コーヒーブレイク

煎餅屋 光圀

 入れ立てのコーヒーの香りが眠気を幾分か 吹き飛ばすと。あたしはスリップの肩紐を直 した。
「えーと、奈津美ちゃんミルクとお砂糖いる?」
 リビングにちょこんと座っている少し幼い 感じの女の子は笑顔で頷いた、この子は弟で ある正樹の彼女だ。改めて見てみても失笑し か出てこないが、あの色気づいたくそがきは こういうのが好みなのか。まあ、考えてみれ ばあたしよりはましだが・・・・・・
「ごめんね、せっかくのデートなのにあの馬 鹿と来たら、ついさっきまで寝てやがったん だよ・・・・・・ま、あたしも人の事は言えないけ どさ」
 お客様用の綺麗なコーヒーカップを奈津美 の前に置いて、あたしは戸棚を開けた。開封 してからどのくらいたったか分からないお煎 餅が2枚。ま、多少しけってるかも知れない が食えるだろう。一枚を奈津美に投げて、も う一枚をかじる。寝起きと二日酔いのぼやけ た頭に、塩煎餅はとても痛かった。
「まあ、何にも無いからさ。お茶請けにそれ でも囓っててよ。正樹も今泡喰って用意して るから」
 あたしはそう言って、奈津美の前に座りコ ーヒーに口を付けた。奈津美は苦笑しながら お煎餅を細かく割ってかけらを口に入れる。
(はん、お上品なこって)
 そんな奈津美の仕草にあたしは吐き気がし た。奈津美はどう見ても上流家庭のお嬢様と 言った感じで、服装もブリブリっとした薄い ピンクのワンピースなんかを着ている。しか もそれがまた嫌みにならない所が、露骨に嫌 みだった。黒いスリップに申し訳程度の短パ ン姿のあたしとはえらい違いだ。
 あたしのもこんな感じでいかにも女の子 な時期があったのか? いや、考えてみても 無かった気がするな・・・・・・後で正樹に聞いて みるか。あたしはそんな事を思いながらタバ コに火をつけた。
「あの・・・・・・」
 奈津美はあたしの方を見つめながら唐突に 口を開いた。彼女のカップはすでに砂糖とミ ルクが飽和状態で、あたしの知らない飲み物 になっている。
「ん?・・・・・・ああ、タバコの煙は駄目? それ とも煎餅がしけってた?」
 あたしがそう言って灰皿にタバコを押しつ けると。奈津美は首を振って煎餅をコーヒー カップの縁に置いた。あたしは黙って奈津美 を見つめる。こういうのも初々しいって言う のかね、あたしはただいらいらするだけだけ ど・・・・・・
「どうしたら、お姉さんみたいなかっこいい 人になれますか?」
 唐突に奈津美がそんな事を言ったので、あ たしは思わずコーヒーを吹き出してしまった。 何を言い始めるかと思えば・・・・・・
「あ、あのねえ奈津美ちゃん。どっちかって 言うとあたしより奈津美ちゃんみたいな女の 子の方がもてると思うよ」
 あたしは2本目のタバコに火をつけて呟く。 二日酔いでこんな格好のあたしの何処がかっ こいいのかさっぱり分からない。あたしは熱 いコーヒーを飲んで苦笑すると。
「あたしみたいなのは、女って言わないんだ」
 そう言って自分の言葉に思わず笑いがこみ 上げてきた。この子がすれてもあたしみたい にはならないだろう。たばこを吸ったり、こ んな格好で客を出迎えるとか、まあ、少しは 見てみたい気もするけれど。
 あたしが笑っていると、奈津美はコーヒー に口を付けて深刻そうに呟く。
「だって・・・・・・正樹君、何もしてくれないん だもん」
 奈津美はそう言って、癖のない長い髪を右 手でいじくると。ふと思いついた様に白いハ ンカチでコーヒーカップを拭った。ピンク色 の唇のあと、シャインリップか、なるほどね。
「奈津美ちゃんはOKなんだ・・・・・・」
 あたしは意地悪そうにそう聞いてみる。案 の定奈津美は顔を赤くして俯いてしまった。 だけど俯きながらもしっかりと頷く。
