわけじゃないよ/KENSEI 020930
ぼくの着ているものにはほとんど費用がかかっていない。大抵はユニクロで済ます。必要だと思うとユニクロが浮かぶ。ユニクロ依存症である。
決定的にファッションのセンスがない。ただ何気ないものを着るだけで抜群に趣味の良さを感じさせる人がいる。迷う素振りもなく服をレジへ運ぶ人がいる。苦心惨憺して重ねた組み合わせだったり、一時間も検討した末の買い物だったりするのに、それなりの金額を注ぎ込んでも到底そういった人たちには敵わない。歴然としたスタイルの格差や学習の不足があるのは百も承知だとしてもだ。
あるときサイトでユニクロは無難でヨイという評価を読み、もっぱらユニクロで買うようになる。思考停止。安価。均質化。

それでもちょっとは格好つけてみたいという願望はあり、行き着いたのがワークブーツ(ワークシューズ)である。おそらく外見上で唯一、買い物らしき買い物だ。Redwingの8130。ジーンズと履けるという気楽さも手伝って購入した。気に入って履きこんでいる。
不思議なもので、今度は色違いが気になって仕方ない。8875だ。アイリッシュセッターという称で名高い。最も人気があるブーツだろう。もう一足持っておいても幅が出ていいのではないか。愛好家からは笑われるような揃え方だろうが、勘弁してもらうしかない。給料も支給され、本日地元のショッピングセンターにある靴屋に向かった。

正規の代理店は基本的に値引きがない。だからどこへ行こうと同じである。だがRedwingの棚の前まで来て、8875に手を伸ばそうとしたら、脇に「限定30足」と箱が山積みにされていた。Redwingのブーツである。格安15000円だ。店長が目敏くやってきて説明する。
「日本ではもう輸入しなくなる品物なんで、代理店さんから流れてきたものなんです」
人気薄のモデルということか。二種類あるが、一つはサイズが大きいものばかり残っていて、実質選べるのは一種類。それでも8875はどうせいつか買うだろうし、このモデルはたしか去年、秋冬のころ気になっていたものと似ている。 色はグレイというか、ダークグリーンというか不思議な色合いで、ひどく好みである。オイルヌバックできれいな靴だ。8863に近いようである。紐の色など微細な点は違う。これも縁だろうとすんなり購入。

その後履き替えてユニクロへ行く。なぜならタンスにある服はどれもこの靴とは噛み合わないからだ。履いていけば後でしまったということもない。
しまった。人気薄の理由を痛感。合わせるのが異様に難しい。
ただのジーンズでも、適当なチノでも半端な印象だ。
さて質問。みなさんならどう合わせます?

(公式サイトで探してみるが適合する画像が見つからん! 困った。2883なんて聞いたこともない数字。加えてネットサーフィンするうちに情報が。知識もなく購入したけど8130って黒セッターは黒セッターでも価値無かったのね。当時8179と同程度の額で購入した記憶が。というよりも8179自体が市場から消えていた……ま、まさかこれも!)


多々服装的失敗/KENSEI 020929
飲んだときに秋月が興味深い分析を披露した。
「なんでこんないい女が、こんなヤツと付き合ってるんだろうと思うときって……その女の交友範囲のなかで一番いい男だったりするんだよ」
いい女・いい男の基準が曖昧だという指摘もあるだろう。だが核心をついた見解ではないだろうか。どこか思い当たるフシがある。

ふと地下鉄に揺られながら考えた。好きになるのは属していた世間のなかで一番素敵な人。それはいい。だけど誰かを好きになったとき、顔や形を愛したのだろうか。
ぼくは物語を愛したのではなかったか。
たとえばどこか弱いところや、難しいところを見つける。
(もしかしたらこの人をわかってあげられるのは自分だけかもしれない)
そう感じたときには……すでに命運は決定したようなものだ。
(この人のためになにかしてあげたい)
たとえば友人なら心配はしても励まして送り出すだけの出来事を、自分の手でどうしても解決したい。守ってあげたい。自分と彼氏彼女との、物語の糸を一つにしたい。二人で一つの物語を共有したい。
きっと気になって見ているうちに願望を投影していくんだろう。
Pity is akin to love.

