anarchists's column back number
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ぼくは仕事というものをなめてたかもしれない。
仕事でミスが発覚。該当する社員がすでに帰ってしまっていた。その影響を受けぼくの仕事が終わらなくなった。先輩と上司が真剣な顔で討議している。すでに残業は3時間。
月曜の昼までに届けなくてはならない。半日前に完成させるのが基本なので、今晩中に作業は終える必要がある。重苦しい沈黙が支配する。思いついたことを言った。
「月曜の朝急いでやれば間に合うんじゃないですか? 早めに出社するとか?」

黙殺されました。

もう限界です/KENSEI 020629
「KENちゃんて、評論家とか向いてそうだよね。テレビとか出てさ」
「そう?」
「映画評論家とか。ほら。Y川さんとか。サヨナラ、サヨナラ、の」
「映画もそれなりに見てるけどね」
「知ってる? Y川さんってホ○なんでしょ?」
「え、そうなの?」
「うん。だってスタローンか誰かが来日したとき一緒にお風呂入ろうとしたんだよ。大浴場かなんか借り切ってるのを聞いて後から入っていったらしいよ。M野さんもそうなんでしょ? シベ超の。業界じゃ有名らしいよ」
「なるほど。じゃあOとPが台頭してくるのもわかるな。まず映画評論家になるのには○モになるのが近道なんだね〜」
「ね、KENちゃんにぴったりでしょ」
「……え?」


それって、どういう……/KENSEI 020627
車の後部座席で友人と話した。ぼくはいま仕事で毎日悩んでいる。いまここで仕事を続けることもできる。だが、続けることがどれだけプラスになるのか。 そんなことをクラスメイトに話した。
「KENちゃん、走りながら考えなくちゃダメよ」
と言われる。
「立ち止まっちゃダメ。そこで終わっちゃうから。いまの会社も辞めちゃダメよ」
「……そうだね。自分から辞めるということはないね」

ぼくらは、走りながら考えなければならない。選ばなくてはならない。

走りながら/KENSEI 020619
歯が弱い。治療していない歯がないくらいだ。ある歯は銀をかぶせられ、あるいは白い素材が詰められて、まるでサイボーグのような有様だ。
歯が弱いのに無精者なので、寝る前の歯磨きを子どものころから怠ってきた。親もとくに指導しないので安心していたのだが、虫歯は連続発生する。どうやら両親は歯が丈夫なので子どもに歯磨きを強制する発想自体がなかったようだ。
このまままでは歯がなくなってしまうと不安になって、二十歳を超えてから猛然と歯磨きを始めた。職場で昼食後も歯磨きをする。どんなに酔って帰ってきても歯磨きをする。それでも虫歯はできる。なぜだ?
ある日新聞を読んで愕然となった。子どもに対して正しいブラッシングの指導を、と題されたコラムに「歯の上を磨かない子どもがいる」という解説があったのだ。これが子どもの虫歯の原因になるという。ぼくは熱心に歯の「表」と「裏」はブラッシングしてきたが「上」……肝心の噛む部分を一切掃除していなかったわけである。自分のこういう要領のなさというか、粗忽な部分に失望する。

目が悪い。ずっと2.0だった視力はいま0.05くらいである。高校を中退して半分引きこもっていたころ、図書館に通い、小説に埋没した結果視力が急激に低下した。自室のふすまが霞んで見えなくなったときには手遅れで、久しぶりに出かけたら「世界は不透明」(By川原泉「ミとソのスープ」)だった。どうせならlainさんのように色恋沙汰に埋没しておけば良かったのだろうが、そこまでの器量はない。
両眼ともにコンタクトで矯正しているが、ずっとパソコンに向かう仕事に就いたことでさらなる低下を危惧している。視力回復センターなるものに通ったこともある。少なくともぼくの通ったセンターの看板に偽りはなく、当時0.2だった裸眼視力は0.4まで上昇した。ただし一ヶ月間、一切の本もゲームも禁止した状態で、である。そんな生活になんの意味がある?

