closed space

凩 優司

「駄目だ、奥は行き止まりだ」
 憔悴した表情で久道は吐き捨てる。
「そうか……まあ仕方ないな」
 僕……文隆は言って煙草をくわえる。すっかり湿ってしまっているそれには中々火がつかず、僕は苦労して火を点けると美味そうにくゆらせてみる。
「な……何やってるんだ、テメェ!」
 怒鳴り声をあげ、久道は僕の口からタバコを叩き落とす。しかし次の瞬間には周囲の雪が音を吸いこみ、息苦しいほどの静寂が訪れる。
「文隆……分かってるのか? このままじゃ俺たち、酸素がなくなって窒息死をするんだぞ?」
「そんな事は分かってるさ」
 僕は何事もないかのように答える。当然だ、僕たちは狭い洞窟に閉じ込められていた。入り口には雪が壁のように積まれていて、とてもじゃないが人力で出られそうには見えない。
 このままなら、遠からず僕たちは死ぬだろう。窒息死か、それを免れたとしても餓死か凍死だ。僕たちの未来は明るい。
「チクショウ……ッ! 何で……何でこんな事にっ……!」
 入り口に積もった雪に拳を叩きつける久道、だけど大量に覆い被さってくる雪は微かにへこんでみせただけだった。
「すまないな……僕のせいで」
 僕の言葉に文隆はピクッと肩を震わせてみせる。
「ああ……確かにお前に原因はある。お前がスキーに誘わなければ、『こっちの禁止区間の急斜面滑ろうぜ』なんて言い出さなければ、こんな事にはならなかたかも知れない……」
 言いながら文隆はゆっくりと感情の整理をしているようだ。視線が段々と冷静なものに変わっていく。
「その事を責める気持ちがないと言えば嘘になる……だけど、突然に雪崩れが発生して、ここに閉じ込められる事になったのは誰のせいでもない、ただの偶然だ。だから……そう、だから俺たちがしなくちゃいけないのはまず、ここからどうにかして脱出することだ。あきらめず、最後まで抵抗してみる事だ」
 僕はじん……と胸が苦しくなるのを感じる。
「前向き、だな。そうした久道の長所は素晴らしいと思うぜ。久道がそうやってあきらめないでいる所を見ると……僕は久道と友達になれて、本当に良かったと思うんだよ」

 だけど結局、出口なんて見つからなかった。洞窟の中はどこにも脱出できそうな箇所はなく、全ての道は袋小路に続いていた。人生の縮図のように。
「くそ……!」
 そして僕たちは雪を掘り進む、単純な作業。でも、それを繰り返す以外に生き残る道はない。
「ふぅ……ふぅ……」
 息を切らせる久道。彼はこれ以上なく冷静に、ただ一心に雪をスキー板で掘り進めている。その真剣な眼差しは心が痛くなるくらいに。
「助かると……いいな」
 僕の言葉に久道は手を止めずに言う。
「いいな、じゃなくて『助かる』んだよ」
「ああ、そうだな」
 僕たちは無言で作業を続行する。1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、3時間が過ぎる。汗が吹き出てきて、容赦なく体温を奪っていく。
 ガタン、と音がして僕は手を止める。見ると久道がスキー板を落として手をおさえていた。
「……どうした?」
「ああ……ちょっと、手が痺れてきてな……。少し、休憩させてもらうよ」
 言って壁に背を向け久道は座りこむ。僕も疲れていたので、スキー板を立てかけると、彼の正面に座った。
「なあ……」
「ん?」
 少ししてからだった、久道が淡々をそれを語り始めたのは。
「聞いて欲しい事があるんだ」