最近新しく彼氏ができたという女性の友人と飲んだ。地下鉄で考えたことを話してみる。そうかもね、と同意はしつつも反論が返ってきた。
「けど、なにかをしてあげたいってのも、きっとわがままなんだよ。わたしも昔はそうだった。恋人なんだからいろいろしてあげたいたい、けどチャンスをくれない。相手もなにもしてくれないって空回りばかりして、結局無力で寂しくて仕方なかった。女だからさ」
「……」
「でも考えたら、その人が本当に望んでいることをやってるのかなって。そうじゃないんだって気づいた。だからその人が望んでいることを探して、やっていこうって思ったんだ。そう思える人に出会えたの」
「出会えましたか」
「出会えました」
「上の段階へ行きましたか」
「上の段階へ行きました」

終電を逃して、御茶ノ水から二時間半歩いた。朝まで時間を潰しても、のんびり歩いていても家へ到着する時刻は同じ。ならば、と途中眠気に耐えられずファミレスに飛び込んで仮眠をとったけど、真夜中に一人さすらうのは悪くない気分だった。
平坦な道を進むうち、風景に変化を求めるようになる。アスファルトと高層ビル。マンション。駐車場。近代化された街並みは飽きが早い。話し相手が欲しくなる。夜の底。深海のような黒く透明な空。
ぼくは一人「歩くのはキライ」と言っていた女の子を知っている。こんな奇妙な夜を共に過ごすことを切望しながらも、果たすことできなかった人だ。ぼくは煎餅屋くんと山の手線を縦断したことがある。笑い話としてよく人に話す。驚いたり、あきれたり、人によって反応は様々だが、あの子は困ったようにそう言った。

秋月の掌編を読んだ。また思考は逆転を求める。もしあの子が誰かを愛したなら、歩くことも厭わないのだろうか。あの子が望んでいたことはどんなことだったのだろう。ぼくが垣間見た物語と、あの子が描いていたものにはどれだけ大きな差異があったのだろう。
ぼくにはわからない。もしかしたら「こんなヤツのどこがいいんだ?」と感じてるその男にはわかっているのかもしれない。
ぼくは一人で歩く。
どこまでも。
そして、きっと仕方のないことなのだろうな、と足を動かし続けるのだ。


かわいそう、なに惚れたってことよ/KENSEI 020928
我が社で重大なミスが発覚した。
原稿を預かって、編集して校正して、レイアウトも終わって、DTP処理したデータがある。あとは印刷所に出すだけ。ところがB5サイズの本をずっとA5サイズだと思って作成していた。
誰も疑わず、納期の前日になって気づく。
先輩に夜食のカップラーメンを作っただけで帰ってきた。(だってできることなにもないし)

加えて先輩もすでに他人事だった。

他人事/KENSEI 020926
ワールドカップが終わってから、意識してJリーグを観るようにしている。世は欧州サッカーが流行りだが、ナショナルリーグが隆盛しなければ、ナショナルチーム(代表)は強くならないだろうからだ。中田ヒデの言う通りだろう。
TV観戦が主なので大した発言はできないが、現在最も注目しているのはベガルタ仙台である。中でも目が離せないのは、ユニフォームの中央に燦然と輝くカニトップの文字だ。カニトップ。えらいインパクトである。


Jの注目点/KENSEI 020923
この仕事を辞めるわけにはいかないな、と感じたのは、出社二日目のことだった。出社すると先輩にメモとペンを渡された。
「ここに名前と読み仮名書いて」
午後いきなり名刺が1ケース用意されていた。
何枚あるのだろう。初めての経験だった。
この名刺が終わるまではこの会社に居よう。そう思った。
無駄になっちゃうからね。もったいない。


決意/KENSEI 020920
週末にしょうたくん・迦楼羅の二人が、ぼくの部屋にやってきて話をした。最近「突発的に山を登り倒す会(通称ト山会)」を発足したために、打ち合わせをしていたのだ。最終目的は南アルプスなのだが、先日足慣らしとして高尾山を散歩してきた。近いうち富士山にも登ろうと相談している。
会話は横道に逸れながら弾み、いつのまにか遅くなっている。腹が減ったなあと誰ともなしにつぶやき、ファミレスにでも行こうかと表に出る。
三人が三人とも自転車だった。
仲良く並んでペダルを漕ぐ。
「……誰か車くらい出そうや」
しょうたくんが言う。ぼくらは同級生。三十手前の男だ。みな免許はあるが、車は持っていない。ついでに言えば彼女もいない。だから勝手気ままに突如山なんて計画を立てていられる。
富士山以前に人生という山をもう少し登ったほうがいいのではないか。なんとなくそう思った夜だった。