つまるところ歯も目も消耗品であるということだ。肉体そのものがそうだが、ぼくはこの二つがどうも顕著である。
消耗品であることを理解して、長く持ちこたえさせるべく心がけている。

目と歯は消耗品/KENSEI 020618
先週末、訓練校のクラスメイトで集まって飲んだ。18人。2次会を経て朝までカラオケというコースだったのだが、始発まで残ったのが9人というある種異様な残留度。大学生のようだ。
歌って、騒いで、と徹夜で盛り上がる。同時に、他人が歌ってるのを無視して話し込んだり、部屋から出てやっぱり話したり、歌って、騒いで、話した。声が嗄れた。みんな残る言葉をくれたのだが、そのなかで一つ。
「人生のすべてが教訓になるわけじゃない」
やっぱいいオトコは言うことが違う。その歳だったらわかると思うけど、と彼女は前置きしたが、あいかわらず煮え切らないぼくはそこまで颯爽と生きてはいない。
(ぼくはいいオトコはいいオンナの条件だと思っている)
別の友人からはダメ出しされ、励まされ、太鼓判も押される。
「まだまだ。これからだよ」
同い年の彼は、いつもそう言って笑う。なんだかそう思えてくる。

元気をもらった会だった。けど、ぼくが学校に来る直前に失恋したことが知れ渡っていた上、クラスで懲りずに好きな人が出来ていたという話はどこから出てきたのですか? しかも名前が複数上がってるんですけど……
これで「学校でも振られた」という噂を流しておけば、ぼくの物語としては完璧なのかもしれない。

まだまだ。これからだよ/KENSEI 020617
自分ひとりでどうしてもわからない仕事を1時間やって、
ちょっとわかった先輩に質問するととさらに1時間がかかるが終わらず、
すごくわかってる人に教わるとすぐに終わってしまう。

残業するとなんだかみんな優しい。


KENSEI的仕事の法則/KENSEI 020614
ふと気づくと、コラムと称して書き綴ってきた文の量が、原稿用紙100枚を超えている。雑文ならいくらでも書けるということか。

ちなみにこの随想はぼくが失恋したときの日記から始まっている。
もちろん公開はしていない。ただ、こういう気持ちは書き残しておいたほうがいい、と物書きの欲が告げた。こういう気持ちになれるのは、よくよくあるもんじゃない。だから書いた。そしてしばらく経って、その女性が出てきた夢を書いた。それが始まりで、日々のことを記し始めた。
おかげで記録した表現を掌編に描写として活用し、評判を得ることができた。でもそんな評判はあまりありがたくない。できればこの雑記だって、恋人との甘い生活(!)を書きたいものだ。不満を散々漏らしつつ「なんだよ結局ノロケかよ」というような。
いまのところ予定はないが〜

コラムというか、書くこと、そしてネット上で公開する利点でもあるんだけど、大抵のことは「ネタになるぞ」と思えるようになる。復活が早くなる。

みなさんもどうです?
(でも決してうれしいわけじゃないよね)

「書く」利点/KENSEI 020613
新しい公園を求めて、また歩いた。
今度の公園は道路の脇にある小さな緑地帯という風情だった。遊具はほとんどなくて、樹のしたに緑とベンチ。日陰が暑さを増してきた気候には心地よい。12時を少し回ったところだったが、学生がちらほらと周囲に見えた。ぼくは木陰の花壇の縁に腰を下ろして、昼食を広げた。
食べ終えて文庫本を開く。時間が経つにつれ、学生たちの気配が広がっていく。一瞥すると髪の毛の色は様々で、服装も華やかな印象。大学生よりは専門学生かな、と推測する。女の子の数が多い。周囲で食後の一服のせいか、ライターから金属的な音色が次々と起こる。そういえば女性の喫煙率は若年のほうが高い。いま当たり前のように吸うよな。すぐ横でも気持ちよさそうにふかしている。地面に車座になって座り。その様子を見てると、なんだか腰かけてる自分が悪いような気がしてきた。若者は抵抗感が薄いとしても、ぼくは気になる。いまどのくらい人はいるのか。
見回してみると、狭い公園に、50人はいた。上野の花見。サル山のサル。敷物も敷かず地面に輪になって。恐ろしい盛況ぶりだ。目を見開いて固まってしまったぼくに、隣から不審の視線が送られてきた。あわてて元の姿勢に戻る。
このなかに自分がまぎれていたとは気がつかなかった。本に集中していたからか。ぼくの占めてるスペースを譲って、公園を出ることにした。少し離れた場所から眺めると、やはり異様だ。静かで動きのない日中の街の、そこだけがざわめいている。
金やらピンクやら水色やら紫やら……


