Heartache

KENSEI

 棚卸しが終わった日はアルバイトの売り子さんたちを接待する。接待といっても高級なものではなくて、休憩室に料理と酒を用意して自由に飲み食いしてもらう程度のことだ。会場の設営は店舗で一番若い男性社員の役目で、このセッティングでほぼアルバイト間の評判が確定してしまう。今年はぼくだった。気をつけろよ。先輩の忠告だ。アルバイトさんとのコミュニケートの違いで売り上げも違う。だから予算の枠内で最大限の準備をしろ。ちゃんと印象づけろ。あいつは使える。あいつは趣味がいい。あいつは……
(あいつはいいヤツかも知れないけど、好かれたってしょうがないよねー)
 ロッカーの裏、聞こえてしまった台詞。そうだ。たいしたことじゃない。ただ立ち竦んででしまい、思わず盗み聞いたことを知られたのは困った結果だが。更衣スペースから出きた山本さんと目が合った。怖いくらいの無表情に変化する。これが答えですよ? ぼくはきびすを返して立ち去ることしかできなかった。
 頭を振る。時間がないんだ。隙間になんども繰り返し再生される光景。止まっていた手を再び動かし始める。雑巾でテーブルを拭いていく。デパートの地下で人気のテイクアウトメニューと、紙皿と箸、紙コップを並べていく。ビールやカクテルの瓶を各テーブルに配分する。店長が入ってくる。あちこちでおしゃべりしていたアルバイトさんたちも入ってくる。30人ほどの人数が大きくはない休憩室に揃う。ぼくはビール瓶を持ち替えながら酌をして回る。アルバイトさんたちも互いに酌をしてそれぞれのコップを泡が埋めていく。泡が全員に行き渡ったところで店長に目配せする。店長の乾杯の音頭で、接待が始まる。
 一杯目を飲み干したところで、再び各テーブルを回ってビールを補充し、カクテルを勧める。料理の味の感想を尋ね、二言三言冗談を言う。次々と。空中ブランコの折り返しのように。山本さんの後姿。それとなく視界に入れないようにしながら山本さんのいるテーブルに向かう。ぼくが顔を出すとなぜか拍手が起きた。六人いるテーブルの脇。隅の席はアルバイトでは一番古株の皆川さんだ。その隣の席をなるべく無視して、皆川さんのコップにビールを注いでいく。皆川さんは早くも赤くなった頬で笑っている。
「悪いね。せっかくの金曜の晩なんだから、デートでもしたいよねえ」
「いやあ、昨日ふられましたから」
 わかっている。ぼくは山本さんに圧力をかけたかった。少しでも困らせてやりたかった。
「えー嘘お! 失恋しちゃったのー?」
 ぼくは声のした方を見た。反射的に見ただけで誰が発したかはわかっていた。自然な好奇心を浮かべた顔。でそれをアナタが言うか? 山本さん。
「ええ、まあ」
 ぼくは少しさびしげな微笑を形作った。胸の内側。貼りついてる。零度で焦げるもの。山本さんは眉をひそめて同情してくれる。
「えー、かわいそう」
「ね、どんな人? わたしたち知ってる人?」
 皆川さんの問いかけに、まさか隣に座ってる人だとは言えるはずもなく、絶妙のタイミングで大きな笑顔を作った。この笑顔はどういう意味で受け止められるだろうか。測れない。ぼくはテーブルを離れて次のテーブルて向かう。
 宴会は続いていく。酒も料理も少し余るくらいだったが、女性は無理には食べないのだろう。店長が無言で片付けていく。独り暮らしの人に持ち帰らせるという発想はないらしい。酒や料理に手を伸ばすのはやめて、おしゃべりで盛り上がるテーブルがほとんどになっていた。ぼくは相変わらずテーブルを巡りながら、ふとやり取りが耳に入った。
「飲んだあとってさー、甘いもの食べたくなるよね」
「アイスクリームとか?」
 ぼくは歩み寄って声をかける。幹事の出番だ。
「ぼく買ってきますよ」
 いいよいいよ悪いから、などと口では言いつつも結局は希望のアイスをぼくに告げた。
 ほかのテーブルも声をかけると全員が注文を出してくる。手早くメモにまとめると店長が太っ腹を見せて一万円札をぼくに手渡す。今度は苦笑。ポケットマネーだろうかそれとも経費? ぼくは店の裏口から一番近いアイスクリームショップを目指して歩いた。
 スーツの上着だけでは少し冷える。夜気は冬の訪れを敏感に伝えている。駅前のパステルな雰囲気の店。明るい照明が妙に寒々しい。ぼくは自動ドアをくぐって店内へ入り、愛想のいい店員にリストを読み上げていく。大きな紙袋に箱が二つ。
「お持ち帰りになるお時間は、何分くらいですか?」
「ドライアイス?」
「はい」

 休憩室に戻ると幾人かの席替えがあったものの、依然としておしゃべりは続いていた。ぼくが「アイスでーす」と大声をあげると立ち上がって群がってくる。テーブルに箱を置いて各々が好きなアイスを取っていく。アルバイトにも社員にも店長にもアイスが行き渡る。箱は空だ。紙ナプキンに包まれた白い氷が、残っているだけだ。
「あれ、君の分無いねえ」
 皆川さんがぼくが何も持っていないことに気づいた。
「あげようか? あたしいいよ」
「いえいえ。ぼくはこれでいいですよ」
 箱の中からナプキンごと氷をつまみ出す。
「え、それって……」
 ぼくはナプキンを剥いて口の中に一瞬で放り込む。かすかに悲鳴があがった。
 ぼくは大きく口を開けて舌を突き出す。ただのロックアイスが舌の上に乗っている。ぼくの仕掛けたいたずらに幾人かが気づいて安堵の笑いをもらした。周囲に視線を散らしながら、山本さんの瞳を眺める。澄んでいて、ぼくの好きだった瞳だ。恐ろしいくらい他人の無表情だ。きっと本物のドライアイスでも同じ顔をしているんだろう。
 でも、もうそんなものとっくに飲みこんでいる。


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