人生という名の山/KENSEI 020919
メタルギアソリッド2をクリアした。相変わらずやっている時期は喋り方が大塚明夫になってしまうというゲームだ。少し待ってベストで買えばよかったとケチな感覚が突付くが、それほど痛くはない。千円単位の金額というのもあるだろうが、小島監督への投資だと考えているからだ。

ぼくは基本的に古本を買わない。新品を買う。絶版していない限り。ゲームもそうだ。頻繁に購入するけれど、古本屋や中古ショップは売る専門である。 ゲームや本を購入して印税を払うのは、クリエーターに次回作を作るための資金を投入しているのと同じことだ。だから目をつければきちんと買う。図書館で借りて面白かったものは自分で買い直したりもする。
逆に売ることはそのクリエーターの投資価値を下げることに繋がる(中古の値が下がる=新品が売れなくなる)ので、つまらなかったものは容赦なく売る。この場合いわゆる稀コウ本(字が出ない)やプレミア性は含まない。あくまで普通の商品だ。

近所にあるチェーンの古書店にはぼくが文庫やコミックを500冊、妹がコミックを700冊ほど売った。とくに妹は古本屋によくある大きな棚を占領してしまったくらいだ。ふらりと立ち寄ったとき少女マンガに見覚えのあるものばかり並ぶ棚がある。妹のコレクションが再現されていた。別にぼくらの所為ではないだろうが、不良在庫を抱え続けた店は廃業してしまった。

そこで思いついたのは古書店打倒計画だ。本好きにして元書店のアルバイトとしては、古本屋はやはり憎き敵なのだ。利用はしているものの、いまの隆盛振りはちょっと許せない。とくにあの大手チェーンは進出しすぎである。
だからつまらない作家の本はみんな古書店に売りましょう。そして在庫を抱えすぎ流れを詰まらせ、倒れさせるのだ。
そしてつまらない作家と古書店を淘汰してスリムな出版界を。


最近の野望/KENSEI 020917
人文系の本を根気良く読んでいる。「民主主義とは何か」(長谷川三千子)が面白かった。そのあと「反米という作法」(小林よしのり・西部邁)を読んだのだが、かなり知的に刺激を受ける。長谷川三千子の論を読んでいなければ理解できない部分も多かったから、うまい順番で読んだ。
この歳まで民主主義とはなにか、明確な答えを持たずに来ていたことを思い知る。知的怠慢である。そこで「痛快! 憲法学」(小室直樹)でさらに理解を深め、結局キリスト教の知識が足りないとわかったので「世界の宗教と戦争講座」(井沢元彦)「日本人のための宗教原論」(小室直樹)を読む。知識を得ようとするときは、関連する本をまとめ読みするに限る。再確認した。立花隆ではないが。

なんとか概要はつかめてきたように感じ、そこで思い切って原典……言ってみればいままで読んできたのは解説本である……に手を出そうと考えた。ハンナ・アーレント。ホッブスの「リヴァイアサン」。マックス・ヴェーバーもずっと読みたいと憧れている。ロックを読めば近代の流れはつかめるようだが、論に胡散臭さを覚えるので後回し。
比較的理解できそうなハンナ・アーレントを購入。早速読み始めるが3ページで挫折した。こういう本はいつもそうである。なにが書いてあるかはわかるが、なにを書いているのかはわからない。
文章は読める。だが文章の意味していることがわからないのだ。何度も理解しようとして繰り返しページの隅から隅まで目で追っていく。いつの間にかまぶたが落ちている。鼻息が一定のリズムをつくっていく。我に返って寝入っていたことに気づく。

高校のころホッブスの「リヴァイアサン」をファンタジー小説と勘違いして購入したやつがいた。わけがわからないと嘆いていたが、もしかしたら知力はぼくもあまり成長していないのだろうか。
もう少し性能のいい脳が欲しかったなあ。いつもそう感じる。勉強が出来るやつというのは脳の基本性能が高いやつなのだ。だから東大とか行けるやつは高性脳(?)持ってるなあと羨ましい。
秋月家の本棚を見ると新潮文庫のトルストイとドストエフスキーが勢ぞろいしていて、その破壊力に身震いする。ヘミングウェイ好きは周知のことだから並んでいても驚かないが、ロシア文学ほどの誘眠パワーを誇る存在を読破しているとは侮れない。できればカントとミルトンも並べてもらいたい。無敵の本棚に進化できる。

