天使と死神と水色日傘

秋月 ねづ

 葬祭式場の裏手は高台になっていて、三つの丘に挟まれた広い墓地を一望できた。今日ぐらい晴れていると、目のあまり良くない僕にも、けっこう遠い墓石の文字までもが、はっきりと見える。  高台の道に置かれた幾つかのベンチの一つに僕らは座っていた。側に立つクヌギの枝葉が僕らを陽射しから守ってくれる。竹内さんは目を閉じて、耳もMDのイヤホンで塞いでいる。何を聞いているのかは分からないけど、シャカシャカという音だけが漏れ聞こえる。竹内さんは、グレーの短パンの片足を伸ばして、もう片方のスニーカーをベンチのへりにかけて、長い白い右足を両腕で抱えてる。
 葬祭式場から、竹内さんの耳から漏れるのと同じくらいの大きさで、さっきからずっと読経が聞こえてくる。ここに何度も来てて思うけど、遠くで聞くと、お経はどんな宗派でもみんな同じように聞こえるんだなと僕は考えていた。
 竹内さんは髪の毛を払うみたいに両耳からイヤホンをはたき落とした。今日の竹内さんは珍しく衿のある長袖の白いシャツを着ていて、彼女が遠くを指差した時、ボタンの留まってない袖がしなりと彼女の手首にまとわりついた。
「ほら天に召されるよ」
 僕は彼女の指差した方を見る。そこには火葬場の煙突があって、特に煙が出ているわけでは無かったが、ただ煙突の上には小さな丸い雲があった。その日は快晴で雲は他にあまり見なかったので、彼女の言いたいことは良く分かった。  僕はポケットから煙草を出して口にくわえた。竹内さんは雲を良く見ようと立ち上がって、崖から落ちないようについている手すりに触った。後ろから見ると、竹内さんの白いYシャツとグレーの短パンはちょっとした喪服みたいに見える。もしかしたらここに来るからと、わざわざ考えた服装なのかもしれなかった。僕は目を落として自分の赤いTシャツを見た。
 竹内さんは振り返って僕を促す。僕は立ち上がって、陽射しの中に出ていって、彼女の隣に立った。竹内さんは手すりに体を完全に預けて、崖の下に広がる墓地を眺める。黒い喪服の行列が小さく、火葬場から墓地へと向かっていくのが見える。
「ここにいると、天使か死神みたいな気分になるね」
 竹内さんはぽつりと呟く。そして僕の方を見てフフと笑う。僕は肯いた。きっと天使も死神もこういう高みから皆を見下ろすのだろう。
 竹内さんは続ける。
「あなたは、赤いTシャツを着て、未成年なのに煙草を咥えて、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ天使。あの煙突から登ってきた人を天国に導くのが仕事なの」
 僕は吹き出しそうになったが堪えて、芝居がかった調子でダルそうに両手を広げた。
「おい、お前。行くぞ」
 竹内さんは嬉しそうに立ち上がる。そして自分を指差す。
「あたしは死神。短パンにだらしなくシャツを着て、MDを聞きながら迎えに来る。もちろん地獄へ連れて行くんだから、あなたより、もっと気を遣う必要があるんだ」
 竹内さんは咳払いをする。
「残念ですが……、うーん、言いにくいなあ。そうだ、死神だから嘘をついても悪くないよね。
 えーと、今回は残念ながら、抽選の結果、あなたは惜しくも天国へ行く事が出来ません。もう定員オーバーなんです。ですから、もうちょっっと違う場所に……、いえいえ、そこだってそんなに悪いところじゃありませんよ、じゃあ、ご案内致しますから」
 竹内さんは右手を胸に当てて丁寧にお辞儀をした。そして一人でクスクスと笑って、もう一度、手すりに体を預けた。そして墓地を指差す。
「みんな黒い服だね。黒と白。あなたがあそこに行ったら天使だってすぐバレるみたい」
 竹内さんは手すりに干されるようにして力を抜いて、両腕をブラブラさせる。
「あっ、あそこに水色が見える」
 竹内さんが指を差すが僕には見えない。
「どこ?」
 僕はそう言って目を凝らす。竹内さんの指を辿ると、ほんとうに遠くの方に水色が見えた。
「日傘だね」
 僕は言った。喪服を着た女の人が持つ日傘の色なのだ。
「おばあさんだよ」
 竹内さんは言う。
「右手に桶とひしゃくを持ってる」
 僕にはそれが見えなかった。竹内さんの方が僕よりも目が良いのだ。
「おばあさんは傘を畳んだ」
 竹内さんは言う。
「水色の日傘でお墓参り、ってとても良いと思う」
 竹内さんは手すりに両肘を突いて、そのおばあさんを眺める。
「なんで?」
 僕は煙草を足で踏み消して訊く。陽射しのせいで金属の手すりに触れると熱い。
「おばあさんはお墓に水をかけた」
 竹内さんは言う。
「水色の日傘は目立つから、おじいさんはきっと遠くから見つけるよ。あっ、ばあさんが来たって」
 竹内さんはお墓の中にはおじいさんが居るって、もう決め付けている。僕は肯いた。
「おばあさんはお線香をつけて、お祈りをしてる」
 竹内さんは言う。
「それに、水色の日傘は上から見ても目立つから、天使と死神だって覚えてて、おばあさんをおじいさんと同じ場所に連れて行ってくれるんじゃないかな」  竹内さんは嬉しそうにニッコリとした。


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