委員長

秋月 ねづ

 「僕の夢は一生寝て暮らすことです」と小学校の卒業文集に書いたら、先生に「夢がない」と怒られた。
 寝ていれば夢は見るのだし、起きている時の夢よりも害がないと僕は思う。現に他の人たちの将来の夢を見てみると、総理大臣だのパイロットだのと書いてある。総理大臣と書いたのはクラスで一番の乱暴者で、そんな人が総理大臣の国になど住みたくもないし、パイロットと書いた人は毎日何かしら忘れ物をしてくるので、飛行機の操縦中に何らかの致命的な忘れ物をしないだろうかと、僕は心配になったので、そう先生に言ってみたら、ポカリとぶたれてしまった。
 僕の住む町はまだ田舎で、先生が神のように崇めたてられているから、面倒になったら生徒を殴って解決することが出来て、こんな町でなら先生になるのも悪くないなと、卒業文集の寄せ書きの欄をごしごしと消しゴムで消して「学校の先生」と書いておいた。
 これは意外と好評で、僕は瞬く間に「先生」という渾名で呼ばれるようになった。中学に入っても、自分で言ったわけでもないのに「先生」と皆から呼ばれ、クラスの勉強の苦手な人が、僕のところに授業で分からないところを聞きに来るようになった。
 これは不思議なことで、僕自身あんまり成績が良くないにもかかわらず、皆、何故か僕に頼ってくるのだ。僕は仕方なしに勉強のできる人の所へ、その人を連れて教えてくれるように頼みに行き、一緒になって教えてもらった。そうして勉強の仲介みたいなことをしているうちに、僕は更に色んな人に頼られるようになってしまった。
 それまで不良やってて、突然勉強に目覚めた人が、僕と二月ほど休み時間に勉強して、少し成績が上がったら、僕のことを崇めるような目で見て、「困ったことがあったら俺に言ってくれ!」と僕の手を握り締めたりした。
 逆に勉強の良くできる人も、「○○君と仲良くなれたのは君のお陰だ」とかいって、僕にちょっとしたモノをくれたりした。
 あるクラスの女の子から恋愛相談を受けて、他のクラスのある男の子が、その子の事をどう思うか調査するために、自分のクラスでもないのに入り浸ってみたりした。
 そうやって中学校生活も終わるころになると、僕はクラスどころか学年全体の人間関係や学力を把握していた。休み時間のたびに誰かの相談に乗ったり、誰かに勉強を教えたりしなければならなくなってしまった。
 これは僕の望んだ生活とは全然違うことだった。僕は休み時間は窓際の席で誰とも喋らずにボーっと外の景色でも眺めていたかったからだ。家に帰ってもクラスメイトから恋愛相談の電話なんてかかって来ないで、テレビでもボンヤリと眺めて、何の悩みもなくグッスリと眠りたかった。
 期せずして学校の成績も徐々に上がっていった。だけどもともと僕は成績なんてちっとも気にしてなかったから、どうでもいいことだった。だが、僕と一緒に勉強をしたがる人は後を絶たなかった。

 どこでどう間違ってこうなってしまったんだろう? と、最近僕はよく思う。卒業文集に「先生」と書いてしまったからだろうか? それを書かずに宇宙飛行士とか書いておけば、皆、僕のことを放っておいてくれたのだろうか?
 「先生」はきっと、「きっかけ」だったんだと思う。皆、誰かに何かを教えてもらいたくて、誰かに頼りたくて、うずうずしてたんだと思う。でも、みんな自分のことを考えるのに忙しい。そのうえ、僕も勿論そうだけど、誰も積極的に他人に何かを教えたいと思っている人なんていなくて、僕みたいにボンヤリしてた人がその役をやらされてただけ、なんだと思う。
 僕は高校に行ったら、目立たないように生活しようと思う。今までだって目立たないようにしてたけど、大人しくしすぎても逆に目立つかもしれないから、適当に話して、具合の悪い人を保健室に連れて行く係か何かになって、渾名もなしで、石川君とか呼ばれて、それも「先生が呼んでるよ」とかいう理由でしか呼ばれない。そんな高校生になりたいと思う。
 ちょっと離れた高校なので同じ中学の人もそれほどいないだろうし、今までの苦労からしたら、「目立たない」ことなんてそれほど難しくないんじゃないだろうか?
 とにかく、もうこの便利屋家業も卒業だと思うと肩の荷が下りる。
 高校生になれば、こんなに疲れないですむと思うんだけど……。

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