いろとりどりの/KENSEI 020610
酒量が増えると更新が滞りがちになる。昨夜は友人とイングランド・アルゼンチンの試合を見ながら飲んでいた。「名人」とあだ名される訓練校のクラスメイト。会社の帰りに待ち合わせて飲んだ。
名人は社労士の資格を有していて、編集者に転職したばかりだ。社労士関係の雑誌を担当することになって、充実した日々を送っている。柔和などこか山男を髣髴とさせる風貌の名人が、背広姿、青い「日本代表」の扇子を片手に雑踏で佇んでいた。目当てのスポーツバーはどこも満席で、TVの観れるインド料理屋でようやく席を見つける。マハラジャを空けながらベッカムのPKを目撃する。試合について無責任な発言を連発する。名人はサッカーにも詳しいのだが微笑している。
ぼくは未だに空転する生活で、友人たちからいろんな話を聞きたいと感じていた。温泉につかってまた会社での日々が繰り返され、ますますその気持ちは募った。みんなどんな風に折り合いをつけて生活を送っているのだろう。特に目指す編集職に就いた名人の現在を知りたい。そして、なぜ名人は編集になったのか。本格的に聞いてみたい。帰りの電車の中で、改めて質問した。
「そもそも、どうして社労士の資格を取ろうと考えたの?」
「前の仕事で、役に立つかなと思って取ったんです。それだけ」
「それだけで取れるもんでもないだろうけど」
「いまのKENさんならDTPエキスパートとかね。そういうことかな」
編集の職も、社労士の世界の人間として「わかりやすい社会労務の本がつくりたい」という気持ちで求めたのだという。
「うーん。とても自然だ。無理がない」
「いや、ぼくの場合無理というか夢がなくて、KENさんの場合は夢があるんじゃないかな?」
でも名人は目の前にあることを淡々と、大きく捌いてしまう。それが結果的に次の舞台へと道をつける。

別のクラスメイトにこんなことを言われた。
「名人は、優しいのも頭使うのも自然にやってる感じがするけど、KENちゃんは全部無理してる感じがする」
このクラスメイトは以前書いた光の粒子を飛ばす御方ですが、なんでそこまで慧眼なのとちょっと憎たらしかった。

「優しいよねー」と女の子に感嘆されることがある。普通の男性はみなそうなのかもしれないが、ぼくの優しさは違う。こう答える。
「ぼくは親切なだけだ」
訓練と自制の賜物なのだ。
たとえば女性が荷物を持っているとしよう。ぼくは検討する。持つべきか、持たなくてもいいのか……重さは? 歩く距離は? もし持つとすれば声をかけるタイミングは? 同時に持たなくていいのなら理由は? 遠慮すべき対象か? 彼氏に合図して持たせるべきか? などなど。
すべてを毎回考えるわけではないが、大抵は判断している。意識上の課題なのだ。だから気が緩むとおろそかになるし、緊張するとできなくなってしまう。ぼくは「偽善者」の看板を喜んで受け入れる。ぼくは「優しさ」のパフォーマーだ。

同じことが「夢」にも言える気がする。ぼくは無意識に、自然に「編集」の仕事を求めているわけではない。どうせなら「編集」をやってみたい。少々持て余し気味の肥大した自意識が、いつもぼくを急きたてる。この場所でいいのか。こんな無為な時間を過ごしていていいのか。この仕事は一生やるような仕事なのか。適職信仰。働いたことがないから諦めを知らない。ぼくは偏った願望を「職」に押し付けているのかもしれない。「編集」は願望に応えうる立場なのではないか。
仕事なんかやりたくない。人に親切になんかしたくない。面倒くさい。それが本音だ。だがやらなければ自分を支えることができない。人の期待と賞賛を受けなければ自分が存在できない。厄介な自己証明である。
ぼくは偽者である。