(なにやってるんだろうね、あのダサゾーは)
 あたしは苦笑してしまう。まあ、確かにあ たしみたいなのと違って、こういう子には手 を出し辛いのかも知れないが。でもそれにし てもダサイだろう。
「ねえ、奈津美ちゃん。正樹と付き合ってど のくらいになる」
 あたしはそう聞いてみた。それは単なる好 奇心かも知れないけど。
 奈津美は少し考えると指を折って数え始め る。そういう仕草の一つ一つにも、かわいら しさと言うか青臭さと言うか。そういう感覚 があって、あたしはそれが原因じゃないかと 思ってしまう。やがて。
「高校入って二ヶ月でつきあい始めて、今八 月だから・・・・・・3ヶ月かな?」
 その程度なら指を折る必要無いだろう、天 然でやっているなら正樹も苦労するな。あた しはそう思いながら、苦笑して頷く。
 しかしまあ、何処で仕入れた知識か知らな いがちょっと早いんじゃ無いのか? まあ、 本人が良いって言ってるんだから、別に良い のか・・・・・・
「そうだなあ、奈津美ちゃんは男に期待して る部分が有るかも知れないけど。男なんてみ んな鈍いから、奈津美ちゃんが誘ってあげな いと上手くいかないかも知れないよ。少し露 骨に、そうだなあ・・・・・・古い手なんだけど『 今日は帰りたくないの』とか言えれば今日に も出来ると思うよ。基本的に高校生の男なん て意気地が無いだけで、許しが有ればいくら でもやりたい盛りなんだし」
 あたしはそう言ってげらげらと笑った。ま あ、この子には無理だろうと思う。きっと、 そんなはしたないこと、とか言うんだろう。 言えれば誰も悩まない、後になればくだらな い事なんだって分かるのに・・・・・・
 しかし、奈津美は赤い顔をさらに真っ赤に して首を振った。
「い、いえ。そこまでは、まだ・・・・・・」
 そう呟いて俯く奈津美を、あたしはため息 をついて見つめた。
(おいおい、勘弁してくれよ )
 あたしは冷めてしまったコーヒーに口を付 けると静かに呟く。
「奈津美ちゃん、『そこまでは』って言うけ ど結局いつかはやるんだよ。女の子の都合で キスしか許してない、それでいて、何もして くれないは都合が良すぎないかね?」
 あたしはカップの縁から奈津美をのぞき見 た。お子さまには酷な話だけど、あたしには 事実だ。もし正樹の事が本当に好きで、その うち許しても良いと思っているならそうすべ きだろう。自分を大切にするのは悪いことじ ゃ無いかも知れないけれど。他に適当なかわ いい女の子がいて、すぐにでもやらせてくれ れば男はそっちに行く。そしてそれを責める ことは筋違いと言う物だよ。
 冷めたコーヒーはただ苦いだけでとてもま ずかった。奈津美は黙ったまま俯いてしまっ て何も言わない。ああ、全く世話が焼ける。
 あたしは立ち上がって奈津美のそばに行く と。顎を右手でつかんで、サクランボみたい な唇を強引に奪った。奈津美は目を見開いて 暴れるがあたしは許さない。やがて、奈津美 の両目から涙が流れて来て、あたしは突き飛 ばす様に奈津美を解放した。
「かまととぶるのもいい加減にしな。あんた がしていることは何もしないで権利ばっかり 主張しているのと同じ事だ」
 ソファーに座って泣いている奈津美にたた きつけるように言うと、あたしはリビングを 後にした。
 廊下で用意を済ませた正樹とすれ違う。
「あれ姉貴?」
 何も知らない正樹は脳天気にそんな事を言 う。大体に置いて、お前がしっかりしないか らこんな事になるんだ。あたしはだんだん腹 がたってきた。
「このダサゾーが!!」
 あたしはそう言って、正樹の臑に思いっき り蹴りを入れた。


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