ただ秋月くんの場合読んだ端から内容を忘れるという特技があるから、意味を理解する読書などしていないのかもしれないが。

読書と秋(月)/KENSEI 020916
忙しい。毎晩会社を出るのが11時過ぎというのが続く。ぼくの仕事は編集アシスタントなのだが、どれくらい忙しいのかというと、あまりの忙しさに編集アシスタントアシスタントがついてしまったくらいである。
一週間と3日で出世してしまった。
「なにをすればいいんですか?」
と新人から素直に問いかけられても、
(こっちが聞きたい)
と内心返答する今日この頃。


入稿直前なの/KENSEI 020914
それでも書かずにはいられないほどに大きな事件なのだ。
一年前の深夜。夜中なのに一家全員が食卓に揃っているという不思議な夜だった。我が家は父の帰りが遅いので母親と二人起きてるのは連日だが、兄妹が同時に夜更かししている状況というのはちょっと無い。
突然テレビが中継に切り替わって、どこかで見たことがあるビルから煙が出ている。旅客機が貿易センタービルに衝突しました。レポーターが叫ぶ。すごい事故だ。妹が驚いて言う。
「あ! また当たったよ」
ぼくは煙が二条に増えているのを認めて言った。
「え、なにが。中から爆発したんじゃないの?」
「なんか飛行機みたいのが当たった」
「嘘だ〜」
「母さんも見えた」
母が援護する。スローモーションが再生されて機影が飛び込んでいくのがわかる。少しすると別の位置から何度も正確な映像が繰り返される。速報で国防総省に航空機が墜落したという字幕が入る。しかもハイジャックされている機はまだ二機あるという。未確認情報。
背中を寒気が駆け上るのを感じた。冷たく踊る。
(そうか! その手があったか!)
嫉妬といえば大げさだか、良く似た憧憬が身体を満たしている。

貿易センタービル崩落の瞬間は目にとどめることができなかった。翌朝録画が放映されて目を覚ますことになる。瓦礫の山。結局ホワイトハウスへの突撃は失敗し、混乱するのは経済だという解説がなされていた。いつもアメリカへ反撃を加えたい気持ちを持っている。歴史を学べば覚える感情だろう。
この隙に日本はどれだけアメリカへ経済的に打撃を与えることができるか。期待したが、簡単に米国経済は復活した。日本はなにもできなかった。死者を悼む気持ちとは無関係に、そうした冷酷な視線もある。あってしかるべきだろう。生き残りがかかっている。

世界が変わった。私たちも変わった。マスコミは口を揃えて言う。だがそう感じはしない。世界は変わらない。ただ顕わにしただけである。自らの姿を。智者とうそぶく輩が、知らなかったことに今更恐れおののいている。
西部邁は「バベルの塔」とこの事件を評した。民主主義、近代合理主義、資本主義、これらが全てキリスト教を母体に芽生えたものなのだから、その喩えは正確無比だ。アメリカの文化とはプロテスタントの文化であり、アメリカの歴史はプロテスタントの文化を背骨にして続いているからだ。

ぼくはテロリストの魂を有している。信じることに殉じようという気持ちだ。本当に出来るかどうかは別だが、そこにはヒロイズムがある。強烈な美しさがある。武士道とはこれ犬死狂うことなり。これは意味が違う。違うが占める奔流のような興奮は同じである。
少なくともこんな風に感じている人間もいる。書いておこうと思った。

追記:今回の同時多発テロは薬物が使われていたとの話があるので同列に論じるかは困るが。

テロリストの魂/KENSEI 020911
THE YELLOW MONKYに「JAM」という歌がある。ぼくはこの歌が好きでシングルも持っている。特に好きなのがこの一節だった。

外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに
乗客に日本人はいませんでした
いませんでした いませんでした
僕は何を思えばいいんだろう 僕は何て言えばいいんだろう

このあと「僕」はやるせない想いを歌い上げる。ぼくもひどく不条理に感じたものだった。しかし歳とともに一概にうなずけなくなってくる。
例えば中国で飛行機が墜落する。すると中国で身内が働いている人は気になってしかたがないのではないだろうか。父や息子。娘。兄弟。母。旅行にたまたま行っているかもしれない。安否をすぐにでも確かめたい。
その不安を解く一言なのだ。
実に当たり前のことである。人間は全ての人の死を悲しめはしない。礼儀正しく、後ろめたく、安堵するだろう。良かったと思うだろう。この感情まで否定することはできないはずだ。

