不忠な犬

凩 優司

■03■

空から音もなく雪が舞い降り、
そして辺りを、たおやかに凍て付かせる頃。

俺たち二人は眞鍋の家へと、
何事もなく帰宅する事が出来た。

門を越えて石畳の上を歩く。
扶美はずっと無言のまま、
俺の前を歩き続けている。

扶美は帰宅途中ずっと、
何かに怒り続けているように思えた。
彼女が怒る理由などなく、
そうした態度はひどく理不尽に感じられた。

でも、そんなのは仕方のない事だ。
扶美は女なのだから。
女に理性や理知を求める者がいるならば、
それは求める側が間違っているに決まっている。

それくらいは、俺にだって解っているんだ。

「……ただいま」

扉を開けた扶美は、
そう言って玄関の中へと入る。
俺はその後を、影のように付き従う。

「扶美に宏和君、お帰り」

入った玄関の先から声がする。
そこにいたのは扶美の父親である、眞鍋正隆様の姿。

いつもと変わらぬ好好爺の笑みで、
俺たち二人の事を見ていた。

「寒かったろう?
 ほら、早く入りなさい」

「ええ、そうね」

靴を脱ぎ、家へとあがる扶美。
俺はその姿を見ながら、
また今日も扶美が無事でいた事に心を撫で下ろす。

「……宏和君?」

その時、心配そうな声が耳に届く。
見てみればそこには正隆様が、
俺の事を優しく見ていた。

「……はい、何でしょうか?」

「君もあがりなさい。
 たまには一緒に食事でもしようじゃないか」

心から正隆様は言ってくれているのだろう。
それは俺にもちゃんと分かった。
ここで俺が「はい」と言えば、
正隆様は普通に喜んでくれるだろう。
……だけど。

「いえ、遠慮いたします。
 正隆様の言葉は感謝しますが、
 私にかけるには、それは過ぎた言葉でしょう」

俺の言葉に、正隆様の表情が翳る。
俺はそれから目を逸らす。
そんな俺に、正隆様は寂しそうに言葉を続けた。

「宏和君……君はまだ、
 過去の事を重荷に思っているのだね」

「……重荷などとは思っていません。
 ただ、私には、私にあった分別があると、
 そう思っているだけです」

そう、飼われている犬であるなら、
そうした線引きは、きちんとしなくてはいけない。

自らが他者と同じ土俵で話せるなどと、
勘違いしてしまうのは、具の骨頂に過ぎない。
何故なら、俺は借りをまだ返せていないからだ。
だから他でもない俺自身が、
同じような待遇に処せられる事に抵抗を感じてしまう。

だから俺は犬でいなくてはいけない。
誰よりも忠実な犬で。
そうする事でようやく、
俺は生きていく事の出来る理由を手に入れられるのだから。

「……それでは、失礼します」

そして俺は背を向けて退出する。
その背に言葉が投げかけられる事は、もはやなかった。

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