浜辺にて

煎餅屋 光圀

 海に来たいと言うから連れて来れば。水に 入って遊んだりもせず、海岸で白い肌をさら して甲羅干しと来たもんだ。
 あげくに。
「オイルを塗らしてあげてもいいわよ」
 などと言い始める。
 全く何様のつもりだ。僕は缶ビールを焼け た砂浜に置くと、サンオイルの内蓋を外して 寝そべっている美也の背中に残らずぶちまけ た。
「うひやああぁぁ」
 美也は訳のわからない妙な悲鳴を上げる。
 全くいい気味だ。僕はクーラーバックの中 から冷えた新しいビールを取り出すと、プル を押し上げて一気に半分ほど飲み干した。
「海はいいねえ」
 潮の臭いに混じって強烈なココナッツ臭が、 酩酊状態の僕の頭を激しくシェイクする。
 隣で美也がギャーギャー騒いでいるが、僕 は完全に無視をして。目の前を歩いて行く二 人組の若い女のヒップを目で追った。
「やっぱり海はいい・・・・・・」
 僕は呟いて残りのビールを喉の奥に押し込 んだ。
 焼けた砂浜は白く乾いて僕の目を焼く。海 水はコーヒー牛乳の様な色をしていて、その 上に炭酸みたいな白い波が長く尾を引くたび に、若者達のあげる黄色い歓声が僕の鼓膜を 打ちならした。
「浜辺の何が良いって、ちっとも楽しくない ところが最高だな。うるさいし、汚いし、コ コナッツくさい小娘はいるし」
 僕がそう言うと、美也はクーラーバックの 中から新しいビールを取り出し、僕の頭に残 らず全部ぶちまけた。炭酸が目に染みて世界 はビールの臭いで何もかも押しつぶされる。
「それに、ビールくさい子供みたいなおやじ はいるしね」
 美也はそう言ってニヤリと笑った。
 僕は右手で顔を拭いてから、新しいビール に手をのばす。ビールが肌で乾いてとても気 持ち悪いが、コーヒー牛乳よりは幾分かまし だ。僕は遠くの方に揺れているブイを見つめ てため息をついた。
 美也は浮き輪を持ってゆっくりと立ち上が ると、僕に手を伸ばす。
「ねえ、ビールばっかり飲んでないで泳ぎに 行こうよ」
 美也はそう言って反対の手で僕の腕を引っ 張った。見上げると日差しが僕の目を焼いて 暗闇の中に赤と青に浮かぶ奇妙な影を作る。
 逆光で美也の顔も見えないが、美也は笑っ ているらしい。まあ、楽しそうなのは良いん だけれど。
「サンオイルを塗ったら遊泳は禁止だろ?」
 僕は右手で影を作ると、目を細めて美也を 見つめた。レモンイエローのビキニが美也の 小さな体を彩っていて、そこから伸びた細長 い手足が僕の心に淡い溝を穿つ。何時の間に こんなに大きく、そして女らしくなってしま ったんだろう。
「大丈夫よ、遊泳出来るやつを買ったから」
 美也はそう言ってはじけた様に笑うと、細 い腕に浮き輪を通してから僕の腕を両手で引 っ張った。
「行こうよ、パパもビールを流したいでしょ?」
 僕は苦笑して立ち上がると、美也に手を引 かれて歩き出す。こういう強引な所は若い日 のアイツに・・・・・・昌子にそっくりだ。ご丁寧 に金槌なところまで・・・・・・
「なあ美也、母さんは元気か?」
 僕は何となく聞いてみた。もう昌子と離婚 してから長い時間が経っている。美也も知ら ない間にこんなに大きくなっていた。
「さあね・・・・・・本人に聞いてみれば?」
 美也はそう言って楽しそうに笑うと、黙っ て海岸線を指さした。美也の指さす白い浜辺 と茶色い海の境界線上に白い水着の女が立っ ている。僕は頭からビールが抜けていくのを 感じた。
 しかし、美也は僕の腕に捕まると舌を出し て笑った。
「う・そ」
 よくよく見ると全然違う女だ、僕は安堵の あまり軽いめまいを感じてよろめいてしまう。
 まったく、こういうところは全然似てない な、誰に似たんだか……
 僕はため息をついて、美也の髪をくしゃく しゃになでた。美也は目を細めて僕の腕をつ かむ手に力をいれる。
「今日ね、ママも誘ったんだけどやっぱり来 れないって・・・・・・仕事も忙しいし、抜けられ ないみたい」
 美也そう言ってため息をついた。まあ、少 し考えてみれば分かることなのに、何を考え ているんだ僕は? どうやら海の臭いと強い 日差しで全然感が働かないらしい。その上不 用意に美也を傷つけてしまった。
「ごめんな・・・・・・」
 僕は呟いて美也の頭をもう一度なでてやっ た。美也はにっこり笑うとゆっくりと首を振 る。そして僕の腕をつかんだまま駆けだした。
「今日は、わがまま聞いてくれるんでしょ?」
 僕は苦笑して頷いた。やっぱり親子だな、 こういう所はそっくりだ。君にも僕にもね。
 夏のビーチはとても熱くて、僕の足も自然 と駆け足になっていく。今日はもうとことん まで付き合ってやろうじゃないか。少し大人 びた君の心に残るように・・・・・・そういやあ大 人びたと言えば・・・・・・
「美也。お前、タマネギ食える様になったか?」
 美也は笑顔でピースサインを僕に突きつけ た。昌子はタマネギが好きだから、美也も食 えるようにされるだろうとは思っていたけど。 しかしまあこんなに早いとは恐れ入るね。
 よしそれなら一つ、僕も昌子を驚かしてや ろうじゃないか。
「それじゃ、ご褒美に泳ぎを教えてやろう」
 僕はそう言ってニヤリと笑うと、美也の体 を抱きかかえて走り出す。
海辺の午後はまだ始まったばかりだった。


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