原初の記憶

煎餅屋 光圀

 世界中には7人ほどよく似た人間が存在するというけど、大抵は会わずに一生を終える物だ。
 でも、僕は幸いな事に、僕によく似た人間に大学で出会った。 その人は、僕よりよりずっと背が高くて、僕よりうんと頭が良くて、 僕の読まないスタンダールの本を読んでいる眼鏡をかけた女性で、おまけに美人だった。
 どこが似てるのか、共通点を探す方が難しい位ぜんぜん違ったけれど、でも、なぜか僕らにはその7人の内の1人だって解ったんだ。 多分、原初の混沌から汲み上げられる時に、僕らはきっと、同じバケツに入っていたんだろうと思う。もう覚えて無いけどね。
 そんで、これはその彼女と僕の話。

「そういう女の子って、1日に何回も鏡を見るの、それはちょっと想像出来ない位。例えば貴方は1日に何回位鏡を見る?」
 彼女は、眼鏡のフレームを右手の指で押し上げながら、その向こうの目の端を細めた。
 僕らは、良く喫茶店で話をする。彼女は全然気にしないんだけど、学校で友達の話題になるくらい、僕らは不釣り合いだと言われるからだ。 それは、喫茶店に入っても同じ事だけど、少なくとも見知った顔が無い分だけ、僕は平常心でいることが出来る。
「3回位かな?、多くても10回位だと思うけど・・・・・・」
 僕は指を折って数えてみた、身だしなみに気を使わない訳じゃないけど、そんなに意識して鏡を見たりはしない。
「まあそんな物よね。そういう子はね、呼吸をするぐらい平然と鏡を見るの、それこそ数え切れないほど。知ってる?  初めてのデートの時には相手の顔よりも、鏡を見てる時間の方が長いくらいなのよ」
 そう言って、彼女はブラックのコーヒーに口をつけた。それはちょっと悔しくなるくらい格好良くて、絵になっていた。 少なくとも彼女の前でチョコレートパフェを食べてる僕よりは何倍も格好いい。一緒に注文したとき、彼女の前にコーヒーを置いて、僕の前にはパフェを置くのも頷けるってもんだ。
「面白いよ、よっぽど鏡を見るのが好きなんだね」
 僕は溶けかかったアイスクリームを、スプーンの先でいじめながらそう言った。 彼女はハンドバックから、細長いたばこを取り出すと火を付けて微笑む。
「鏡の中の自分はね、現実の自分よりちょっとだけツいてるの」
「ツいてる?」
 彼女は煙草の灰を、クリスタルの灰皿に落として頷いた。
「そう、ちょっとだけね。些細な事なんだけど」
「学食のカレーの具が大きかったり?」
 僕がそう言うと、彼女は楽しそうに笑った。
「そうね、その位」
 彼女は頷く。
「でも、その位違うともう別人なの、きっと根本が違うのね。見た目だけはよく似た、 自分より少しだけツいてる赤の他人。私の言いたいこと解る?」
 その言葉に、僕も頷いた。
「解るよ、きっと、些細なことで自分がとても上手に生きられる気がするんだね」
 彼女は、とても楽しそうに笑った。
「そういう子は、もう病的に好きなのよ、鏡が、全部幻想なのにね」
「君は、違うんだね?」
 彼女はちょっと微笑んで、頷いた。
「そうね、好きでは無いわね。どうしても他人としか思えないの、ツいてる、ツいて無いに関わらずね」
 僕は少し考えてみた。鏡の彼女が持って無くて、僕が持っている物。 容姿も、背の高さも、本の趣味も一緒で、眼鏡だってかけてるし、ブラックのコーヒーだって飲んでる赤の他人。 でもやっぱり、僕はイコールで、鏡の彼女はノットイコールなんだ。僕は鏡の中の彼女の近くにはいないと思う。少なくとも、こんな近くにはね。
 彼女はテーブルの上で両手を組んで僕を見つめた。
「想像してみて、貴方は宇宙の名もない遠い惑星でひとりぼっちなの、そうして毎日寂しくて泣いているんだわ。 ある日神様が貴方の姿に似せて原初の混沌から命を拾い上げて下さるの、それは双子の兄弟みたいに貴方にそっくりなのよ、 違うところは左右が逆で、名前が『鏡』っていうところだけ」
 僕は、紫の月が浮かぶ荒れ果てた広野で、僕とよく似た生命と二人きりで立っている。そして僕らは、どちらとも無くじゃんけんを始めるだろう。 でも、きっと僕らは一生分かり合うことは出来ないんだ。
 僕は言う。
「とても悲しい夢を見たよ、紫の広野で自分によく似た生物とじゃんけんをするんだ」
 彼女は2本目の煙草に火を付けて僕に聞く。
「どっちが勝ったの?」
 僕は笑った。
「決着が付かないから悲しいんだ 」
 それを聞いて彼女はにっこり微笑んだ。
「貴方と最初に出会ったとき、貴方は私に言ったわね、『君は7人の内の一人だ、だから僕とジャンケンしよう』って」
 そう言って、彼女は紫煙を吐いて笑った。
「貴方はチョキで、私はグーだった。そうしたら『ほらね』って」
 僕は笑って頷いた。
「解りやすいでしょ?」
 彼女も笑って頷く。
「そうね」
 僕らはそうやって、馬鹿みたいに笑いあった。

 多分、端から見たら、僕らは全然似ていないだろう。でも僕らは鏡の中の自分自身よりも何倍も近いんだ。 それはきっと、世界中で自分の他には7人にしか解らない、原初の記憶と呼べる曖昧な感覚なんだと思う。
 でもね、ホントに似てるって、そういうもんだと思うでしょ?


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