行きすぎたヒューマニズムはどこか歪む。忘れてはならない。


ヒューマニズムの罠/KENSEI 020910
「子どものころって、なんでも永遠だと思うよね」
なんの会話だったろう。友人が何気なく言った一言が、やけに響いて、意味を問い返した。
「だから、子どもだから、なんでもずっと続くと思いこんでたってこと」
少年は永遠を夢見る。確かに、あのころは友情に罅が入り、二度と戻らなくなるなんて予期もしなかった。学校はずっと通うものだとげんなり悟っていた。親しい人が死んでいくということも考えはしたが、本当にそうなると覚悟はできていなかった。(しかも、未だにぼくは身近な人の死を、死んだと思いきれてない。天国で生きているような気がする。これは余談)

以前ミュージックステーションという番組で、視聴者の質問に出演者が答えるという企画があった。ちょうどその日はスピッツが出演していて、中学生から恋愛の相談が舞い込んでいた。細かい内容は忘れてしまったが、好きな人がいて告白したいとか、そんな内容だ。振られるのは怖い。でも卒業は迫ってくる。
「まあ、別に小学生中学生の恋愛が、十年・二十年続くわけじゃないですからね」
と草野マサムネ。そうだよねとタモリも同意する。お前スピッツだろ! と内心ツッコミをいれる。確かに真理である。卒業しようが振られようが、それはその間だけの出来事。初恋は実らないなどと美しい嘘は並べたりはしない。媚びたりもしない。アーティストなんだな。でも、繰り返す。お前が言うな。スピッツなんだから。

妹がテレビかなにかで見たのか、心理テストを仕掛けてきた。
「まず、自分が恋人に求める三つの条件を挙げてみて。たとえば……優しいとか、そういうこと」
「うーん タバコを吸わないことかなあ」
「あ、わかる。わたしもタバコを吸う女ってキライ」
ぼくは普段、具体的に女性へ条件など突きつけたことはないので、あと二つがなかなか思いつかなかった。
「うーん。あとは対等に議論というか、会話ができる人かな?」
最後はまあ、自分好みの顔を、していて欲しいということだろうが。別に絶世の美女ではなくて、女性として魅力を感じることができる人。
「じゃあ、その条件を完璧に満たした、理想のタイプがいます。その理想のタイプの女性が二人、あなたに告白してきました。どっちか一方を選ばなくてはなりません。どっちか一人だよ。アナタは、最後に選ぶとしたら、なにを決め手にしますか?」
ぼくはタイプの似た美人が二人、話しかけてくるようすを想像した。なぜか大きな樹の下に立っていた。思い返せば「ときメモ」を連想させる構図だが、これも余談。少し考えを巡らせ、思いついたことを言った。
「親?」
「……」
「ほら、親御さんと上手くやれるかとか、うちの両親とさ、仲良く……」
「それって思いっきり結婚じゃない? あのさ、恋愛なんだけど」
ぼくはじゃあ友だち、と答えた。友だちを見ればその人の人柄がわかるから。妹はどうやら上手くいかなかかったらしく、ちょっと疲れたように言った。
「これって、大抵女の子なんかは最後はしょうがないから顔で決める、って言うんだよ。つまりは最初から顔で選んでる、ってことなの。建前ではいろいろ言うけど、本音ではね、そういうこと」
それが「親」って……結婚願望が強いのか、適齢期なのか。いや違う。そういうものだと思いこんでいるのだ。愛した人を永遠に愛する。その先には必然的に結婚と家庭がある。そう。少年は永遠を夢見るのだ。
人は少年の心でいつも恋をするのだろうか?
それとも、本気で愛した人と別れを選んだとき、大人になれるのだろうか?
答えを出すのは、まだまだ先のことになりそうだ。

少年は永遠を夢見る/KENSEI 020909
僕は女の子によく
「モテるでしょ?」
もしくは
「モテそうだよね」
と言われる。これを僕は長年ほめ言葉だと思っていい気になってたんだけど、それは思わぬ罠だということに最近気づいた。
その台詞はやけに客観的なところがあって、その「モテ」すなわち「僕を好きになるであろう女の子」の中に本人が含まれてないことが多いのだ。
僕は気づいてしまった。

モテる男が一年以上浮いた話がないはずないじゃねえか!
会う女会う女「モテそうだよね〜」って俺は一体誰にモテてればいいんだよ!