ただもう一つ気づいたことがある。いま「聖の青春」というノンフィクションを読んでいる。この本は冒頭から泣かずには、そして微笑まずにはいられない本だが、通勤電車の窓ガラスに自分の姿をふと映して、どうしてぼくはここまでのめりこむかなあ、と驚いた。どうしょうもないくらい微笑んでいた自分の顔。好きなんだな。活字が。
どうせなら仕事を好きなもののそばで。その気持ちは本物だ。

偽者/KENSEI 020607
昼休みを公園ですごすのが好きだ。のんびりと一人でベンチに腰かけて。休憩室や自分の机は気を使いすぎるし、時には喫煙が可能だったりするので、どうしても落ち着かない。
上野で働いていたときは、毎日のように上野公園で昼休みをすごしていた。桜並木の定位置で。春夏秋冬。食べたあとには本を読んでもいいし、散歩したっていい。ぼくにとっては一人になれることが最大の補給なのだ。この時期が習慣を決定づけてしまった。新しい職場に行くとまず公園を探すようになってしまった。
いまの職場は不満が多いけど、一番の問題は公園だ。周囲に快適な公園がない。ぼくが通う町は大学が二つ。そして各種専門学校や日本語学校が乱立している。学生の街だ。さらにどういうわけだか猫が多い。
近場の児童公園は毎日通うのには申し分ないが、小さな公園に学生が20人近く(大げさではない)集まっている。おまけにゴムボールで野球を始めたりする。ボールが体を掠めたら大暴れしてやろうかなどと計画するが、身の置き場がないのは困ったことだ。
歩いたところには静かな公園があるのだが、ここは猫が棲みついている。弁当を広げるとどこからか現れてじっと待っている。ついついなにかをあげなくてはならないという気持ちになる。理性では野良に食べ物を与えるのはマナー違反だと知ってはいるのだが。
どっちにせよ、落ち着かない。
路上にある地図を確認しては新しい公園を開拓する日々だ。今日も隣町の児童公園へ15分ほど歩いた。悪くはないが、距離がありすぎた。明日も目ぼしい公園を求めてさまようだろう。
誰か公園つきのオフィスをつくってくれないか。すぐ転職するから。

公園は居場所のない者にとって最良の居場所なのだ。

猫と学生が多すぎる/KENSEI 020606
以前のバイト先の仲間に、就職が決まったとメールした。彼とはとくに仲がいいというわけではなかったが、みんなのまとめ役だった。ぼくが上と揉めて鬱屈としているところで、随分気を使ってくれたのだ。優しいやつなのだ。
この春に店では、とある事情でアルバイト8人が解雇になった。彼も巻き込まれ、いまは職探し中だ。職が決まったら教えると言っておいたので、決まった旨を伝え、そちらの首尾はどうか、と聞いてみた。
「決まってないです」
という書き出しで返信は始まっていた。
「やりたい仕事をやろうかと思う。しかしこれが、なかなかうまくいかないよね」
まったくだ。

彼の健闘を祈っている。
だから、彼が解雇になった理由が「懐中電灯を忘れ倉庫が暗かったので、紙でたいまつを作ってライターで火をつけた」ことだとは口が裂けても言いません。
(彼は、張本人じゃなくて、参加者でしたが)

やりたい仕事をやろうかと思う/KENSEI 020605
A型の女の子が好きだ。昔からそう思っていたけど「12星座×血液型占い」の結果が加味されて、うお座ならさらに良いことが判明した。

なぜA型なのか。なんてことはないエピソードがあるのだ。
以前、地方に行ってしまった友人が帰省で戻ってきて、飲み会をやったことがある。飲み会は六時から。けれどバイトの終わりが七時半で、合流できるのは八時過ぎ。
一刻も早く会いたいので乗り継ぎも駆け足だったのだが、運の悪いことに山手線が人身事故で止まってしまった。復旧の見通しはたたないという。とりあえずいまいる駅を降りて、地下鉄に乗り換えようと考えた。どこまで目的の駅に近づけるかわからないが、ともかく動くことだ……
携帯が鳴った。友だちの女の子からで、店の位置を知らせる電話だった。ぼくは地下鉄について相談したら逆に叱られた。
「そんなことしないで、その駅にいなさい」
「いや、だって一時間とか足止めくったら」
「ダ〜メ! おとなしく待ってなさい! そのうち動くから」
「……はーい」
なんだか逆らえなくて、結局電車は十五分ほどで動いた。
地下鉄なら遠回りした結果、まだ到着していないだろう。
彼女はA型だったのだ。