 クローズドって言葉を聞いた事はあるか? 閉じられたって意味の、closedだ。インターネット用語なんだけどね、大体アンダーグラウンド……違法サイトなんかで使われる事が多い言葉なんだ。
 大抵の場合はROMやMP3、市販ソフト……それに児童ポルノなんかをやり取りするために使われるものさ。そのアドレスはどこからもリンクが貼っていなくて、アクセスするのにパスが必要な事が多い。アドレスを直打ちしないといけないから、メールで場所とパスをやり取りしない限りは辿りつけないだろうね。
 そう、閉じられた空間なのさ。だからクローズド。そして……俺も、そういったクローズドにいた事があったのさ。
 もともとはインディーズJ―POP系のMP3をやり取りする掲示板だった。でもさ、そういったサイトで嫌われるのはDOM。Download Only Memberの略で貰うだけ貰って自分は何も返さない奴なんだ。
 俺はだけど、向こうが希望するMP3を全然持っていなくてさ。それでお前も知っている通り、俺らが住んでいるとこって田舎だろ。とてもじゃないけどインディーズのCDなんてそうそう手に入らない。だから俺は『スレ違いですが(藁)どうぞ』って書きこんで、ファイルをアップしてみたんだよ。
 うちの学校の女子生徒をデジカメで盗撮した画像ファイルをね。
 大抵は『揚げる板が違う』って怒られたんだけど、数人の人間に気に入られてね。クローズドやFTPを介して色々とやり取りするようになったのさ。
 結局、そのサイトにどうやって知ったのか知らないけど『善意の人間』が現れて、荒らすようになったんで、俺も盗撮画像からどこの学校かばれるのは怖かったし、手を引いたんだけど……。
 でも、俺は確かにそういう事をやっていたんだよ。
 そう……あの時、文隆の彼女の盗撮画像がネットに出まわってるって問題になった。それでお前たちは別れる事になった。
 あれは……あれはな、俺の仕業だったんだよ……。

「……どうして今になって、そんな話を?」
 僕は手を止めて聞いた。久道は軽く自嘲的に笑ってみせる。
「最期ってのは……罪の告白をするもんだろ? ごめん……ごめんな……」
 見ると久道はスキー板を下ろし、手首をぎゅっと握っていた。その手がブルブルと震えている。
「手首……痛めたのか?」
「ああ、ちょっとな……」
 彼は嘘をついている。それはきっと誰の目にも明らかだったろう。僕は弱気になっている彼を初めて見て、ぐらぐらと心を揺さぶられるのを感じる。
「まあ……休んでろよ、僕が久道の分までやってやるからさ!」
 言って僕はスキー板を雪壁に叩きつける。少し、また少しと壁が削られていく。
「それに……そんな事を言ったら、僕の方だって久道に『ごめん』って言わなくちゃいけない事があるんだ」
「え……?」
「僕は……僕は君に……!」
 思い切りスキー板を振りかぶる。その事実を告げる勇気を手に入れようとするかのように。そして僕は思い切りそれを叩きつけた。
「あ……」
 唖然とする二人、次の瞬間に久道の顔が笑みに満ちる。
「やった……やったぞ文隆!」
 そこには小さいけど確かに外の景色が見通せる穴が開いていた。
「助かったんだ! 助かったんだよ!」
 僕は顔をそむけてスキー板をまた叩きつける。がっかりした表情を見られたくなかったから。
 僕たちは助かるだろう。久道と僕は今まで通りにやっていけるだろう。でも僕はそんなもの求めていなかった。
 僕はずっと彼に嘘をついている。
 彼が参加しているクローズドを荒らしたのは僕だ。彼の部屋に遊びに行った時に、お気に入りの中からそれを見つけて逆上した。許せなかった。
 彼が……女なんかに関心を示しているのが。
 そう、彼は僕の彼女を盗撮したと言っていた。そんな事は構わない。どうせあいつの事なんか愛していなかった。僕がずっと昔から愛していたのは……一人だけだ。僕はただ一人だけをずっと愛し続けていた。
 ただ、久道の事だけを。
「『雪崩れに注意』の看板を戻しておかなくちゃな……」
「ん? なんか言ったか?」
「いいや、無事に助かった喜びを噛み締めていたのさ」
 光が僕に注ぐ、だけど僕が欲しかったのは闇。彼と僕しか残される者のない、そんな深い闇。
 そう、僕たちは死ななくちゃいけない。彼がこれ以上、女なんかに関心を示すのは耐えられない。そんな間違った道から彼を救うために、僕は彼を殺し、僕も一緒に死ななくてはいけない。
 彼の死に顔を見取る自分を想像すると、感動で身が打ち震える。彼と僕はずっと一緒だ。だから……。
「また違う舞台を用意しなくちゃな……今度は人の通らない山道でガソリンが切れるって言うのがいいな」
「おーい! 何やってるんだよ文隆、早くしないと置いていくぞ!」
 遠くから久道の声が聞こえる。僕は白い……僕たちの心のように白い雪の上を彼の方へと歩く。
 そう遠くないうちに、僕と彼は死ぬだろう。僕は諦めないから。だから……だから……。
 降りつけて来る陽光に目蓋を細めながら僕は思う。  僕たちの未来は明るい、と。


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