たとえるなら、『山済みになった売れない商品の前で途方に暮れる』僕に誰かが「売れそうな商品なのにねえ」と可哀相に思ってるのが見え見えの引きつった顔で慰めてる。……のと変わらないんだろ? なあそうなんだろ?
「じゃあお前が買えよ!」
って話ですよ。
決めた。断固決めた。
今日から俺に「モテるでしょ?」って聞いた女は、責任を取って俺と付き合え!

……と、ここまで書いて、全然小説じゃないし、その上発展性ないじゃんって気づいた。最初は小説のつもりで書き始めたんだけどね。
ああ、スランプっていやだなあ。


モテ/秋月ねづ 020908
眠れない。

元々ぼくの人生は不眠との戦いで、遠足の前に眠れた試しはないし、重大な節目は寝不足で出かけるのが慣わしだった。枕が変わっても眠れない。暑くても眠れない。解消したのは十代の後半にアルコールと出会ったからで、以来夜の深い友でありつづけている。

不安と緊張で眠れない。出勤前日はいつもそうで、つい深酒をしてしまう。だからアルコールを入れないで就寝しようと企てた。しかし結局二時過ぎまで布団の中で目覚め続けてしまい、ビールを台所からくすねて引っ掛ける。エロマンガと共に。ぼくは一時期といっても7〜8年前だが「快楽天」というエロマンガを購読していた。ひどくエロいし、同時にエロだけではないストーリーが多かった。18禁だからこそ描けることもある。エロゲの判定基準もそうだ。言い訳だろうか。いまより少し血の気が濃かった。それだけだけかもしれない。ずっと押入れの奥にしまってあったのだが、暇だったのでまとめて捨てようと考えて部屋の片隅に積み上げてある。
夜中にエロマンガは精神安定剤になる。確信した。ほろ酔いになりながら一時間、読み耽る。すべてを忘れて、眠りについた。

翌日。初日を終えた。睡眠不足と疲れ。ぼくは夕飯をとりながらビールを飲んで、酔っ払って寝てしまうことに決めた。現に夕食後すぐに枕に顔を埋めると視界は薄暗く染まった。ふと目を開けると小一時間過ぎている。きちんとタオルケットをかけて、本格的に眠ることにする。明かりを消した。

眠れない。

仕事のことをどうしても考えてしまう。前任者から引き継いだのだが、納期が二週間後なのだ。慣れる間もなくもうタイトな状態に置かれている。しかも前任者は本日付で退社。明日からいない。やるしかないと言い聞かせるのだが、不安と焦りは収まらない。アルコールは実際に麻酔薬である。慢性化したら量を増やさないと効き目は薄れる。しかも中途半端に投与すると覚醒を招くという性質を有している。アルコールで熱くなっている身体をシーツの上でもてあまし、何度も寝返りをうつ。
開き直って蛍光灯を点し、エロマンガを読み漁ることにした。すると心が軽くなる。また一時間も読んだころにはすっかり明日を忘れて眠りにつくことができた。なんだか愉快な心持だった。この歳になってやることじゃない。

さすがに三日目はぐっすりと寝た。
ふと書いていて思った。
……これはもしかして痛いネタなのか?

熟睡の良薬/KENSEI 020905
しょうたくんとたまたま通っていた高校についての話になった。ぼくが通っていた学校は普通科と商業科が併設されていて、普通科の特別進学コースに通っていた。二つの科は完全に校舎が違い、たまに用事で通過しなければならないとき怖くてたまらなかった。赤い髪をした連中がたむろしている。視線が集まってくるような気がした。今ほど髪色に理解があった時代ではない。
特進コースは成績が良くておとなしいが、一癖あるやつが多かった。なかでも現役で東大を目指せそうな生徒がいて、みんなは「ボス」と呼んでいた。どこかぼんやりしている風貌なのに、面白いことには突撃していってしまう。不思議な印象の男だった。
ぼくは高校を中退してしまったわけだが、何年か経ってクラスメイトと会ったとき、ボスの話が出た。
「そういや、ボスはどうした? 東大行ったの?」
「ああ、夏休みに保育園で写真撮って、連れてかれちゃった。高2のころ」
「保育園?」
「だから滑り台を滑ってるところをね、塀の外から撮影してたんだって。近所の人に通報されたらしくて、そのままお巡りさんに連れてかれたらしいよ」
いつのまにか席もなくなり、今はなにをしているか知らないという。
そのエピソードを披露するとしょうたくんが言った。
「……しかし早すぎた春やね」


駆け抜けた青春/KENSEI 020901

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