不良少女
秋月 ねづ
今になって考えてみれば、足が速い女の子というのは、それほど得じゃなかった。
私は小さな頃から背が高くて、スプリンターとして恵まれた体をしてたから、小学校の頃は短い距離を走れば、必ず一等賞になった。
走るたびに誰かに褒められたから、私は走ることが好きだった。
だけどほんとは、私は小さくて可愛らしい女の子になりたかった。その方がきっと得だもの。
「美紀はすっげー足が速いんだよ」
と三池先輩は嬉しそうに、私を色んな人に紹介してくれた。私と三池先輩は三つ違いで、私が中学一年生の時に、運動会でリレーのアンカーで走ったところを見てたそうだ。
「美紀のクラスはさ、最後から二番目だったんだ。美紀はスタートラインに立って、髪のゴム紐を結わえなおしてるんだよ。やたらと落ち着いてさ。自分のクラスが今何処を走ってるかなんて、ろくに見てやしないんだ。
つま先で土をちょっと蹴って、チラッと、バトンを受け渡して通り過ぎてく他のクラスの奴らを見て、睨むんだ。絶対追い越してやるって感じに。
そうして、やっと自分のクラスの奴が何処を走ってるのか見てさ、近づいてきたら軽く走り出して、バトンをさっと受け取ったんだ。
それからが凄いんだよ。爆発って感じ。ドカンって音がするんじゃないかってくらいのスピードで走り出して、四番目だったのが、ゴールするときには二番目になってた。あれは見ものだったよ。運動会なんて糞つまらないけどさ、美紀の走りが見れるなら金出してもいいね。俺は。
ほんと、美紀はすっげー足が速いんだよ」
三池先輩と知り合ったのは、中学二年の春だった。近所の大きな公園に中学生や高校生が、何をするでもなく沢山あつまって、その中心には三池先輩がいた。
「あ、俺、お前のこと知ってるよ」
友達に連れられて遊びに行った私に、三池先輩は声をかけてきてくれた。
その後も、三池先輩は私の顔を見ると話しかけてくれた。
「美紀。どう? 調子は」
「美紀! こっち来なよ。ここに座れよ」
「美紀にタバコ吸わせちゃダメだぞ。アスリートなんだからさ」
中学二年の時の運動会も見に来てくれた。緑色の金網の外側で、原チャリに跨ったまま、スタートラインに立っていた私に手を振ってくれた。三池先輩は体育の先生と話していた。普段は笑ったりしない怖い先生なのに、三池先輩には笑顔を見せていた。
私は一生懸命走った。走ることで、三池先輩と繋がっているような気がしていた。
でも、もう走らない。
私のスカートは必要以上に長く見える。私の髪は地毛にしては茶色すぎる。私の友達には不良が多い。
走らなくなった私は不良にしか見えなかった。
「また泣いているの? 美紀」
弘美が私の肩に手を回す。香水のいい匂いと微かに煙草の匂いがする。
「美紀は三池さんが好きだったものね」
どうして弘美には私の居場所が分かったんだろう。
「弘美……。煙草…持ってる? 吸いたい気分なの」
弘美は私を抱きしめたまま、頭を撫でた。
「ダメ。絶対ダメ。美紀に煙草を吸わせたりしたら、私が三池さんに怒られちゃうもの。美紀はアスリートでしょ」
私はまた出てきた涙を手の甲で拭った。
「もう、アスリートじゃないもん。もう二度と走らないもん。もう私一生走らない」
「それでもダメ。美紀の肺はキレイにしておくの。美紀がまた走りたくなったときのために。私守る。一生走らないならそれでもいいの。私絶対吸わせないからね」
三池先輩はバイクで事故を起こした。皆で公園に集まった後、深夜に。カーブを曲がり損ねて、猛スピードで走ってきたダンプカーのバンパーの下に滑り込んで。
『私はもうすぐ高校生になります。先輩と同じ年に。
でも先輩がいなくなった後の、この世界は味気ないです。それは先輩が私の大事な何かを持って行ってしまったからでしょうか?
私はこの二年間走ってません。もう走るつもりもありません。先輩と金網越しに繋がったあの運動会。私は風に溶けて先輩を感じた。
あれが私の人生で最高の瞬間です。あの時先輩はどう思いましたか?』
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