迎え火

秋月 ねづ

 『東名高速道路は厚木・大井松田間で四十キロの渋滞』
 ダイニングテーブルの上のラジオは沈んだ声でお昼のトラフィックリポートを吐き出している。
「こんな時に出かける奴はアホだよな」
 と僕は玉ねぎを切る手を休めてマキに言った。マキはダイニングテーブルに突っ伏している。
「暑い……」
 マキは顔を伏せたままそう呟いた。
「海に行きたい」
 彼女がその台詞を言うのはもう五回目だ。
「だから、渋滞してるって言ってるだろ?」
 僕はそう言った。
 『一般道。国道134号線も断続的に渋滞しています』
「ほらな?」
 と僕はマキに言って玉ねぎを刻む。
「なあ、煙草をくれよ」
 そう言いながら僕は目を細めた。玉ねぎが目に沁みたのだ。マキはのろのろと顔を上げて、煙草のボックスを掴み取る。そして煙草を二本口に咥えた。彼女はジッポの蓋をカチンと開けて、二本の煙草に火をつけ、ジッポをカチンと勢いよく閉じる。
『凄い渋滞ですね〜。皆さん事故を起こさないように運転、気をつけてくださいね〜』
 マキは二三度煙草をふかすと、唇から一本を引き抜いて僕に咥えさせた。僕は刻んだ玉ねぎをまな板の端に寄せて、ピーマンを半分に切る。中身を捨てて、種を洗い流した。
「今日からお盆だな」
 僕は咥えた煙草の端からそう言う。マキは冷蔵庫の中から取り出したキリンラガーをプシュっと開けて、二つのグラスに注ぐ。
「迎え火をたかなくちゃな」
 僕はそう言う。流しの前のスダレから零れ落ちた日差しが、シンクの中の玉ねぎの皮をまだらに染める。
『次の曲はサザンオールスターズでチャコの海岸物語です』
 マキがビールのグラスをまな板の上に一つ置いて、僕は煙草を濡らさないように、灰皿に置く前にTシャツで手を拭いた。
「お盆かあ、海に行きたいなあ」
 ラジオがサザンの曲を大音量で流し始めて、マキがため息交じりに言う。僕はラジオを切った。これ以上、マキの海への想いを募らされたら堪らない。
「ねえ、今日、おジイちゃん。帰ってくるね」
 マキは咥え煙草でそう言う。マキは両腕を胸の前で組んで、柱に寄りかかって立っている。
「ああ」
 と僕は言う。僕はピーマンを細かく切って、フライパンに油をひく。冷蔵庫から卵を出して、ボウルの中に割りいれる。
「お前、うちのジイさん好きだったもんな。葬式の時なんて家族より大泣きしてたし」
 僕はそう言って笑う。マキはプーと勢いよく煙を吐き出す。
「あんたすぐ、それ言うよね。凄い昔のことじゃん。でもジイちゃんも私のこと好きだったからね。お前絶対うちの嫁になれよ、って何度も言ったもんね。早くなれ、早くなれって。中学生の女の子にだよ? 早すぎだよ。その上、あの人デリカシーないよ。こっちは思春期だって。恥ずかしいんだって。そんなの」
「まあな」
 僕は生きていた頃のジイさんの姿を思い浮かべた。力強いオトコだった。僕は死ぬなんてこれっぽっちも想像できなかった。マキだってそうだろう。
「中学生の女の子に煙草を吸わせるし。とんでもないよね」
 マキはそう言いながら、野菜庫を漁ってナスを出す。僕は熱くなったフライパンにピーマンと玉ねぎを入れて炒める。
「それからずっと吸い続けてるお前もお前だけどな」
 僕はそう言って、額の汗をTシャツの裾で拭った。フライパンから昇る熱気が凄い。
「お前、ジイさんと性格似てるから気に入られたんだぜ。きっと」
 僕はそう言って笑う。ジイさんは良く僕に言った。お前、マキとつりあうような男になれよ、って。それはとても難しいことだ。僕は炒めた野菜を一度、皿に移して熱いフライパンに卵を流し込んだ。
「あんた、それ、ケンカ売ってんでしょ」
 マキはそう言って僕を睨んで、僕は笑った。僕は手早く冷ご飯をフライパンに入れて卵と混ぜる。さっき炒めた野菜も入れる。
「これも昔、おジイちゃんと作ったなぁ」
 マキはナスに割り箸を刺しながら言う。そしてテーブルに立てる。
「おジイちゃんの為に作ることになるなんてね」
 マキはそのナスで作った馬を暫く眺めてから、ラジオのスイッチを入れた。
『今日の放送は何と辻堂海岸の特設ブースからなんですよ。海岸には今日も大勢の人がいらしてますね〜』
「海、イキテー」
 僕は奇声を上げるマキの頭を叩いて、チャーハンの皿をテーブルに置いた。
「ウルセエよ。飯にするぞ」
 そう言って、僕は水滴に濡れたグラスのビールを飲んだ。

 夏の夕日は驚くほどゆっくりと沈む。僕は玄関先で小さく千切った麻ガラにライターで火を入れた。マキの作ったナスの馬が傾いている。
「ちゃんと立たねえじゃんか」
 僕はマキの頭を軽く叩いた。
「うるさいなあ。お宅の孫、細かいことうるさいよ。おジイちゃん」
 マキは中空に向かって呟く。麻ガラはパチパチと燃えて、馬もちゃんと真っ直ぐ立ったので、僕らは玄関の石段に腰を下ろしてビールの缶をプシと開けた。
「ねえ」
 マキは僕の肩に寄りかかって頭を乗せた。
「おジイちゃん。何て言うかな? 喜んでくれるよね」
 マキは言う。僕はビールを一口飲んで笑った。
「遅えよ!って言うだろな」
 僕はそう言った。マキも笑う。
「言うね。間違いなく」
 そう言って、マキは立ち上がって、暮れていく空を見上げた。
「おジイちゃん。私、もうすぐおジイちゃんの孫になるんだよ」
 マキはそう呟く。そして僕の方を向く。マキの目には涙が溜まっている。
「嬉しいな」
 マキはにっこりと笑った。


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