ぼくはせっかちである上に粗忽者である。
学生のころ、大雪が降ったことがあった。駅までバスで通っていたのだが、帰りは雪が積もってバスが来ない。長蛇の列にうんざりして「歩いて帰ってやろう」と考えた。
最初は意気揚々、雪見の散歩だ。しかし、風が強い。駅からすぐ大きな河があって大橋が通っているのだが、橋の上にはさえぎるものがなにもなく、風雪が吹雪になって襲ってくる。渡らなくては帰れない。傘は差していれば飛ばされてしまう。脇に抱えて映画で遭難する人のように、右手を顔の前にかざす。一歩一歩進んで行く。 三十分ほどかけて、ようやく橋を渡り切ったところで力尽きた。停留所で言えば二つ分歩いたところ。
そのとき、背後でひときわ重く響くチェーンの音。バスが縦列になって追いついてきた。橋の袂にはバス停があって、バスが来ない日にありがちな、四台連続という列車のような形式のバスにあわてて乗り込む。満員ではあるものの、暖かい空気と、自分で歩かずにすむ気楽さに安堵していた。
ちなみに、どの道バスに乗れたのは1時間後だった。

ぼくはこういうとき首根っこを押さえて欲しいのだ。
A型女子に期待しているのは、そういうことである。


せっかちな上粗忽者/KENSEI 020604
土日に更新できなかったのは一泊旅行に出かけていたからだ。車で福島まで。訓練校の友人たちと行ったのだが、ひたすら楽しい旅行だった。
「明日仕事行きたくねーなあ」
帰り道。シートに首を預けて息を吐き出し、言った。友人が苦笑する。
「ちょっとでもヤだとそう思いますよね」
解散間際、青く暗い車内へ、ラジオから佐野元春が流れてきた。ただでさえ楽しかった時間が名残惜しくて、緩く締め付けるようなロックは胸に沁みた。でも酒を飲みながら話を聞いて、ぼくより楽な状況にいるやつなんていなかった。
ラジオの曲が「サムデイ」に変わる。みんなが、あわせて口ずさんでいた。

一人、地下鉄に揺られる。泣き言を言って、随分いろんなアドバイスを貰ったなあ、と思った。きっとみんな自分なりに解決しながら仕事をしているのだ。ぼくはいつからこんなにヘッポコになってしまっただろうと考えて、最初からそうだったことを思い出した。
一番最初にやったアルバイトはコンビニの夜勤。あまりにしんどくて三日目で無断欠勤しようとした。店長から電話がかかってきて、責任とってその夜だけは出ることにしたのだ。もしあの電話がなければ、それから7年も勤めることはなかったはずだ。もちろん三ヶ月に一度は「辞めたい」と店長に泣き言を言っていた。
べそかきながらやってきたじゃないか。
自分がどんな立派な人間だと思っていたのだろう。

ただわかってるのは続けることの大切さ。
泣いたって自分だ。笑ったって自分だ。
十分にヘッポコなまま、存分に凹みながら。
友だち支えられて今日もやっていく。
投げ出すのはいつだってできる。

ちょっと思い切ってやってみようかな、と発想を変えた。
自分から積極的になってみる。
パシリ希望とかなんとか言いながら。
どうせなら、自分でも苦笑できるほど失敗すればいいのだ。
これもみんな、友だちの言葉が後押ししてくれているのだ。
ぼくには、受け入れてくれる人たちがいる。


と思って出社したら、その日の午後。
「じゃあ、仕事をやってみるか?」
と練習じゃなくて本番がきた。気持ちが伝わったのかも。すごい。
「これ、今日中に」
いま午後三時なんですけど。
……残業しました。(残業代デマセン)


サムデイ/KENSEI 020603

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